106話「玉座の間」
ベッドに身を投げ出すと、柔らかなシーツが私の身体を受け止めてくれた。
ああ、やっぱりベッドはクイーンサイズ以上じゃなきゃ。
でもって天蓋は必だわ、そんなことを考えながらもムカムカと腹が立って仕方がない。
因みに、私が養父母の家にいた時は、ごく普通のシングルベッドで寝ていた。
もちろん天蓋など付いていない。
母とは赤の他人だという自覚を持ったものの、やはりそう簡単には割り切れるものではない。
他人にはさほど興味がなく、死のうが生きようがどうでもいいというか、中学生の頃にクラスメイトが通り魔に殺された時も「気の毒に」としか思わなかった私である。
母のことも、今後はもっと受け流せると思ったのだけど……。
ぼすっ、と枕に拳を叩き込む。
柔らかな感触が拳を受け止め、手応えは全くない。まるで、母とのやり取りのようだと思った。
深呼吸を何度か繰り返す内に、少しずつ落ち着いてきた。
そうすると、先ほどの母の行動や小瓶の中身が改めて気になって来る。
いったい何の薬を飲んでいるのだろう?
扉を叩く音が聞こえて、思考を中断せざるを得なくなった。
居住まいを正した私が入室の許可を下すと、部屋へと現れたのは侍女頭だった。
チェルシーを含む二人の侍女が背後に控えている。
「失礼いたします、美夜様」
「午後からの予定は全て中止とのことですが」
「はっ。その件ですが、陛下から美夜様への伝言を預かっております。すぐにでも準備を済ませ、陛下のお部屋へと向かっていただいてもよろしいでしょうか」
いや、全然よろしくない。
せっかく時間ができたのだから、一人きりの時間を満喫しようと思っていたのに。
もちろん、そんなことを言える筈もない。
「……陛下から? いったいどのようなご用件でしょうか。母は今、同行できるような状態ではありませんが」
「本日、陛下は美夜様のみをお呼びです。詳細については、私たちも存じません」
せめてもの抵抗として尋ねてみたけれど、やはりそう簡単には引き下がってくれないだろう。
できれば行きたくない、というのが本心である。
別に、母がいないから心細いとかそういうわけでは……ないこともない、かもしれない。私一人でベレス王と対面するというのは、避けたい事態である。
「私も少し気分が優れなくて」
「陛下の元へ赴いて、その旨をお伝えされるのがよろしいかと。では、今すぐ準備に取り掛からせていただいてもよろしいでしょうか?」
よろしいでしょうか、と言いながら私に選択肢を与える気はなさそうだ。
内心では毒を吐きつつも、表面上は素直に承諾してみせた。
それから、本日二度目となるお着替えタイム開始である。
実際のところ、数人がかりで豪華なドレスを着せてもらったり、メイクをしてもらうのは嫌いではない。
いや、好きとか嫌いとかいう以前に、在るべき生活に近付いたというほうが正確だろう。
侍女や臣下に傅かれる生活を夢見ていたというのとも違う。
ただ、侍女も臣下もいない環境で自ら家事を行うという、それこそ庶民のような生活を強いられることに常々疑問と違和感があった。
ベレス王の御前に赴くとあってか、用意してもらったドレスは常よりも豪奢なデザインのものだった。
ワインレッドの生地を幾重にも重ねた、かなりボリュームのあるドレスで、濃いめの色が私の白い肌をより引き立てる。
鏡に映った自分の姿を見て、思わず惚れ惚れとした。
美しい。
いや、控えめに言って美しすぎる。
自分ではあまり選ばない色だけど、これはこれで似合う。
ドレスに合わせて、メイクも常よりくっきりとした印象に仕上げてもらった私は、美少女と言うよりも妖艶な美女だ。
自分の姿に見惚れている私に、侍女頭が「美夜様」と声をかけた。
「こちらをどうぞ。王太子殿下からです」
「殿下から?」
侍女頭に促され、侍女の一人がベルベット製の箱を手に歩み出た。
その中身を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
箱に収められているのは、揃いのネックレスとイヤリングだ。
どちらもダイヤモンドをふんだんに使用し、大きな窓から差し込む光を反射して美しく煌めいている。
「まぁ、とても綺麗」
私は率直な感想を口にすると同時に、サリクスのことをほんの少しだけ見直す気になった。
彼と結婚する気などないけれど、贈り物ぐらいは受け取っても罰は当たらないだろう。
侍女たちは恭しい仕草で、それらの宝飾品を私に着けさせる。
