110話「一堂に会する」
「お母様……」
掠れた声で呟くと、それが聞こえたのか母は僅かに瞼を持ち上げた。
私の姿を見つけると、口の端を吊り上げて笑った。
その瞬間、ぞくりとした名状し難い感覚を覚えてしまう。
今のはいったい何?
けれども、それを確認する暇もなく事態は目まぐるしく進む。
再び両目を閉ざした母へと、グレンが声をかけた。
「大丈夫ですか、美桜子様。今すぐお部屋に……」
そう言って、慎重な動作で車椅子を押そうとする彼を制止したのはアルヴィースだ。
「ああ、それには及ばない。君も知っての通り、私たちはこの近隣で野営しているからね。彼女も、一度そちらに連れ帰ることにするよ」
「貴殿は……」
アルヴィースを前に、グレンは何やら複雑な表情を浮かべる。
その申し出には賛同しかねるといった様子だけど、ここで母が口を開いた。
「心配しないで、グレン」
「ですが、美桜子様……野営地よりも、王城に留まられたほうがよろしいのでは」
「ううん、いいの。それに、美夜ちゃんともお話したいし」
母の言葉に、グレンは私を振り返って見た。
暫しの思案の後、一歩下がって頭を下げる。
「承知いたしました。……アルヴィース殿、美桜子様のことを、どうか」
アルヴィースに言い含めるように告げると、彼はカイルやリヒトたち近衛兵のところへ戻って行く。
完全に気持ちを切り替えたのか、母のことを振り返ろうとしない。
リヒトが、隊長に代わって私たち親子に付き従うと申し出ていたけれど、グレンはそんな彼を軽く小突いてその案を棄却した。
そういえば、彼の……彼らの行いこそ、反逆行為に当たるのではないだろうか。
……私としては彼らに助けてもらった身でもあるのだから、そう悪いことにならなければいいのだけど。
珍しく他人の心配をする私の肩に、優しく触れる気配があった。
顔を上げれば、いつの間にか傍まで来ていた陛下と目が合う。
再び心臓が小さく跳ねた。
「……彼らなら大丈夫だ。俺が必ず何とかしてみせる。今は、一度この場から退こう」
「は……はい」
周りを見れば、先ほどまでの混乱の名残はまだ感じられるものの、一応は沈静化したようだ。
ベレス王は既に運び出され、近衛兵たちもグレンの指揮に従って退室して行く。
聞きたいこと、言いたいことはたくさんあるけれど、陛下の言う通りここに長居するべきではない。
今の今まで、自分で思う以上に緊張状態が続いていたのか、それが解けた途端に脱力感が襲ってきた。
陛下に支えてもらいながら、私は詰めていた息を吐き出すと共に言った。
「陛下がご無事で……またお会いできて良かったでです」
陛下は多くは語らず、「……ああ」とだけ言って私をそっと抱き締めた。
その後、私たちはティエリウス王城を後にして、城壁の外で待機していたブラギルフィア騎士団と合流した。
ティエリウス側からの妨害を心配したものの、野営地へと難なく戻ることができた。
野営地は城門から数キロ離れた場所にあるらしく、その道中、私は陛下の馬に同上させてもらう形となった。
母については、既にアルヴィースが身体を横たえたまま移動できる馬車を用意してくれていたため、そちらも何ら問題ない。
些か準備周到すぎるのは気になるものの、今のところは何もかも順調だ。
城壁の外にも神花は咲いていたけれど、ティエリウス王城の庭のように地面を青く染め上げるほどではない。
所々に点在している、といった感じだ。
背面に陛下の気配を感じながら、馬に揺られること数十分、森の近くに設置した野営地に到着した。
そして、陛下に促されて私たちは一際大きな天幕へと移動した。
今、天幕の中にいるのは私と陛下、アスヴァレンとアルヴィース、そして母だ。
「これを飲むといい」
「んんー……」
寝台に横たわった母は、アルヴィースから受け取ったカップを受け取り、それを傾ける。
中身は何らかの薬湯のようだけど、その味は母のお気に召さないらしく、眉根を寄せる。
アスヴァレンは地べたに強いた布の上で胡座をかき、先ほどからずっとお菓子を食べている。
私は陛下と共に長椅子に腰を掛けながら、母の様子を眺めていた。
座り心地は、お世辞にも良いとは言えない。
野営地に持ち込むだけあって、造りは簡素なようだ。
でも、隣に陛下がいる、その事実だけでティエリウス王城の居心地の良い自室にいた時の何倍も満たされた気分だ。
母は相変わらず疲れ切った顔をしているものの、その薬湯を飲んだら幾分か顔色が良くなったようだ。
それにしても、と母を覗いながら私は思った。
いったい母の身に何が起きたと言うのだろうか。
数日前までは特に異変は見られなかった筈だ。
なのに、いきなり一人で歩くこともままならないほど容態が悪化するなんて。
その時、顔を上げた母と目が合ってしまった。
決まり悪さを覚える私に、母は力なく笑いかける。
「美夜ちゃん、私ならもう大丈夫よ。心配かけてごめんなさいね」
「……そうですか」
素っ気なくなりすぎないよう、配慮しながら答えた。
心配していたわけじゃない、と言いたい気持ちもないではないけれど、陛下の前でそう口にするのは憚られる。
当の陛下は、立ち上がると母に向かった頭を下げた。
「美桜子殿、初の顔合わせがこのような形になり、実に申し訳ない。ご体調の優れない中、同行していただいたことに感謝する」
そんな陛下とは裏腹に、母は至って気楽な調子で手をパタパタと振ってみせる。
「いいのよ、いいのよ。そんなに固くならないで頂戴? 私たち、もう親子も同然でしょ? それにね、私からするとあながち初めましてでもないのよね」
「え? ああ……」
ちゃっかり余計なことまで言う母に、陛下は一瞬きょとんとしたけれど、すぐに合点がいったみたい。
……そうだ、母は私の従兄と……即ち前世の陛下と面識があった。
陛下の横顔を覗うも、そこに浮かぶのは朗らかな表情で、内心何を思ったかまでは汲み取れない。
「そうか。それほどにまで似ているのか」
「どんなに似ていても、陛下は陛下、私の従兄ではありません。魂が同じとは言え、記憶まで共有しているわけではないのですから、お母様とは初対面同士です」
気付けば、私は口を挟んでいた。
母は「それもそうねぇ」と頷いているものの、私の言わんとしたことが伝わったかどうかは怪しい。
いや、伝わっていない気がする。
母は疲れた顔に笑みを浮かべ、何やらご機嫌な様子で私と陛下を見つめている。
「……お母様?」
「ふふ、今まで色々あったけれど、やっと家族が全員揃うことができて良かったなーって思っていたの」
そこで言葉を切ると、僅かに目を伏せた。
長い睫毛が顔に影を落とし、憂いを帯びた雰囲気を演出する。
「この二年間、長かったわ」
「美桜子殿」
母に対して果たしてどんな認識を抱いているのか、陛下は沈痛な表情を浮かべた。
「貴女のお陰で、美夜のところまですぐに辿り着くことができた」
陛下の声音からは、真摯な思いを有り有りと感じた。
そういえば、ティエリウスの近衛兵がどういう経緯で私を庇う側になったのか詳しくは聞いていない。
あの時の様子からして、母が手引きしたのは確かだと思うけれど。
私の疑問に答えるように、陛下がこちらに顔を向けて語り始めた。




