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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第六章
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113話「帰路の途中」

 行軍は滞りなく進んだ。

 私と母とは馬車に乗り込み、その周囲を陛下率いるブラギルフィア騎士団が守るという形で王都を目指して進む。

 陛下は馬車に乗らないのか尋ねたところ、王としての立場で移動する際にはそのようにするけれど、今は騎士団を率いる立場故、他の騎士と同様に馬上にいるのだとか。


 因みに、私は既にドレスから軽装へと着替えている。

 着の身着のままでティエリウス王城を飛び出してきたものの、母が既に準備をしておいてくれたみたい。

 元の世界から持って来たぬいぐるみや、陛下が送ってくれた絵も馬車に積んでいる。

 移動中も母は横になっていることが多いけど、この数日間で随分と回復したように見える。

 多分きっと、アルヴィースが手ずから処方した薬のお陰でもあると思う。


 日が暮れて来た頃、一行は今日の行軍を止めて野営することになった。

 これでもう何度目の野営だろうか。

 陛下はもちろん、騎士団の面々も私の体調や快適さに十二分に気を遣ってくれるとは言え、野営続きの日々に少し疲れを感じているのも事実。

 そろそろ簡易寝台ではなくて、フカフカのベッドで寝たいというのが本心だけど、そんなわがままを言うわけにもいかない。


 多くの者が野営地の設置のために忙しなく動き回る中、私はずっと座りっぱなしで凝った身体を解す目的も兼ねて、皆の邪魔にならないよう散歩していた。

 その時、火の側に座る母と彼女に寄り添うアルヴィースの姿が目に入った。


 母は用意してもらった椅子に腰をかけ、そんな彼女の肩にアルヴィースがショールを掛ける。

 身体を冷やさぬようにとでも言っているのだろうか、母に何か話しかけている。

 傍目には、理想的な夫婦の姿としてしか映らない。

 けれども、実際は……。


 ……実際には、どうなのだろう。

 アルヴィースは、自分の目的のために母を利用したのだとはっきり言った。

 母はそんな彼の本心を、どこまで把握しているのだろうか。

 アルヴィースが薬湯の入った器を母へと手渡す。

 既にその味を知っていることもあり、躊躇う母を何とか宥めて飲ませた後、顔を顰める彼女の背をそっと撫でてお菓子を差し出す。

 そんな彼の、否、二人の姿を見ていると無性にむかむかと腹が立って来た。


「両親に甘えたいなら、堂々と二人の間に入ってけばいいじゃないか」


 唐突に聞こえた声に、心臓が跳ね上がるかと思った。

 全く何の気配も足音もしなかった……。

 見れば、いつのまにか私の隣に食べかけのドーナツを手にしたアスヴァレンが立っている。

 相変わらず常に何かしらのお菓子を食べているけれど、行軍中だというのにいったいどこから調達するのだろうか。


「私にも一ついただけませんか」

「やだ」

「……即答ですか。目に入れても痛くないぐらいかわいいかわいい妹の頼みなのですから、一考の余地ぐらいあるでしょう?」

「ないよ、あるわけないじゃないか。いくらかわいい妹の頼みとは言え、そんな無理難題聞けるわけがない。だって、あげちゃったら減るもん」

「私は貴方の妹である前に、貴方が愛して止まないエレフザード陛下の婚約者ですよ? 婚約の記念に、一つぐらいください」


 半ば自棄になって言ってみたところ、アスヴァレンは目に見えて狼狽えた。

 陛下の名前を出しただけでこの変わり様である。

 私の方が逆に面食らってしまう。


「……うーん。あーもう、わかったよ」


 彼は大仰に溜息を吐くと、蝋引き紙に包まれたドーナツを一つ取り出す。

 それを受け取りながら、私の心中は複雑極まりなかった。

 ドーナツ一つでここまで渋るとは……。


 とは言え、私のほうもそうまでして食べたかったわけじゃなく、引くに引けなくなったというほうが正確である。

 礼を言って、ドーナツを頬張ると程良い弾力性を持った食感と共に甘味が口内に広がる。


「あああああ、僕のドーナツがぁぁぁ……うぅ、うううっ」

「……泣くほどですか」

