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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第一章
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1話 「邂逅」

 いきなり視界が開けた。

 文字通りの意味で、眼前にある金色の双眸が驚愕に見開かれる。


「……は?」


 そう呟いたのは、果たしてどちらだっただろう。

 息が触れそうな距離に、見知らぬ青年の顔がある。

 どういうわけか、彼の膝の上にいるという事実を脳がやっと理解した。

 いったいどういうこと? ここはどこ?

 私は……皇美夜(すめらぎみや)。今月、高校に入学したばかりの少女だ。


 つい先ほどまで、私は駅のホームにいた。

 クラスメイトに線路へと突き飛ばされ、電車と衝突寸前だった……。


 でも、それより何より距離の近さに喫驚して、反射的に身を引いた。

 その直後、大きく体勢を崩す。


「きゃっ、あ! ああっ……!」


 ごんっ。


 円卓の縁に頭を強かにぶつけ、鈍い音が響いた。

 床の上に転がった私は、そのまま動けなくなってしまう。


「大丈夫か?」


 椅子を動かす音と共に、頭上から声が降ってきた。

 俯せに倒れた私の狭い視界に、青年の身体の一部が見えた。

 どうやら私の傍にしゃがみ込んでいるみたい。

 はい、と掠れた声で応えながら、何とか顔だけを上向けた。

 実際は様々な場所が痛みを訴えていて、「大丈夫」とは言い難いのだけど。


 青年はほっと胸を撫で下ろし、私へと手を差し伸べる。

 大いに困惑を覚えつつも、その意図を理解した私は恐る恐る彼の手を取り、助け起こしてもらう形で立ち上がった。

 彼と並んだことで、私は相手との身長差を実感した。

 私が同世代の女子より小柄だということを差し引いても、彼は相当な長身だ。百八十センチ伯父よりも、更に高いと思う。

 白い軍服……にしか見えない服に、緋色の長衣という見慣れない格好だ。

 白と赤の対比も、要所に施した金糸の刺繍も、ともすれば悪趣味になりそうなものだけど、この人にはよく馴染んでいる。


「あ、ありがとうございます」


 全く理解の追い付かない状況ではあるけど、一先ず謝礼を口にした

 彼は双眸を大きく開いて、私を真っ向から見返している。その視線の強さに、思わずたじろいでしまう。

 こんな訳のわからない状況だというのに、私は彼がとても美しい面立ちをしていることに気付かずにはいられなかった。

 伯父の隆俊よりも綺麗な男性を見たのは、これが初めてだ。

 その美しい顔を、流れるような金髪が縁取っている。


「貴女は……」


 彼が口を開いた時、その声を掻き消す鋭い声が室内に響いた。


「エレフザード陛下!」


 声と共に、何者かが私たちの間に割り込んできた。

 銀色の髪をした少年で、年の頃は私と同じぐらいに見える。

 彼もまた、青年と同じような軍服に身を包んでいるけれど、全体的に少しばかり大人しめなデザインだ。

 少年は、金髪の青年を庇うように彼の身体の前に腕を突き出し、こちらに敵意の籠もった視線を向けてくる。


「下がれ、女。この方に近付くな」

「シルウェステル」


 金髪の青年……エレフザードと呼ばれた彼が、少年を諫める口調で言った。

 陛下という呼称ややり取りから察するに、この二人は主従関係にあるようだ。

 でも、その名前を聞いた私は吃驚してそれどころじゃなかった。


「……エレフザード?」


 上擦った声でその名を反芻して、金髪の青年を見つめ返す。

 見ず知らずの相手に真っ向から敵意を向けられていることさえ忘れてしまうほど、私がエレフザードという名に対して受けた衝撃は大きかった。


 ……これまで意識の範疇外だったけど、この場にいるのは私たち三人だけではなかった。

 どうやら会議室のような畏まった場所で、十人近い人間がいる。

 殆どが男性ばかりで、そんな中に一人だけ女性がいる。

 数人の男性が彼女を背後に庇っている辺り、高貴な身分の女性なのだろう。

 何より私が驚いたのは、彼らの身なりである。

 全員が、まるで中世ヨーロッパの貴族のような服を身に着けている。

 そんな中、紺色のセーラー服姿の私は、はっきり言って浮いている。

 突然の闖入者に呆気に取られていた者たちも、我へと返って騒ぎ始める。


「禍女だ! 兵を呼べ!」

「陛下、神使! お下がりください!」

「その女を陛下から引き離せ!」

