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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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107話「孤立無援からの急展開」

「は……」


 一瞬、何を言われたか理解できなかった。

 あるいは、脳が理解することを拒んだというべきか。


 少女小説の主人公なら、「子を成す」の意味がわからずに、無邪気に「赤ちゃん作ってみたいですぅ」と言ってにこにこ笑うのが定石だ。

 しかも、本人の代わりに周囲が慌てて止めに入るまでがセット。

 でも、生憎と現実はそんなふうに都合良くは行かない。


「恐れ入ります、陛下」


 心臓が早鐘を打つのを感じながら、何とか落ち着き払って答える。

 私は自力でこの場を切り抜けるしかない。

 幸いにして、私は十五にもなって妊娠の仕組みを知らないほど無知じゃない。

 ベレス王の言わんとすることを、理解するだけの頭を持っている。


「陛下のご期待に応えたい気持ちは山々ですが、私は婚姻まで純潔を守る誓いを立てた身です。幼い頃から、そのように教育を受けて参りました。サリクス殿下はとても寛大で聡明なお方、この想いを理解していただけるものと存じ上げております」


 と、即興で思い付いたことを並べ立てる。

 もちろん何もかも嘘だ。

 私はもう既に経験済みだし、サリクスに対してそんな印象など欠片も持ち合わせていない。


 ちらりとサリクスを伺うと、案の定と言うべきか、可笑しさを堪えるような苦笑を浮かべている。

 彼は、積極的に私と交わりたいと思っているわけではない。

 何とか彼が私に協力してくれるといいのだけど……。


 そう思った矢先。


「お言葉ですが、姫」


 姫、を殊更強調するようにサリクスが言った。


「姫の貞淑さは実に素晴らしい。母上から愛情持って大切に育てられたことが伺えます。貴殿のような女性を妻として迎えられることを、心から誇りに思います」


サリクスはサリクスで、何の躊躇いもなく嘘八百を並べ立てる。


「私としましても、姫のお気持ちを尊重したい。ですが、陛下ご自身が仰った通り、陛下の容態は予断を許さぬ状態が続いています。……ここは一つ、ティエリウスの、いや、諸侯連合の国母となる身としての覚悟を見せていただきたい」


 私は言葉に詰まった。

 前々から思っていたことだけど、この男は相当に弁が立つ。

 そして、かなりの役者でもある。

 こうして滔々と語る様を見ていると、それが真っ赤な嘘だとわかっている私でさえ、雰囲気に呑まれそうになる。


 侍女たちへと視線を向けると、神妙な面持ちで頷いている。

 駄目だ、彼女たちはベレス王側だ。

 サリクスが軽く手を持ち上げると、それを合図と受け取ったように侍女が動いた。

 二人の侍女が、部屋の一角に掛かったカーテンを開けると、その向こうには広いベッドがあった。


 あまりの用意周到さに、私は思わず鼻白む。

 今すぐというのは「近い内に」ではなく、文字通りの意味だったのか。

 私はごくりと息を呑み、再びベレス王へと向き直る。


「……今、ここで……という意味でよろしいでしょうか」

「左様。見ての通り、サリクスは身体が不自由だ。行為にも介助が必要となる」


 そう言って、カーテンを開けた侍女たちに目配せすると二人揃って頷いた。

 つまり、彼女たちが介助係ということか。


「月の障りは、昨日で既に終わったと聞いている」


 ベレス王の言葉に、思わず舌打ちしそうになった。

 今まさに、それを言い訳にして今日のところは何とか見逃してもらうつもりだったのだ。

 ところが、私の体調についても、やはりベレス王に逐一報告が行っているらしい。

 頼みの綱……というほど期待していたわけじゃないけれど、サリクスは全く役に立ちそうにない。


「仰る通りですが、陛下、この時期の女性の身体は孕みにくいものです」

「なに、構わぬよ」


 尚も抵抗を試みるも、王はあっさり答えた。


「一度で授かるものとは思っておらぬ。しかし、子を成すにしても先ずは行為に慣れる必要がある。……お前たち」

「はい」


 ベレス王に命じられ、カーテンを開けた侍女二人が私のほうへと歩み寄る。


「王妃殿下、どうぞこちらへ」


 私を間に挟む位置に立った侍女たちは、そのまま寝台のほうへと促す。

 不味い。

 これは非常に不味い。

 サリクスはサリクスで、既に寝台の側へと向かい侍女の手を借りながら準備を始めている。


 どうしよう。

 どうするのが最善か。

 この場から逃げ出す?

 いや、逃げ出したところですぐに捕まってしまう。逃げ場などどこにもない。


 いきなり卒倒する?

