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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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108話「騎士の忠義と誠心」

 陛下が私を真っ直ぐに見つめ、お互いの視線が絡んだ。

 ほんの一瞬の出来事だったけれど、体内に電流が走るような感覚があった。

 安堵、そして高揚、二つの異なる感情が本流となって私の内で渦を巻く。


 彼は躊躇いがちに私から視線を外し、室内を見回した後、玉座に腰掛けたベレス王へと向き直る。

 ベレス王の前に歩み出ると、その場で跪いた。

 他のブラギルフィア騎士もそれに倣うも、リヒトだけは私に侍ったままだ。

 リヒトは肩越しに振り返り、私を励ますように笑顔を見せた。


「ベレス陛下、ご無沙汰しております。突然の訪問をご容赦いただきたい」

「エレフザード」


 ベレス王は奥歯を噛み締めるように言った。声音こそ静かなものだったけど、そこには困惑と苛立ちが伺える。


「いったいこれはどういうことだ?」

「ミストルト王家の者がこちらでお世話になっていると伺い、迎えに参りました」

「ああ、待ちくたびれちゃったわー」


 母は、車椅子の上で伸びをしながら欠伸交じりに言った。

 そんな彼女を、ベレス王は鋭く振り返った。

 彼は、信じられないといった表情を浮かべている。


 正直、この時ばかりは私も彼に同調したい気持ちだった。

 母はいったい何を言っているのだろう?

 私と王の困惑など余所に、母はふにゃりという擬音が付きそうな笑みをエレフザード陛下へと向ける。


「来てくれてありがとう。ということは、アスくんは無事にお城に着いたのね?」

「お初にお目にかかります、美桜子殿。お察しの通り、アルヴィース殿から全て伺いました」


 私は母から陛下へと視線を移し、二人の言葉の内容を吟味する。

 まだ完全に状況が掴めたわけじゃないものの、少しだけ見えて来た。


 アルヴィースは……父は、無事にこちらの世界に転移できたみたい。

 陛下が母のことを……ティエリウス王城にいることを知っているのは意外だったけど、ベレス王から私とサリクスの婚姻について聞いた際に一緒に伝わっても不自然ではない。


 ベレス王は眉根を寄せ、覚束ない足取りで立ち上がる。

 その両脇を、二人の侍女が素早く支えた。


「美夜は、我がティエリウスの国母となる女だ。そのことは、すぐに国民全員が知るところとなる」

「お言葉ですが、ベレス陛下、そのご決断は彼女の意思を尊重してのものですか?」

「何?」


 空気が張り詰める、とはこのことを言うのだろうか。

 ところが、それもほんの一瞬のことだった。

 あまりにも場違いな、能天気極まりない声がその空気を変える。あるいは、壊した。


「あ、ベレス様。そういえば、美夜ちゃんはあまり乗り気じゃないみたいですよ? 確か他に好きな人がいるとか何とか」


 母は、いつもと変わらぬ口調でそう言った。

 今になって「そういえば」で切り出す話題でもなかろう。


 今更、この状況でそれを言うの?

あの時、私の味方をしてくれなかった癖に?

 私は怒るべきか呆れるべきかわからなかった。


 そんな私を振り返り、母はにっこりと笑う。

 私の中の綺麗な思い出の中の母と、全く同じ笑顔。

 なのに今は、一発ぶん殴ってやろうかと思うぐらい腹立たしく思える。

 この時、私は自分の中で何かが切れる音を確かに聞いた気がした。


「当たり前でしょう」


 私は努めて冷静な声で言って、ベレス王の前へと歩み出る。

 陛下の存在をすぐ隣に感じながら、高みから見下ろす偽りの王を睨み付ける。


「既に申し上げた通り、私はエレフザード陛下と将来を誓い合った身。私たちの間には、如何なる意思の介入もあり得ません」


 私が言葉を紡ぐと、室内に騒めきが起こった。

 私たちの婚約については、殆どの者がまだ知らないようだ。


「私は既に、身も心もエレフザード陛下のもの。ティエリウス国王の承認の有無など、私たちには何の関係もないのです。私とサリクスの婚姻? そんなの、耄碌したおいぼれの戯言だわ。寝言は寝て言いなさい! この、片足を棺桶に突っ込んだ死に損ないのクソジジイが! とっとと全身入ったら!」


 最初こそ冷静さを保とうとしたものの、それも長くは続かなかった。

 ここ数日間、抑圧され続けた感情が一気に爆発した。

 それは言葉となり、蛇口から流れ出す水のように留まることなく溢れた。


「私の母に何を吹き込まれたにせよ、それらは一切合切無意味な妄想です。頭のおかしい色ボケ女に唆されて不相応な虚妄を抱くのは勝手ですが、私と陛下の邪魔をすることだけは絶対に許さない。この先、私たちは何があっても、死んでも離れませんから。陛下もそう仰いました。ティエリウス王だろうと王太子だろうと、付け入る隙など微塵もないのです」


