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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
113/138

112話「我が剣、我が忠誠は貴女のために」

 天幕を出た頃には、既に夜の帳が落ちていた。

 所々に松明が設置しているものの、数メートル先は闇だ。

 暗闇を怯える性質でもないけれど、不安な振りをしてさり気なく陛下に身を寄せる。

 陛下は私の背に手を添え、足下や周囲に危険がないか十分に気を配ってくれる。


その際、陛下の左腕の様子を改めて確認してみたけれど、あの忌まわしい黒い靄は見当たらない。

 いったいどういうこと?

 ……「交歓の儀」を行ったことで、呪いが完全に解けたのだろうか。

 それに越したことはないものの、油断は禁物だ。


 やがてある天幕へと辿り着くと、陛下に促されるままに中へと入った。

 ティエリウスの周辺は、ブラギルフィア地方よりも気温が低い。

 春とは言え、夜になると冷え込む。

 天幕の内には火が焚かれ、外気から遮断された空気を暖めてくれている。


 安堵を覚えたことで、私は思わず詰めていた息を吐き出した。

 その時、陛下に腕を引かれたかと思うと、次の瞬間には抱き締められていた。


「美夜」


 私は口を開きかけたものの、上手く言葉を構築することができず、意味を成さぬ声だけが漏れた。

 代わりに、陛下の背に自分の手をそっと添える。


 ああ。

 私は、ようやく帰って来ることができたのだ。

 自分の在るべき場所に。

 今の今まで、他の誰かの目がある場所ではずっと抑えていた感情が、一気に込み上げて来る。

 陛下の温もりを感じながら、瞼の裏がじんわりと熱くなるのを感じた。


「こうしてまた会えて……良かった、本当に」

「……はい」


 嗚咽にも似た声でそう答えた時、瞳から溢れ出した何かが頬を伝って零れ落ちた。

 慌てて瞬きして、無理矢理にそれを留める。

 私の顔を覗き込んだ陛下が、小さく笑う気配があった。

 気恥ずかしく思う間もなく、陛下の指先が私の目元を拭う。


 私から少しだけ身体を離した陛下が、真っ直ぐに私を見つめる。

 そこに戯れの色はなく、切ないまでにひたむきな目が私を捉える。


「ティエリウス王城でも既に言ったが」


 言葉を紡ぎながら、そっと私の手を取る。


「主神は、姫神テオセベイアに仕える存在として我が祖を創造なされた。ならば、ブラギルフィアの騎士が仕え、守るべきは彼女の血を引く貴女ただ一人」


 金色の双眸に映る私もまた、神妙な面持ちでその言葉に耳を傾けている。

 陛下が言葉を切った時、無言で頷いた。

 それから、躊躇いがちに口を開く。


「はい。確かに、ブラギルフィア騎士としての誓いについては伺いました。それに、主君への報告も」


 陛下は私をじっと見つめたまま、不意に表情を和らげた。

 それから、少しだけ苦笑して続く言葉を紡ぐ。


「あの日……誓いを立てた時点では、美夜の出自について皆に知らせることにはまだ迷いがあった。できれば、事実は伏せたままのほうが美夜のためにもなるではないか、そう思っていた。しかし、それはあまりにも思い上がった考えだと思い知らされたよ」