ネックレスの長さは、このドレスに合わせたようにぴったりだ。
結わえた髪から覗くイヤリングも、自己主張しすぎることなく輝き、ドレスを一層のこと引き立てる。
侍女たちに付き添われ、ベレス王の部屋へと赴く頃には、私はすっかり機嫌を良くしていた。
何の用かはわからないけれど、少しぐらい付き合ってあげてもいいかなと思う。
廊下を歩いている時、前に茶会の場で出会った貴族の女たちと擦れ違った。
彼女たちは私に頭を下げて道を譲る。
そうだ、それでいい、と内心でほくそ笑んだその時、背後でクスクス笑いが沸き起こり、それに忍ばせるような言葉まで聞こえた。
「子供が一丁前に背伸びしてるみたいでかわいらしいわね」
「でも、ちょっと滑稽よね」
「は?」
私が鋭く振り返ると、彼女たちは扇で顔の下半分を隠しながら微笑んだ。
「ご機嫌よう、未来の王妃殿下。今日も輝くばかりにお美しいですね」
「美夜様」
侍女頭が、思わず足を止めた私を促すように声をかけた。
くっ……腹立たしい、けど……そうだ、あんなものは負け犬の遠吠えだ。
言いたい者には言わせておけばいい。
でも、この美しい私を侮辱するとは晒し首でも生温い。
私は深呼吸を繰り返し、あの女たちに相応しい拷問を与えるという楽しい空想に耽ることで、半ば無理矢理に平常心を取り戻した。
てっきり、前と同じ部屋に行くものだと思ったけれど、私たちが向かったのは別の部屋だった。
「こちらで陛下がお待ちです」
そう言って侍女たちが立ち止まったのは、驚くぐらい立派な扉の前だった。
扉の前に立つ兵士が二人がかりで扉を開けてくれて、侍女に付き添われながらその中へと足を踏み入れる。
こちらの世界に来てから入った部屋の中でも、一際豪華な部屋だというのがその部屋の第一印象である。
白と金、そして赤で彩られた部屋で、正面
の奥側は何段か高くなっている。その中央にはこれまた凝った装飾を施した椅子が置かれ、そこに腰掛けているのはベレス王その人だ。
ここは玉座の間だ、とぴんときた。
彼は国王に相応しい正装に身を包み、その傍らに立つサリクスもまた常以上に洗練された衣装を纏っている。
ここに至り、私は嫌な予感をひしひしと感じた。
綺麗なドレスと宝石に浮かれている場合ではなかったのでは、と今更ながら思い始める。
「失礼いたします、国王陛下、王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」
引き返したい衝動に駆られたものの、侍女頭に促される形でレベス王の前へと歩みを進め、ドレスのスカート部分を軽く持ち上げて一礼する。
ここ一週間ほどで、礼儀作法にもより一層磨きが掛かったのではないかと思う。
「ああ、美夜よ、よく来てくれた。面を上げておくれ」
ベレス王の言葉を受けて顔を上げた私は、思わずぎょっとした。
先ほどより彼との距離が近くなったことで、その顔をはっきりと確認することができた。
ベレス王は、まるで血の気を感じられない顔をしている。
背筋を伸ばして玉座に座るその姿は、確かに王としての威厳が備わっているけれど、同時に死臭のようなものを感じた。
棺桶に片足を突っ込んでいる状態、とでも言うのだろうか。
私の内心を読み取ったように、王は弱々しく笑った。
「少し前から病を患っていたが、ここ数日で一気に悪化が進んだようだ。もう長くは持たぬだろう」
「そんな……」
私は口元を覆い、心の底からショックを受けた顔をした。
それと同時に思考を巡らせる。
彼は、最初に会った時から病人特有の弱々しさを感じさせたけど、それにしてもたった一週間でやつれすぎではないだろうか。
不意に、母のことが脳裏を過った。
まさか、感染する類の病なのか。
いや、だとするとどうして今更になって? という疑問がある。
何しろ、母は二年に渡ってベレス王の側にいたのだから。
ベレス王は、大きく息を吐き出すと共にサリクスに視線を移し、それから再び私を見つめる。
「私はそう長くはない。本来なら、然るべき手順を踏むべきだとは理解しているが……」
溜息交じりに語るベレス王の言葉を聞きながら、嫌な予感はひしひしと大きくなっていく。
非礼を承知で背後を振り返ったところ、まさか私の逃走を危惧しているわけじゃないだろうけど、扉を塞ぐように佇む侍女たちの姿が見えた。
再びベレス王の顔を伺うと、彼は私を真っ向から見つめてこう言った。
「私は生きている内に、どうしても孫を……お前の子の顔を見たい。今すぐにでも、サリクスと子を成すのだ」




