29話「初恋の女性」
マティルダの指示により、三人の侍女たちは退室した。
代わりに、クラヴィス付きと思しき侍女たちが食事の準備を始める。
その間、私はさり気なくクラヴィス=クレイスという女を観察した。
マティルダは彼女のことをとても美しいとか、場の空気を一新させるとか評していたけれど、今から思えばあれは親の欲目だ。
クラヴィスは、長い金髪と榛色の目をしたのっぽな女だ。
年の頃は二十代後半ぐらいに見える。
三十前後と言ったら怒るだろうか?
元いた世界で、一部の日本人がロシアの天使とか言って持て囃しているロシア人のモデルみたいな顔をしている。
つまりはごく普通の顔だ。
一部の特異な人には好まれるかもしれないけど、さすがに美人は過剰評価と言わざるを得ない。
陛下の異母妹の母親ということは、つまり先王の愛人ということか。
侍女たちはすっかり勝手知ったる様子で、困惑する素振りすら見せず、「アトロポス王女」の前にも食器を置く。
三段のケーキスタンド、銀製のティーポットと人数分のカップ、それに器に盛った砂糖やシロップ入りの小瓶が、テーブルの上へと手際良く並べられた。
ケーキスタンドの一番下の段にはサンドイッチとキッシュ、真ん中にはスコーンやクッキーといった焼き菓子、そして上段には果物やクリームをたっぷり使ったケーキが綺麗に乗っている。
「まぁ! どれも美味しそう」
私がそう言うと、クラヴィスはころころと笑った。
「うふふ、そう言っていただけると嬉しいです。準備した甲斐がありますわ」
「クラヴィス様が作られたのですか?」
「ええ、サンドイッチとスコーンは私が。その他の焼き菓子やキッシュは調理師に作ってもらったもので、上段のケーキは今話題の店から取り寄せたんです」
「そうだったのですね。おもてなしに感謝いたします」
私の言葉に、一層のこと笑みを深めるクラヴィス。
口元に手を当てて、可笑しさを堪えるような顔をしている。
それを見た私は、何となく引っ掛かるものを感じた。
こんな風に言うと大抵の者は被害妄想だと一笑に付すけれど、私の勘は当たるのだ。
「陛下から聞き及んでおります」
「え?」
「以前、ご多忙な陛下がすぐに召し上がれるようにとサンドイッチを差し入れたところ、美夜様がとても気に入ってくださったとか」
「え、ええ。はい」
そういえばそんなこともあった。
陛下と一緒に昼食を食べた時のことだ。
確か、彼が持参した食べ物はクラヴィスからの差し入れだったと聞いた。
「殆ど美夜様が召し上がってしまわれたんですよね? そんなに好んでいただけて光栄です」
「……まぁ、陛下がそのようなことを?」
私は顔が引き攣りそうになるのを何とか堪え、その代わりに照れ笑いのような表情を浮かべる。
「はい。美夜様は身体はお小さいにも関わらず、食欲はとても旺盛なお方だと聞いております。お料理を作ることは大好きなのですけど、食が細い私としては羨ましいです」
……この女。
ティーポットを引っ掴み、その中身を顔面にぶちまけてやりたい衝動を抑え込みながら、私は愛想笑いを続ける。
一見すると無邪気そうに振る舞っているけれど、全て意図的だ。私の目は誤魔化されない。
同時に、私は彼女の目的についても確信を抱く。
つまり、エレフザード陛下との距離を急速に狭めつつある私への牽制だ。
先王の愛人が、正妻のご子息の恋人(候補)に文句を付けようと言うのか。
まるで姑そのものである
そっちがそう来るのなら、私にだって考えがある。
「早速、いただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
クラヴィスの承諾を得た私は、いただきますと言ってからサンドイッチの一つを手に取る。
元いた世界で言うところのバケットサンドに近いだろうか。一口囓ると、バジルに似た味がした。
「っ、とても美味しいわ!」
大きく目を見開き、やや大袈裟なぐらい驚いてみせる。
……認めるのは癪だけど、確かに美味しい。
細く裂いた鶏肉にバジルソースを絡め、葉野菜と癖の強いチーズと一緒に挟んでいる。
バジルの風味とチーズが実に相性抜群だ。
すぐに一切れ目を食べ終えた私は二切れ目に手を伸ばし、その次はキッシュだ。
美味しい美味しいと率直な感想を口にしながら次々に食べ物をお腹にしまっていく私を、マティルダは眉を顰めて見ているけれど、構うものか。
クラヴィスが牽制を仕掛けるというのなら、ここは下手に取り澄ますよりもとことん無邪気に振る舞ってやる。
陛下が私について彼女にどう話したにせよ、悪意のある言い方ではなかった筈だ。
多分きっと、私がとてもかわいらしいということを伝えたかったのだろう。
それを曲解した上で私に伝えるクラヴィスには、天真爛漫でかわいらしい私を見せ付けてやるのだ。
「……はわっ! ご、ごめんなさぁい……美味しくてつい、私ばかり食べていますね。陛下に、好き嫌いなくいっぱい食べることを誉めていただたものだから、調子に乗ってしまいました」
自分でもわざとらしいほど慌てふためいたように口元を押さえ、陛下について語る時はぶりっ子みたいに身体をくねらせる。
そんな私を見ていたマティルダは、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。
「あーたね、そりゃあただ単に食い意地張った女だと思われてんですよ!」
「えっ……」
