109話「そして、奇跡は起きた」
「……すまない」
陛下は苦笑交じりに言って、そっと私の髪を撫でる。
次に沈黙を破ったのは、意外にもリヒトだった。
「テオセベイアの孫って……え? 待って、え? それ、マジ?」
彼は私を振り返り、上擦った声で言った。随分と砕けた口調だけど、おそらくこれが素なのだろう。
「気安いぞ、リヒト」
「へっ? あ、す、すみません」
グレンに諫められ、リヒトは慌てて頭を下げた。
それでも私のことが気になって仕方ないようで、不躾な視線を向けて来る。
いや、彼だけではない。
事情を把握している母やベレス王を除き、誰もが私に注目している。
あちらこちらから人々のざわめきが沸き起こる中、厳かな声が響いた。
「お言葉ながら、ブラギルフィア王よ、それこそが妄言ではありませんか」
侍女頭である。
彼女はベレス王を他の者に任せ、台座の上から陛下を見下ろしている。
「半神半人のテオセベイアに生殖能力がなかったことは、誰もが知り得る事実。彼女がテオセベイアの孫だと仰るのならば、その確たる証拠を提示するべきではありませんか? それができぬなら、恐れ多くも貴方の行いは君主への反逆と言わざるを得ません」
侍女頭は、他国の王を前にして怯むことなく淡々と告げる。
私とサリクスの婚姻の話が上がった時、他の侍女たちは別室へと移されたけど、彼女だけはその場に残っていた。
だから、彼女も私の出自について知っている筈だ。
……つまり、後からでも陛下を「姫神の孫を奪おうとした反逆者」に仕立てるつもりだろう。
その場に集まった者たち……グレン率いる近衛兵たちも、ブラギルフィアの騎士たちも、疑念と困惑の表情を浮かべる。
彼らは私の味方側の筈で、そんな彼らを戸惑わせるのは、一見すると良くない流れにも思える。
緊迫した雰囲気の中、穏やかな声が聞こえた。
「証拠ならば、私たちが提示してみせましょう」
さほど大きくはないのに、よく通る声だった。
声がしたほうを振り返れば、開け放たれた扉の近くに二人の男が立っている。
一人はアスヴァレンで、今の発言はもう一人の男によるものだった。
淡い金髪と金色の双眸をした男で、聖職者を彷彿とさせる柔和かつ高潔な雰囲気を纏っている。
……少なくとも、表面上は。
初めて見る顔にも関わらず、その面立ちや立ち振る舞いから、私には彼が誰なのかすぐにわかった。
彼はアルカイックスマイルを浮かべながら、室内へと足に踏み入れる。
半歩遅れてそれに続くアスヴァレンは、相変わらず気怠そうに欠伸を噛み殺しているけれど、陛下の姿を見た途端に顔を綻ばせた。
「……何者だ?」
「申し遅れました。私はアスヴィース、ミストルト王家に連なる者。そして、嘗てのブラギルフィア王アークヴィオンとテオセベイアの間に生まれた子」
ベレス王に問われ、彼は恭しく一礼すると共にそう名乗った。
アルヴィース……父の言葉は、この場に居合わせた多くの者に衝撃を与えた。
ある者は目を大きく見開いたまま唖然と佇み、またある者は手で口元を覆いながらアルヴィースを凝視している。
アルヴィースの隣で、アスヴァレンは小さく肩を竦めて言った。
「やぁ。ブラギルフィア王国筆頭錬金術師アスヴァレンだよ。でもって、アルヴィースの息子にして、その子の兄」
と、私に向けて無造作に顎をしゃくってみせる。
何だか、まるで犬猫を紹介するようなぞんざいな扱いに思えるのは気のせいだろうか。
それから彼は、白衣のポケットに手を入れながら半眼でアルヴィースを見た。
「証拠の提示とやらは、あんただけでしてくれる? ここ最近、忙しくて寝不足で頭が回らないんだよね。昨日なんか、ついに睡眠時間が十時間を切ったし……」
最後のほうは殆ど欠伸混じりだった。
アルヴァレン本人の意図はどうあれ、彼の発言は確実に更なる衝撃をもたらした。
多くの人々が、私とアスヴァレンとを見比べるように忙しなく視線を移動させる。
「出鱈目だわ」
混乱の中、侍女頭の鋭い声が響き渡る。
そんな彼女に、アルヴィースは「落ち着きなさい」と穏やかな声で言った。
アルヴィースが片手を持ち上げ、小さく動かした。
次の瞬間、彼の手には数輪の花があった。
秋桜のようで、それぞれ色も花片の形状も異なっている。
その奇跡を目にした人々が、一際甲高い声を上げた。
当のアルヴィースは涼しい顔で、もう片方の手に今度は葡萄を出現させた。
