27話「アトロポス王女」
細い腰をきつく締め付けられ、思わず小さく呻いた。
私の腰に巻き付いたコルセットは、既に十分すぎるぐらいにそのくびれを強調している。
なのに、侍女たちは……いや、彼女たちに指示を出すマティルダは容赦しない。
「ほら、王女殿下。もっとお腹を凹ませて。あーたは肉付きが良すぎるんですから、せめてくびれぐらい作らないとみっともなくて見られたもんじゃありゃしませんよ」
そのマティルダは、非常に失礼なことを言う。
私のウェストサイズは五十八と、細くしなやかである。
けれども、中世ヨーロッパでは現代日本人の感性から掛け離れた、病的なまでにくびれた腰が美の象徴だったと聞く。
もしかすると、ブラギルフィア国における美意識も私が持つそれとは異なるのかもしれない。
マティルダがこちらの世界の美意識に沿った上で言っているなら、ここは耐えるべきか。
覚悟を決めた私は、息を完全に吐き出すと同時に、腹部に更に力を入れた。
一瞬だけコルセットと肉体の間に余裕が生まれ、そして即座にその隙間を埋めるように、一層きつく締め付ける。
涙ぐましい努力の甲斐あってか、鏡に映る私は常以上に細い腰を強調させたスタイルで佇んでいる。
マティルダが用意したのは、曇り空のような青みがかった灰色のドレス。
シュニール織のような手触りで、腰元や袖口にフリンジ飾りが付いているだけのシンプルなデザインである。
長い髪は、襟足に近い場所できつめの夜会巻きにして、前髪も頭部に添って撫で付けてある。
落ち着きのある印象……と言えないこともないのかもしれないけど、はっきり言って地味という印象が強い。
鏡に映った自分を眺める私から、不満を読み取ったらしいマティルダが口を開く。
「お気に召しませんかね?」
「そういうわけではないのだけど……ちょっと大人しすぎないかしら?」
「んなこたぁぁ、ありゃぁぁぁしませんよ!」
大袈裟なほど驚いた声を出し、目を大きく見開くマティルダ。
「十五歳と聞いてますが、あーたはどう見たって十二歳程度にしか見えませんって。かわいらしく飾り立てようもんなら、それこそもう子供にしか見えんでしょうよ。年相応の淑女として見せたいなら、これぐらい落ち着いてたほうがいいんですよ」
私は何も言い返せなくなる。
確かに、彼女の言うことも一理ある……ような。
何より、私はこちらの世界の服飾の常識や流行などを一切知らない。
でも、本当にマティルダの言う通りなのだろうか。
疑念を拭いきれず、鏡に映ったサーシャやマルガレータを伺うと、まるで狙ったかのようなタイミングでマティルダが彼女たちに声をかけた。
「そうでしょう? サーシャ、マリー、ロザリンド」
彼女たちは着付けを終えた後は、お行儀良く後ろに控えていた。
話を振られると、小さく首肯してみせる。
「ええ、王女殿下にお似合いです。顔がお優しい印象なので、派手に飾り立てるよりもこういう落ち着いた印象で纏めるほうが、魅力を引き出してくれるんです」
そう言ったのはサーシャで、他の二人もうんうんと頷いている。
ということは、別にマティルダは私への反感からわざと変なドレスを選んだのではないということか。
侍女たちに付き添われ、神使クラヴィス=クレイスの部屋へと向かう道中、気になっていたことを聞いてみた。
「クラヴィス……様とは、どういう方なのですか? ブラギルフィア国の神使だということは伺っていますけど」
「そうですね。まず、とてもお美しい方です。その美貌はブラギルフィア随一、いえ、諸侯連合屈指で、一目見たいと他国からの来訪者が絶えないほどでございます」
「まぁ、それはそれは」
マティルダの説明を聞いた私は、花の顔を綻ばせた。
でも、類なき美貌のみならず優れた頭脳を持つ私は、彼女の言うことを間に受けて微笑んでいるわけではない。
こういった噂は、得てして尾びれ背びれが付きやすいものだ。
「美しいだけではなく、仕草、存在感、その全てが洗練された女性ですよ。クラヴィス様はね。ただそこに在るだけで、場の空気を一新させてしまうものをお持ちなんです」
「まぁ、素敵ね」
と、相変わらずにこにこと笑う。
ハロー効果、という言葉がある。
国王に次ぐ地位に就いている女性というだけで、何もかもを過大評価されるというのは大いにあり得る。
最近わかったことだけど、神使という役職は極めてデリケートな立ち位置のようだ。
国王のように世襲制ではなく、必ずしも王妃=神使というわけでもない。
ある能力……早い話が巫祈術、それも強大な力を持つ者が選ばれることが多い地位だ。
そして、巫祈術というもの自体、変性術や錬金術とは違って実証が難しい能力だ。
これまで神使の中には、どうやらとんだペテン師も存在したみたい。
そして、現神使ことクラヴィスもそうなのではないかと睨んでいる。
さり気なく、マルガレータとロザリンドを伺う。
彼女たちは私の視線に気付くことなく黙々と付き従っているけれど、胸中では何を思っているのだろう。