 そう言って小さく首を振った。

 何の話かわからず、きょとんと見上げる私の髪をそっと撫でて、続く言葉を口にする。


「ブラギルフィアとは、姫神が愛した地。本来なら、この国は貴女のものだ。あの奇跡を……深淵を自由自在に渡る奇跡を目にした時、そう実感した」

「そう、でしたか」

「だから、美夜」


 陛下は私の名を呼び、両手でそっと頬を包み込んだ。

 私は心臓が早鐘を打ち始めるのを感じながら、続く言葉を待つ。


「貴女の出自を公にしたことで、良からぬことを企てる者がこの先も現れるだろう」

「……ベレス王のように」

「ああ、そうだな。だが、この先何があっても俺が貴女のことを守る。我が剣、我が忠誠を貴女に捧ぐと改めて誓おう。……その代わり、未来永劫離れることは許さない」


 以前、現代日本で過ごした時と同じ言葉。

 だけども、今度は私たち個人で交わすだけではなく、国や多くの臣下を交えた上での誓い。


「元より、私の心は決まっています」


 それに対して私は、静かな、あるいは素っ気ないようにも聞こえる声音で答えた。

 臣下や国民を巻き込もうとも、他国との関係が悪化しようとも……これはさすがに困るけれど……私の覚悟が揺らぐ筈がないのだ。

 陛下と離れて別の道を生きるぐらいなら、私は迷えず死を選ぶ。

 だから、私の出自を公開するかしないかなど大した問題ではない。


 それよりも、他にもっと重要なことがある。

 私は陛下との距離を詰めて、胸が触れそうな位置で顔を上げる。


「美夜?」

「本当に、誓っていただけるのですね?」

「ああ、当然だろう」

「ならば……」


 陛下を見上げたまま、両の瞳を閉じる。

 私の意図を理解したためか、陛下がたじろぐ気配があった。


 玉座の間で再会した時、私からはしたけれどそれだけでは不十分だ。

 だって、私とて女の子。

 やはり好きな人からしてもらいたいと思うのは当然のこと。


 何を躊躇っているのか、陛下が小さく呻くのが聞こえた。

 先ほどのように自ら彼の首に腕を回し、背伸びしてやり遂げたい衝動を抑え、じっと待つ。


「……美夜」


 困惑と諦観が入り交じった声が聞こえた。

 正直、拒まれるのは嫌だなと思う。

 拒まれたからと言って嫌いになるわけじゃないけれど、やはり少し傷付く。


 そもそも、いったい何故迷う必要があるのだろう。

 瞼が痙攣し始めた頃、小さな嘆息と共に陛下の手が頬へと触れる気配があった。

 私は大いに緊張しながら、次の瞬間を待つ。

 唇に触れる柔らかさに、自分の願いが成就したことを知る。

 とは言え、それは本当にたった一瞬のことだった。


「……美夜」


 陛下が離れる気配を感じ、片目だけ開いて覗うと、彼は決まり悪そうに苦笑を浮かべている。


「状況が状況だ、今日はここまでにしておこう。そうだ、腹が空いただろう? すぐに食事を……」

「……食事では満たされないものもあるのではありませんか?」

「美夜」


 陛下が溜息交じりに私の名を呼ぶ。

 その時、私の脳裏にある考えが閃いた。


「『それ』が満たされない限りは何も食べられません。例え飢えて死ぬことになろうとも、パン一切れさえ喉を通らないのです。つまり、文字通り私の命運は陛下の手の内にあるのです」


 私の言葉に、彼は弱り切った様子で眉根を寄せる。

 やがて、根負けしたのか先ほどよりも長い溜息をついた。

 陛下は私の頬へと手を添え、空いているほうの手の親指で唇をなぞった。

 真っ直ぐに目を見つめ、そっと囁く。


「……わかった。貴女の望む通りに。だが、その代わり、二度と死ぬなどと口にしないでくれ。例え冗談だとしても」


 あまりにも真剣な口調と眼差しに、私は頷くことしかできなかった。

 瞼を落とした後、再び唇が触れ合う気配があった。

 今度は、先ほどよりもよりも長い。

 しかも、一瞬離れたかと思うと、すぐに再び重ねられる。


「……ふ、っ」


 息苦しさを覚えた私は、口付けの合間に小さく声を漏らした。


「陛下、もう……」


 十分です、と言いかけた言葉は、何度目かの口付けによって遮られた。

 強く抱き締められていて、殆ど身動ぐこともできない。

 不意に、背中に硬質なものを感じた。

 どうやら、天幕を支える柱のようで、これでは身を引くことできない。


 ……ようやく解放されたのは、緊張と息苦しさで文字通り息も絶え絶えになった頃だった。


「……っ、はっ……」


 忙しなく早鐘を打つ心臓は、今にも皮膚を突き破りそうなほどだ。

 その鼓動を感じながら、荒々しく呼吸を貪る。

 今の表情を見られることには抵抗があって、陛下の胸に額を押し当てて相手の視線から逃れる。

 心臓付近に触れられた瞬間、一際大きく跳ね上がった。


「随分と鼓動が速くなっているな」

「だって……当たり前です」


 半ばふて腐れながら答えると、陛下が小さく笑う気配があった。

 それから、私の頭を抱き寄せて嘆息混じりに呟く。


「……迂闊に触れると歯止めが利かなくなることはわかっていたからな。だから、近付きすぎないように自分に言い聞かせていたのに」


 そう言いながらも、心臓の辺りに押し当てた手はそのままである。

 ……何と言うか、位置的になかなかに際どい場所である。

 そのことを指摘するべきか、あるいは身を引くべきかと悩んでいたら、その手がやや下方へと移動する。


 思わず身構えたけれど、予想に反して陛下はすぐに手を離した。

 視線を持ち上げて相手の顔を覗うと、首を左右に振るのが見えた。


「ここはあくまで即席の野営地に過ぎないからな。……この間の約束を果たすのは、帰還してからにしよう」


 この間の約束、と聞いてどきりとした。

 ああ、そうだった。身も心も結ばれた日に交わした約束だけど、色々あってまだ果たせないままなのだ。


「取り敢えず。今は夕食にしよう」


 とは言え、今の状態ではその提案に同意するしかない。

 頷くと同時に、自分が空腹であることを強く実感した。


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