一番近くにいた侍女に、「どうぞ、お嬢さん」と言ってそれらを手渡す。
事態が呑み込めずにいる彼女は、大いに困惑しながらも「ありがとうございます」と受け取った。
アルヴィースは皆の視線を一身に集めながら、それに臆する様子もなくベレス王へと向き直る。
「ご存知の通り、無から有を生み出すことは、いかに錬金術師とは言え人の身では不可能と言われています。ですが、私にはそれが可能なのです」
言いながら、彼は様々な種類の花を出現させていく。
やがて小さなブーケを作れるぐらいの花を集めると、ご丁寧にも虚空から生み出したリボンでそれを纏めてみせた。
即席のブーケを手に、彼は私へと歩み寄る。
「婚約おめでとう、我が娘よ。父として、これほど喜ばしいことはない」
「……ありがとうございます、お父様」
穏やかな笑顔と共に差し出されたそれを受け取りながら、私の台詞は完全に棒読み状態だ。
でも、今この状況で私の複雑な心境まで汲み取れる者はいないだろう。
私に対する愛着はないというのに、公衆の面前で臆面もなく父親面できるその胆力はある意味素晴らしい。
誰もが言葉を失い、アルヴィースを凝視している。
彼は笑みを貼り付けたまま、部屋に集まった人々に一人ずつ視線を送る。
「これで、ご理解していただけたでしょうか。私はテオセベイアの……神の血脈を受け継ぐ者。そして、私の息子と娘も」
そこで一度言葉を切り、私とアスヴァレンとに視線を向ける。
他の者も彼に倣ったため、今度は私たち二人が注目される番だ。
玉座の場にざわめきが戻る。
たった今、目にしたばかりの奇跡をどう受け止めて良いかわからず、誰もが困惑の様相を見せる。ベレス王を覗えば、完全に無表情で皆を睥睨しているけれど、その額にはうっすらと汗が浮かぶ。
この状況に焦りを覚えているのだろうか。
アルヴィースの言葉を完全に信じたわけではないけれど、彼が見せた奇跡を前にすれば虚言だと切り捨てることもできない……そんな空気の中、彼は訥々と言葉を紡ぐ。
「皆様もご存知の通り、テオセベイアには生殖能力がなかった。主神が彼女をそのようにお創りになったのか、あるいは生まれ持った神性と引き換えに失われてしまったのかはわかりません」
穏やかな、それでいて力強さを感じさせるその声には、ある種の魔法にも似た不思議な力があった。
アルヴィースが語り始めると、誰もが彼を注視せずにはいられなくなる。
「多くの者が生まれ、神域の落とし子を授かり、そして亡くなっていく中、彼女だけは老いることも死せることもなくこの地に在り続けた。……さぞや孤独だったことでしょう。どんなに親しい者も、必ず自分を置いて先に逝ってしまうのですから。そんな彼女に手を差し伸べたのが、我が父アークヴィオンだったのです。彼はテオセベイアを愛し、テオセベイアもまた彼を愛した。それは、あるいは禁忌だったのかもしれない……しかし、主神はそんな二人を赦し、そして祝福したのです。主神の祝福を受けた二人の間には人智を超えた奇跡が起き、その結果、私はこの地に生を受けました」
神聖な神託、あるいは預言を告げるようにアルヴィースは厳かに告げた。
その言葉には妙な重みと説得力があり、先にアスヴァレンから事情を聞いていた私でさえ信じてしまいそうになる。
ちらりとアスヴァレンを覗うと、私の視線に気付いた彼は苦虫を噛み潰したような顔で肩を竦めた。
やはり真っ赤な嘘ということか。
とは言え、この状況で真実など話せる筈がない。
何しろ、アークヴィオン……ミストルト王家の先祖が犯した罪で神の怒りを買い、国を滅亡寸前まで追い込んだというのが真相なのだから。
「まさか、そんな……」
「じゃあ、本当に姫神様の……」
人々が一斉にざわめき始める中、アスヴァレンは大仰に嘆息してみせる。
「ああ、もう、まだるっこしいなぁ。あれを見せたほうが早いんじゃないかい?」
アスヴァレンがそう言った時、一人の男が文字通り部屋に転がり込んできた。
格好からして、王城に仕える庭師か何かだろう。
「陛下、失礼いたします! た、大変です……! ああ、あれは、何て言うのか、何て言ったらいいか……と、とにかく外を……!」
よほど混乱しているらしく、舌が縺れて言葉を上手く紡げずにいる。
転びそうになる彼を手助けしながら、ある騎士が「外?」と聞き返した。
この玉座の間には窓がなく、何人かの騎士が部屋の外へと向かう。