マティルダの神経を逆撫でするのに成功したことを内心でほくそ笑みながら、心から傷付いたような表情を浮かべる。憂いを帯びた美貌をマティルダ向けた後、「ごめんなさい……私、私……」と消え入りそうな声で俯く。
マティルダが「キェー!」みたいな酷く苛立った奇声を上げる。
「あーた! ちょっと、いい加減におしよ!」
「お母様、お待ちになって」
そんな母親を、クラヴィスはおっとりと宥めた。
私の挑発は、この女に対してはまだ効果を発揮できていないらしい。
「いいじゃありませんか。子供らしくてとてもかわいらしいと思いません?」
「ふ、ふん。まぁ、確かに子供らしいこと」
「でしょ?」
そう言ってクラヴィス、少女のようにクスクスと笑った。それから笑みを張り付けたまま私へと向き直る。
「陛下が貴女を気に入るのもよくわかります」
「まぁ……」
この女に何がわかると言うのか。
陛下はもうずっと前から私のことが好きだったというのに。
もちろんそんな感情はおくびにも出さず、照れたように目を伏せる。
「あの方は、昔から女性たちにとても好かれるんです。けれど、時にはそれが負担になると見えて、女性への苦手意識を克服できずにいたんです」
「あら、そうなのですね?」
それは違う、と言いたかった。
他の女性は知らないけれど、私とはずっと会いたいと思っていたのだから。
多分、陛下は女性が苦手というより私以外の女性に興味がなかったのだ。
興味がない女性から秋波を送られて困っていた、というのが正しいのだろう。
「ええ。だからこそ、貴女のように女性であって女性でない……あ、もちろんいい意味でですけど……そういう方といると落ち着くんでしょうね」
「う、うふふ」
こ、この女っ……!
私は表面上はにこやかにしながら、テーブルの下では拳を強く握り締める。
彼女は、遠回しに「あんたなんか陛下の眼中にない」と言いたいのだ。
「なかなか私から離れていただけなくて、困っていたんです。美夜様がそのきっかけになればいいですね」
「……クラヴィス様は、陛下とのお付き合いは長いのですか?」
私は思わずそう尋ねていた。
彼女が神使の地位を得たのは、先王の愛人に成り上がったことがきっかけだというのが私の予想だ。
「はい。私は昔、このお城で母と同じように侍女として働かせていただいてたんです。エレフザード陛下がまだ王太子で、十にもならない頃でした。陛下と年が四つしか違わないこともあって、お世話というか遊び相手のようなことをさせていただいていました」
「……うふふ。陛下にもそんな頃があったのですね」
表面こそ平静を装っているけれど、それを聞いた私の心中は穏やかではない。
彼女が陛下の子供時代を知っているということ、しかもそんな頃から親しくしていたと聞いて、心に石が沈み込んだみたいな重苦しさを覚える。
これ以上聞きたくない、そう思うと同時に、更に続きを聞きたいという相反した思いを抱いてしまう。
「ある日、先王陛下……つまり、陛下のお父様に大事にしていただける機会がありまして、アトロポスを授かったんです」
まるで、そういった方面の知識を持たない子供に対して聞かせるような口調だ。
でも、これで私の予想が当たっていると判明した。
やはり彼女は、愛人……というよりお手付きだったのだ。
「それから神使の地位に就かれたのですか?」
「いいえ。妊娠が発覚すると、先王陛下は私に暇を出してくださいました。それで、故郷に戻って娘を出産したんです。先王陛下もとてもお優しい方でしたから、私を政争に巻き込むまいというご配慮だったんでしょうね。何しろ当時の私はまだ十四歳、あまりにもあどけなさすぎました」
「随分と、お若くして一児の母になられのですね。とてもご立派です」
「ありがとうございます。でも、最近になってそれには周囲の思惑も絡んでいたのじゃないかと思うようになったんです」
クラヴィスは聞いてもいないことまで延々と語り、それから不意に顔を曇らせた。
「思惑……?」
「はい。エレフザード陛下のことです」
「陛下の……」
「私がお世話させていただいていた頃、あの方は私にとてもよく懐いてくださったんです。周りに甘えられるような相手がいなかったこともあって、姉のように慕ってくださっているのだと当時は思っていましたが……」
昔を懐かしむような目で語っていたクラヴィスだけど、そこで言葉を濁らせる。
言いよどむその様子が、私には下手くそな演技にしか見えない。
それにしても、彼女の口振りからして陛下は幼くして母親を亡くしたということだろうか。
勝手な主観だけど、私は自分と彼の境遇とを重ねてしまう。
「幼い陛下は、真剣に私のことを想ってくださっていたようなんです」
「真剣に……」
「そう。光栄なことに、陛下の初恋は私なんです」
クラヴィスは何の迷いもなくそう断言した。
その瞬間、頭を強く殴打されたような錯覚を覚えた。
違う、と胸中だけでも言いたいのに、言葉を構築することができない。私の内心などお構いなしに、彼女は言葉を続ける。
「なのに、私はあの方を置いて故郷へと帰ってしまった。当時、陛下は私が暇を出された詳しい経緯などは知らされなかったと聞いております。大人になってから、私が……初恋の相手が、お父上の子を身籠もったという事実を知った時の陛下の心中は察するに余りあります」
詰めていた息を吐き出すと、クラヴィスは沈痛な面持ち目を伏せた。