先日、彼女たちが他の侍女と一緒に、現神使への噂話に花を咲かせているのを聞いた。
その内容はと言えば、クラヴィスの力を疑問視するものだった。
「ああ、そうそう」
マティルダが思い出したように呟いたのは、目的の部屋の近くまで来た頃だった。
「クラヴィス様にはご息女……前王との間に生まれたお子がいらっしゃいます。本日、その方もご同席なさいますので、くれぐれも失礼のないように」
「えっ?」
その言葉に少なからず驚いた。そんな私を、彼女はぎろっと睨み付ける。
「何ですか、大きな声を出して。はしたない女ですね」
「別にそんな大きな声じゃ……いえ、それよりクラヴィス様のご息女ということは、陛下の妹なの?」
「ええ、そうですよ」
「陛下はそんなこと一言も……」
「あーたには話す必要なしと思ったんでしょ」
突如として知った情報に、頭がついて行かない。
三人の侍女たちを伺うと、サーシャは完全な無表情だったけど、他二人は違った。
ロザリンドは困ったように視線を彷徨わせ、マルガレータは苦笑いを浮かべている。
な、何だろう? いったい何があるというのか。
まだまだ聞きたいことはあったけれど、とうとうクラヴィスの部屋に到着してしまった。
マティルダが扉を叩く。
ふーん、ここではちゃんとノックするのね……と、冷めた目で見てしまう。
扉の向こうから「はい」と返事があった。
「クラヴィス様、マティルダです。美夜様をお連れ致しました」
「ああ、待っていましたよ。どうぞ、お入りになって」
扉を開けたのは、マティルダではなくあちら側にいる誰かだった。
マティルダは、横柄とも言える仕草で私に入室を促す。
……このくそばばぁ、覚えていなさいよ。
私は誰にも気付かれないように歯噛みしながら、優雅な身のこなしで入室する。
扉の側に立っていた侍女が、恭しく頭を下げる。
扉を開けたのはこの人みたい。
「お初にお目にかかります、クラヴィス様。ミヤ=スメラギと申し、ま……す……」
例え地味なドレスに身を包んでいても隠しきれない美人オーラ、場の雰囲気を塗り替えてしまう圧倒的なカリスマ性を如何なく発揮しながら、優雅な仕草で挨拶をしてみせる。
ところが、思いもよらぬ光景を目にしたことで、途中から声が上擦ってしまった。
扉の向こうは、淡い暖色で纏めたサロンのような部屋だ。
高い天井まで届く窓に掛けたカーテンは開け放たれていて、燦々とした陽光が部屋を満たす。
窓に程近い位置に、透かし彫りの長テーブルとゴブラン織りのソファが置かれ、ソファの一つから立ち上がったばかりの女性がクラヴィス……だと思う。
クラヴィスとは別の、一人掛けのソファに座った「存在」に目を奪われていた私は、慌てて彼女へと視線を移した。
クラヴィス……と思しき彼女は、私の動揺など余所に、にこやかに笑いかける。
「よく来てくださいました、美夜様。一度お会いしたかったのですわ。私はクラヴィス・クレイス、この国の神使を務めております。そして……」
彼女は、「それ」へと……一人掛けのソファに座らせた人形に視線を向ける。
座った状態だけど、そこそこの大きさがある人形だということが覗える。
六十センチほどはあるだろうか。
十代半ばぐらいの少女を模した人形で、遠近感を誤魔化せば本物の人間と見間違えそうなほど精巧な造りだ。
陛下の異母妹が同席するという話だけど、部屋にいるのはクラヴィスと先ほどの侍女だけだ。
まさか……。
「この子は私の娘、アトロポスと申します。ほら、アトロポス、美夜様に挨拶なさい」
当然、人形はうんともすんとも言わない。
おっほん、とマティルダがわざとらしく咳払いをした。
「王女殿下、アトロポス様がご挨拶をなさったのに黙り込んだままとは何事ですか?」
「えっ」
呆然と佇む私に、マルガレータがそっと耳打ちをする。
「取り敢えず話を合わせてください。あたしもよくわかんないんですけど、そういう『設定』らしいんです」
彼女の声音には、多分に困惑が混じっている。
話を合わせる?
設定?
いったい何の話?
まさか皆して私をからかっているのだろうか。
「王女殿下! 何とか言ったらどうですか! 口、ないんですか!」
マティルダの怒鳴り声が、室内の空気をビリビリと震わせる。
私自身、思わずびくりと身を竦ませてしまった。
大声を出してはしたないとか、いったいどの口が言うのだろう。
そんなマティルダの隣で、クラヴィスは酷く不安な表情を浮かべて私を見つめている。
……何だかよくわからないけど話を合わせるべきなのか。
私は半ば自棄になりながら、人形に……アトロポスに優雅に会釈してみせる。
「お初にお目にかかります、アトロポス王女。お会いできて嬉しいです。お兄様にはいつもお世話になっております」
何だか物凄く馬鹿馬鹿しいと思いつつクラヴィスを伺うと、彼女は満足そうに破顔した。
いったい何なの、この女?