 息継ぎなしでにそこまで言って、一度言葉を切った。

 いや、正確には途切れた。


 興奮とそれに伴う酸欠で、頭が痛い。

 取り合えず、この場で言うべきことは一頻り言ってやった。

 私は自分が何をしようとしているのかわからないまま、陛下を振り返る。

 その金色の双眸に自分の顔を映した後、思い切り背伸びして口付けた。


 先ほどよりも、一際大きな騒めきが起こった。

 ああ、もう。

 この際気にするものか、と半ば自棄になりながら思った。


 念のために言っておくと、私は人目も憚らず不埒なことをするタイプではない。

 でも、時と場合によっては信条に反した行いをする必要もあるのだ。

 多分きっと、人生とはそういうもの。


 陛下が、吃驚すると共に身動ぎする気配があった。

 それでも、その背にしっかりと腕を回し、一部の隙間もできないぐらいに身を寄せる。

 彼の手が、私の背をそっと撫でる。

 躊躇いがちな動きの後、彼は私の肩に優しく触れて身体を離した。

 そして何事もなかったかのように、再びベレス王に向き直り、頭を下げる。


「本来ならば、私のほうから然るべき手順を踏んで報告するべきでした。事後連絡となってしまいましたが、私は彼女を……ミヤ・スメラギを妻として迎えます」


 ベレス王は大きく目を見開き、それから母へと鋭い視線を向ける。

 母はびくりと身を震わせ、不安そうな面持ちで、いつの間にか隣にいるグレンの手を握り締める。

 そんな母は、いかにも儚げで庇護欲を刺激する存在に見えるけれど、私の目にはこの上なくわざとらしく映った。


「どういうことだ? 美桜子」

「え? どう、って……」


 非難するように問われ、母は困惑を露わに眉尻を下げる。

 怯え切った様子だけど、いったいどこまで本心なのだろう。

 私の疑問など余所に、母はおどおどと言葉を紡ぐ。


「そんなの、私にはわからないわ。えっと、ベレス様には美夜ちゃんのお話をいっぱいしました。美夜ちゃんのことを知っていただきたかったから。サリくんのお嫁さんにする案にも確かに賛成しました。だって、美夜ちゃんもきっとサリくんを好きになると思っていましたもの。でも……」


 そこで言葉を切ると、母は穏やかな微笑を浮かべて私を見た。


「私の与り知らないところで、いつの間にか大人になっていたみたいね。他に好きな人がいるなら、このお話はなかったことにしなきゃね」


 しなきゃねって、貴女。

 私は思わず内心でツッコミを入れた。

 無責任に話を進めておいて、さすがにノリが軽すぎる。

 この人が私の出生の秘密をベラベラ話さなければ、ベレス王だってここまで私に執着することもなかっただろうに。

 ベレス王は陛下を振り返る。


「エレフザード、そなたの行いは反逆に他ならない。いや、そなただけではなく騎士団の者たちも同罪になるのだぞ? 私はそなたの忠義を、誠心を疑ったことなどこれまでなかった。それを……」

「騎士として、主君への忠誠は絶対である。私はそれを信条とし、己に課しております」


 憤るベレス王に、陛下はあくまで静かな声で答える。

 それを聞いたベレス王の眉間に皺が寄る。陛下の言葉の内容と行動の間に、大きな矛盾を覚えたようだ。


「私の誠心に揺らぎはない。そう自負しております。今、この瞬間も」


 そう言って陛下は立ち上がり、身体ごと私へと向き直る。

 暫く私を見つめた後、部屋に集まった面々へと視線を巡らせ、そして最後に再びベレス王へと向ける。


「主神は、姫神テオセベイアを守護する者として我が祖を創られた。姫神がこの地から姿を消してから二百年の月日が流れた今、彼女の血を受け継ぐ方がついに戻られた」


 ベレス王の顔に動揺が奔る。

 私自身、陛下のこの宣言には少なからず驚いた。

 彼は私の出生について、ひた隠そうとしていたのに。

 大半の者は、陛下の言わんとするところが理解できない様子で、困惑している。


「テオセベイアの……? いったいどういうことだ?」

「まさか、そんな……」

「それじゃあ……」


 何人か分の、躊躇いがちな視線が自分に向けられるのを感じる。

 私は居心地悪さを覚えながらも、気高い王女然とした佇まいでそれを受け止める。

 陛下の意図するところを理解し、鼓動が速くなる。

 金色の双眸が私を捉え、それからそっと身を寄せた。


「こちらの女性こそ、姫神テオセベイアのご令孫……彼女の血を、そしてその神性を受け継がれる方。そして、私が……否、ブラギルフィア騎士が全てを掛けてお守りするべきお方」


しん、と水を打ったように室内が静まり返る。

 そんな中、陛下は私の前に恭しく跪くとその手を取った。


「お迎えに上がりました、姫君。どうか我々と共に、ブラギルフィアへとご帰還いただきたい」


 陛下の双眸が私を真っ直ぐに見つめ、心を、魂をも絡め取る。

 胸が高鳴り、心がじんと熱くなるのを感じた。

 私は小さく頷くと共に、一言だけ呟いた。


「……遅い、です」


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