「神使! どうぞ、こちらへ!」


 辺りは蜂の巣を突いたように騒然とする。私は呆気に取られて、どうしていいかわからず、ただ立ち竦むことしかできない。

 そんな私を、不意に大きな手が捕まえて持ち上げた。


「えっ?」


 私を捕まえたのは、熊を思わせる大柄な男性で、豪奢な装束の上からでも隆々とした肉体を伺うことができる。

 彼は怒りを滾らせ、荒い息を吐きながら背後から抱えるように私の身体を押さえ付け、顎と頭に手を掛ける。

 まさか首を折るつもりでは……その考えに至った瞬間、冷たい恐怖が全身を駆け巡った。

 何とか身を捩って男の手から逃れようとするけれど、大きな手が顔の下半分を覆っていて、呼吸さえままならない。

 身体を押さえ付ける力は信じられないぐらいに強く、骨が軋む音が聞こえそう。

 辛うじて手は動かせるから、彼の腕を引き剥がそうと奮闘するも、爪を立てて引っ掻いてもびくともしない。


「殺せ! 今すぐに!」

「よし、首をへし折ってしまえ!」


 周囲で飛び交う物騒な言葉に凍り付いた。

 彼らが私のことを言っているのは明らかで、つまりは本気で命を奪おうとしているのだ

 頭部を掴んだ手に力が込められ、次に訪れるであろう衝撃に身構えたその時だ。


「待て」


 静かな、それでいてよく通る声が響き、誰もが口を噤んだ。

 沈黙が落ちたその隙を逃さず、彼……エレフザードと呼ばれた青年は言葉を続ける。

 こつ、こつ、という靴音と共に、彼が近くに歩み寄る気配を感じた。


「その娘を離してやれ、レイドリック。彼女はまだ変異が始まっていない」


「陛下……! いや、しかしですな、このような場に現れた禍女ですぞ。変異が始まるのを悠長に待つと仰るおつもりか?」


 レイドリックが苦々しい声音で反論する。

 「陛下」という呼称が示す通り、どうやらあの人は、ここに集まった者の中でも高い権限を持っているようだ。

 不満げな声が上がったけど、表立っては抗議しにくい雰囲気が伝わってくる。

 そんな中、低く笑う声が聞こえた。


「エレフザードの言うことも尤もだ」


 言葉は内容こそエレフザード陛下への同意だけど、口調には嘲笑めいた響きがある。

 そして、その男の声は美しく澄み渡っているのに、妙に耳障りに感じられた。


「サリクス様」


 レイドリックがその男の名らしきものを口にする。

 そこには困惑と、そして畏怖にも似た感情が含まれている。


「相変わらずお優しく、そして高潔であらせられる。さすがは獅子王と謳われるお方だ」


 サリクスと呼ばれた人物は、どこか芝居がかった口調で言った。


「しかし、まだ変異が始まっていないとは言え、このような得体の知れぬ娘を野放しにしておくわけにもいきますまい。……そこで、一先ず私がこの娘を預かるということでいかがですかな?」


 サリクスの提案に、心臓に氷を押し当てられたような気がした。

 このサリクスという男は、何だか途轍もなく嫌な感じがする。


「いえ、それには及びません、サリクス殿下。彼女については、私が全責任を持ちましょう」


 陛下がサリクスの提案を棄却したことで、私は心底ほっとした。

 この殺気立った集団の中で、唯一理性的で、私に敵意を見せない彼のことは信用できる気がした。

 レイドリックは、躊躇いがちに私から手を離す。


「大丈夫か?」

「はい……ありがとうございます」


 極度の緊張のため、立っているのがやっとという私に、陛下は気遣わしげに問いかけた。

 口を突いて出た言葉は、まるで自分の声ではないように掠れていた。

 今になって恐怖心が込み上げてきて、膝が笑い出す。

 私の前に立った陛下が、乱れた服を整えてくれる様子を眺めていると、少しだけ平静を取り戻せた。

 一人でも自分の味方がいる、それだけでこんなにも心強いものなのか。

 ふわりと、肩に何かが乗る気配があった。見れば、鮮やかな緋色の外套が肩にかかっている。


「今の季節、これからの時間帯は冷える。それに……いや」


 きょとんとした顔で見上げると、彼は何か言おうとして言葉を濁した。

 温かい。

 彼の外套を借りた私は、そんなことを思った。物理的な肌寒さからだけでなく、心まで温めてくれる気がした。

 外套の前部分を掻き合わせ、再び礼を言うべく口を開きかけたところで、信じられないものを見て言葉を失う。


「動くな」


 陛下は抜き身の剣を手に、その切っ先を私の喉元へと突き付けている。

 

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