それから間もなく、血相を変えて戻って来た。
「そ、そんな……! 信じられない!」
「まさか、二十二年前の……」
何か信じ難いものを目にしたのは間違いないけど、それが何なのかは見当も付かない。
いったい何があったのだろう。
気になる、とは言え勝手に動いても良いものだろうか。
逡巡する私の肩を叩く気配に顔を上げれば、陛下と目が合った。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、私を促す。
私もまた、心臓が小さく跳ねるのを感じながら小さく頷いた。
陛下と共に廊下へと出て、窓の外の景色を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
天地がひっくり返ったのかと思うような、一面の青。
地面を覆い尽くすほどに、青い花が咲き乱れている。
私は窓辺に立ち、信じられない思いで視界を埋め尽くす青に見入る。
初めて目にする花なのに、それが咲き乱れる様は、私に望郷にも似た切なさを抱かせた。
胸の奥から、名状し難い気持ちが溢れ出す。
「フィリス・リュネだ」
「これが……」
陛下からそう聞いても、私は驚かなかった。
一目見た時から、心のどこかでそう確信していたから。
二十二年前……陛下が誕生した年に国中に咲き乱れたという神花。
それが今、私たちの視界を青く染め上げるほどに花を咲かせている。
「こいつを見れば一目瞭然だよね」
背後から聞こえた声と共に、肩に触れる気配があった。
見れば、私と陛下の後ろに立ったアスヴァレンが私たちの肩に手を乗せている。
彼は陛下に向けて、慈しむような笑みを浮かべて言った。
「エル、君の選択は正しいんだよ。美夜をこの世界に留めることも、王妃として迎えることも。ほら、何たって世界そのものが祝福してくれてるんだからね」
「……アスヴァレン」
陛下がすっと目を細め、切なそうにアスヴァレンを見つめ返す。
アスヴァレンもまた、笑みを深める。
この奇跡を前に、人々の喧噪は相変わらず続いているにも関わらず、ここだけ世界から切り離されたかのように穏やかな空気に包まれている。
……そして、見つめ合う二人を尻目に、私だけ蚊帳の外である。
何これ。
声をかけるべきか否か迷っていると、不意にアスヴァレンが私を振り返った。
その顔には、相変わらず眠たく気怠そうな表情が浮かんでいる。
「……ま、そういうわけだからね。君なんかにエルにはもったいなさすぎるけどさ、でも、エルは君がいいんだってさ。何か、君じゃなきゃ嫌なんだってさ。エルの幸せより大事なものなんか、この世に何ひとつとしてないからね。……だから、認めてあげるよ、君のこと」
それだけ言って、はぁ……と重苦しい溜息をつくアスヴァレン。
ひくっ、と思わず顔が引き攣るのを感じる。
こ、この男……。
多分きっと、「世界が祝福している」こと自体は彼にとってついでのようなものだ。
陛下の幸せこそが最重要事項なのだ。
常に揺るがないその信念、価値観はいっそ天晴れと言える。
「それはそれは、ありがとうございます」
慇懃に言って肩を竦めた時、鋭い悲鳴が響いた。
玉座の間からだ。
次いで、部屋から顔を覗かせた侍女が青ざめた声で叫ぶ。
「今すぐ助けを……医師を! 医師を呼んで! すぐにでも人手を……陛下が……!」
それを聞いた陛下が目の色を変えた。
身を翻し、部屋へと駆け込む。
雰囲気からして、ベレス王の身に何かあったらしい。
私はどうするべきだろうか、そう思った時、アスヴァレンが言った。
珍しく神妙な面持ちである。
「僕たちも行ったほうがいい。……多分、美桜子も……」
「お母様が……?」
言葉を濁す彼に、その先を促そうとするもそれ以上は話してくれない。
何やら嫌な予感を覚えつつ、陛下の後を追って部屋へと戻る。
まず視界に飛び込んで来たのは、ベレス王を取り囲む陛下や侍女頭の後ろ姿。
「陛下! どうかお気を確かに!」
ぐったりとしたベレス王を寝台(本来なら私とサリクスが使わされる予定だったものだ)へと寝かせ、介抱している。
一瞬その様子に見入ってしまった私だけど、母のことを思い出して我へと返った。
母はすぐに見つかった。
車椅子に座ったまま、真っ青な顔で手足をだらりと投げ出している。
その尋常でない様子を見た瞬間、私は頭の中が真っ白になった。