「てか、上手い具合に話逸らしたね?」


 思いの外鋭い指摘に、内心でぎくりとしつつも首を傾げる。

 表面だけでも、「何のお話かわかりません」という風を装う。


「アルヴィースは、君の理想の父親だったかい?」

「ええ、期待以上の」

「ふーん、あくまでそう言い張るつもりなんだ? ……ま、いいけどさ」


 アルヴァレンの言葉を聞き流す振りをしながら、ドーナツを引き千切って咀嚼する。

 そう、まるでアスヴァレンの分身であるかのように。


「何なのですか、あの二人。仮面夫婦ではなかったのですか?」

「お、強がりは止めたんだ?」

「別に、私は何も強がってなんかいません。……ただ、お互いに愛情がないことはわかりきっているのに、何故あんなくだらない仲良し夫婦ごっこを続けるのか疑問に思っただけです。周囲の者にそう思わせておきたい、なんてことを考える人たちでもないでしょうに」

「ま、馬鹿げてるとは僕も思うかな」


 そう言いながら、アスヴァレンは新しく取り出したクッキーを囓る。

 辺りは夕闇に包まれ始め、光源と言えばまだ弱々しい月星の明かり以外は松明の炎ぐらいだ。

 それでも、クッキーの中に大きめに切ったチョコレートが入っているのが見えた。

 突如として、アスヴァレンが鋭く振り返った。


「もう絶対あげないからね?」

「別にいりませんけど。ただ、胸焼けしそうだと思っただけです」

「しないよ。……それで、何だっけ? ああ、あの二人が馬鹿げてるって話だったかな」


 アスヴァレンは、少し離れた場所にいる両親たちへと視線を移す。

 松明の炎に照らされるアスヴァレンの横顔を見て、私はぎくりとした。

 両親……いや、正確にはアルヴィースを見つめる彼の目には、いつにないほど剣呑な光が宿っている。

 私は何か言おうと口を開きかけて、結局は一言も発せなかった。


 ただ、この時確信した。

 アスヴァレンは、心の底からアルヴィースを……実父を嫌っている。


「まさか、今更あいつと再会することになるとは思わなかったよ」

「……父を連れて来たのは、間違いでしたか」


 一瞬の逡巡の後、独白のように呟いた私にアスヴァレンは怪訝な目を向ける。


「なんで? そんなことあるわけないじゃないか」

「だって……その、随分と折り合いが悪いようですが」

「あいつは必要不可欠な男だよ。あいつが滅茶苦茶にした世界を元に戻すためには、あいつの協力が必要なんだからさ。生きててくれて良かったよ」


 そこで言葉を切ったアスヴァレンは、小さく嘆息した。


「ま、あいつが生まれて来ない、もしくは子供を作んないまま死んでくれるのが一番良かったけどさ。でも、デキちゃったもんは仕方ないじゃないか」


 自分の両親のみならず、自身のことさえ余所事のようだ。

 アスヴァレンはアルヴィースのことを嫌っていると思ったけれど、おそらくそれは正確ではない。


 彼は、元凶である先祖と姫神に連なる者全てを憎んでいる。

 自分自身を含めて。

 いや、憎んでいるというのとも少し違うだろうか。

 言うならば、そう……過ちそのものだと捉えているかのような……。


 最愛の人を死の淵に追いやった元凶なのだから、当然と言えば当然だ。

 もし、アルヴィースが……アークヴィオンが禁を犯し、テオセベイアの子孫など生み出さなければ、六柱の神の怒りに触れることもなければ厄災が起きることはなく、私たちの従兄は平穏無事な人生を送れた。

 その場合、アスヴァレンが生まれることもなければ、従兄と出会うこともなかった。


 そういえば、と私はあることに思い当たる。

 二百年前に起きた出来事について、前にアスヴァレンから聞いたことはあるものの、私たちの従兄が……エレフザード陛下の前世が、どのように命を落としたについてまでは聞いていない。

 私自身、敢えて知る必要もないと考えて追求することは避けて来た。


 私は知らずの内にごくりと喉を鳴らす。

 今まで聞こうとしなかったのは、興味がないからではない。

 どちらかと言うと、知るのが怖かった。


「……アスヴァレン」


 私は一瞬迷ったものの、兄の横顔に向かって呼び掛けた。

 聞こえていない筈はないけれど、彼は何の反応も示すことなく、二枚目のクッキーを囓る音だけが響く。


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