 そういえば、外食をしてお金を払う段階になると意図的に呼吸を止めて気を失うことで踏み倒そうとした犯人の話を聞いたことがある。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいけれど、他に手はない。


 私が呼吸を止めたその時、部屋の外で何やら騒いでいる気配がした。

 次いで扉を叩く音が聞こえたかと思うと、ベレス王の返事も待たずに開いた。

 そこに立っているのはグレンで、その背後には彼と同じ軍服を身に着けた男が数名……いや、十数名いる。


「グレンか」


 ベレス王は片眉を跳ね上げて言った。平静を保っているものの、この事態は彼にとって想定外の出来事のようだ。

 グレンは王座の前に歩み出て、片膝を着いた姿勢で頭を下げる。


「失礼いたします、陛下」

「グレン、今日はお前を呼んだ覚えはないが」

「はっ、無礼は承知の上です」


 グレンと一緒に現れた騎士が二名、私の前に歩み出て一礼した。


「美夜様、お待たせして申し訳ありません。どうか、こちらへ」


 そう言われた私は、大いに困惑してしまう。

 これは……彼らは私の味方だと思っていいのだろうか?

 そんな私を余所に、侍女頭が目を吊り上げてつかつかと彼らに歩み寄るのが見えた。


「何のつもりですか。今すぐ下がりなさい!」

「残念ながら、それはできかねます」


 ぴしゃりとした物言いにも動じることなく、彼は首を横に振った。

 もう一人の騎士に身振りで促され、我へと返った私は彼らの背後に隠れることにした。

 母から聞いた話によれば、彼らは近衛兵団の筈だ。

 つまり、国王を最も間近で守護する筈の騎士たちが、主君の意に反したことを行っている……ということだろうか。


「もう安心ですよ、美夜様」


 二人の騎士の内の一人が、私を振り返って人懐こそうな笑みを浮かべる。

 長毛種の猫を思わせる金髪と、万緑色の瞳を持つ青年だ。


「あ、ありがとうございます。あの、貴方たちは……」

「俺は近衛兵団の一人でリヒト、因みに黒髪のあいつはカイルね」


 事情はよくわからないけれど、助けてもらった以上は名前ぐらい覚えておくべきか。

 リヒトにカイル、と頭の中で反芻する。


 低い笑い声が聞こえて、顔を上げればサリクスが肩を震わせているのが見えた。

 彼は既に着衣を整えている。


「陛下……いえ、父上。何やらお取り込み中のようですので、私はこれにて退散いたします」

「サリクス」


 サリクスの物言いはまるで他人事のようだった。

 そんな息子に、ベレス王は咎めるような目を向けるけれど、サリクス自身はと言えば意に介した様子もない。


 多分、この男は私と子を成すことに関心があったわけではないだろう。

 むしろ、からかいや嫌がらせのほうが目的だったのではないかと思う。

 別室で待機していたのか、彼を迎えに来たと思しき二人の死人少女を伴い、そのままさっさと退室した。


 サリクスが去った後、室内は何とも言えない重苦しい雰囲気に包まれた。

 リヒトとカイルの他、近衛兵団の騎士たちが私を守るようにして、主君と対峙している。

 侍女たちはそんな彼らに険しい目を向けるけれど、数の上でも体躯でも完全に騎士たちのほうが上だ。

 ベレス王は騎士たちを睥睨した後、グレンへと視線を向けて厳かに口を開いた。


「グレンよ、お前は自分が何をしているのかわかっているのか?」

「もちろん存じ上げております。我々は、陛下にご報告申し上げるために参ったのです」

「報告だと?」

「今現在、王都をブラギルフィア騎士団が包囲しています」

「何?」


 ベレス王の顔動揺が走る。

 私は心臓が大きく跳ねるのを感じた。


 陛下がついに来てくれたのだ、と確信を抱く。


「あらあら、サリくんってばもう帰っちゃったのね」


 場違いなほど脳天気な声は、扉のほうから聞こえた。

 見れば、年若い騎士に押してもらう形で、車椅子に乗った母が入って来たところだった。

 数時間前に会った時と変わらず、やつれた顔をしている。


「お母様?」


 いったい何故、何のためにここに現れたのだろうか、様々な疑問が脳裏に浮かぶ。

 母は、やつれた顔いっぱいに屈託のない笑みを浮かべて、ベレス王へと向き直る。


「事情はグレンから聞きました。とっても素敵なお考えだと思うのですけど、サリくんも帰っちゃったことですし、今日のところはお開きということでどうでしょう?」


 呆気に取られたまま佇む私を余所に、王に向けてそんな提案を述べる。


 その時、廊下を駆ける足音が聞こえた。

 それは、間違いなくこの部屋へと近付いて来ている。


 私は鼓動が速くなるのを感じながら、開いたままの扉を凝視する。

 それからの数秒間は、未だ嘗て感じたことがないほど長く感じられた。


「美夜!」

 扉の向こうから、神々しいまでに美しい青年騎士が姿を現した。

 その瞬間、私の心臓は一際大きく高鳴った。


 ああ、そうだ。

 私が彼の足音を聞き間違える筈がないのだ。


「陛下……!」


 今、何が起きているのか、どのような事態になっているのか、まるでわからない。

 けれども、陛下の姿を見た瞬間、何もかもが頭の中から吹き飛んだ。


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