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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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105話「二人だけの思い出の証」

「この絵……」


 白と黒、そして差し色程度の赤という、ごく少ない色が白いキャンバスを彩っている。

 それは、デフォルメ化したペンギンとパンダの絵だった。

 画材こそ油絵の具を用いているようだけど、絵画と言うよりはイラストと言ったほうが適切か。


 そして、そこに描かれた動物……いや、キャラクターには見覚えがあった。

 言葉を失ったまま、食い入るように絵に見入る私にサリクスが言葉をかける。


「見たこともない奇妙な動物ですな。白と黒の熊、ですかな? もう一匹は……鳥でよろしいのかな。何にせよ、こんな落書きのような絵を送りつけて来るとは、あの男、いったい何を考えているのやら」


 馬鹿馬鹿しさを抑え切れない、と言った声音だった。

 それだけではなく、まるで私が彼に同調すると考えている様子が伺える。

 サリクスは、私がこの絵にショックを受けていると勘違いしているらしい。

 私はそんな彼に向き直り、静かな声で言った。


「……ご足労いただきありがとうございます、殿下。確かに、受け取りました」


 突然雰囲気が変わった私に、彼は一瞬だけ訝し気な顔をした。

 けれども本当に一瞬のことで、すぐにいつものように優雅かつ慇懃に一礼してみせる。


「いえ、お安いご用です、婚約者殿。……して、エレフザードへのお返事についてはいかがなさいますか?」

「その必要はありません」

「……そうですか」


 その後、サリクスは最初の宣言通り素直に退室した。

 やっと一人になれた私は、改めてその絵を眺める。


 好奇心旺盛な陛下は、文明の利器にはもちろん、現代日本の文化にも興味津々だった。

 スマートフォンなど、私よりよほど様々な機能を使いこなしていたと思う。

 彼はテレビやインターネット上の動画にも関心を持ち、その中でも特に、WEB配信されているとあるアニメを好んでよく視聴していた。

 何でも、ブラック企業で働く動物たちの日常というコンセプトのアニメで、陛下は言葉こそわからないものの、デフォルメ化された動物たちが動く様子を嬉々として観ていた。

 絵に描かれているのは、そのアニメのメインキャラクターだ。


 あの日、水族館に赴いた理由の一つに、件のアニメとのコラボを行っていたからというのもある。

 もっとも、そういうことは関係なしに、私が陛下と水族館デートを楽しみたかったというのが一番の理由だけど。

 水族館内のカフェにて、私はパンダカレー、陛下はペンギンプレートと、それぞれコラボメニューを注文した。


 何はともあれ、こちらの世界にて、この絵の意味するところを理解できるのは私しかいない。

 この絵は、私たち二人だけの思い出の証だ。

 どんな言葉を重ねるよりも、ずっと雄弁に陛下の私への想いを語っている。


「陛下……」


 思わず声に出してそう呟いていた。

 心に火が灯ったみたいに、自分の内側がじんわりと温かくなっていく気がした。

 そうだ、陛下は私に未来永劫離れることは許さないと言った。


 だったら、陛下が私を諦める筈がないのだ。

 ベレス王が何と言おうと、不安を覚える必要など初めからなかった。

 たとえ、君主が私を欲するとしても。


 陛下を……陛下の私への想いを疑ったわけじゃないけれど、だからと言って彼の騎士としての誠心や忠義が揺らぐところも想像できなかった。

 でも、アスヴァレンに「自分こそが愛する人の価値観の最上になってみせる」と言ったのは他ならぬ私だ。

 ならば、私が今するべきことは一つだけ。






 その一件を境に、私はすっかり大人しくなった。


 空になった食器を下げる侍女の姿を、見るとはなしに眺める。

 心なしか、彼女たちはどこか安堵しているように見える。

 やはり、提供した食事を綺麗に平らげてもらえるというのは気持ちの良いものだろう。


 朝食の後は入浴と身支度に入る。

 私が二人の侍女にドレスを着せてもらっている間に、侍女頭が本日の予定を読み上げていく。


「今日の午前中は座学です。語学と歴史を学んでいただきます」

「承知いたしました」

「そして、その後は昼食ですが、今日は予定が合ったとのことで王太子殿下も同席なさいます」

「まぁ、嬉しい」


 私は花の顔を綻ばせ、にっこり微笑んだ。




 陛下の描いた絵を受け取ってから、一週間が経過した。

 この間、私は教育を受けながら毎日を過ごしている。

 妃教育というぐらいだからさぞやスパルタなのだと覚悟していたけれど、思っていたほどの厳しさはなかった。


 ……あくまで勉強自体は、と言うべきか。

 今日のように、便宜上の「婚約者」との顔合わせを強要される頻度は決して低くない。

 しかもその場には必ず数名の侍女が居合わせるから、本音を語ることもできない。


 正直、殴り倒したい男を目の前ににこにこ笑っているというのが非常に疲れる。

 私の内面など知る由もなく、侍女頭は言葉を続ける。


「午後からはダンスの指導を受けていただきます。その後はお母様主催のお茶会の予定です」

「楽しみだわ」


 うげ! と呻きたい気持ちを無理矢理に抑えてそう言った。

 はぁ……お茶会か。

 今から憂鬱だ。


 お茶会、と言えば優雅に聞こえるけれど、その実態は女同士の探り合いとマウントの取り合いである。

 母と一対一で行うならまだ良いのだけど、主催ということは他にも何人かの女が参加するのだろう。

 全員、高位の貴族らしくて、中には私と同じぐらいの年頃の娘もいる。


 彼女たちの中には、サリクス王太子の妻の座を狙っていた者もいる筈だ。

 当然ながら、彼女たちが私を見る目は優しいものではない。

 もちろん表立って悪口を言ってくるわけじゃないけれど、遠回しに、オブラートに包んで、それこそ言い逃れの余地を十分に残してちくちくと嫌味を言ってくるのだ。

 ああ、懐かしき学園生活を否応なしに思い出す。


 当然、サリクスと結婚する気などないけれど、誰よりも美しく聡明で気高い私が王太子殿下の妻に選ばれるのはごく自然なことだから、素直に負けを認めるべきなのである。

 今に見ていなさいよ、と静かに闘志を燃やす。

 いずれは手痛い仕返しをしてやる。


 とは言え、今は辛抱するしかない。

 遠からず、陛下は必ず来てくれる筈だ。

 それまでの時間潰しとして、利用できるものは最大限に利用する。


 この妃教育だってそうだ。

 学べることは学んでおいて損はない。

 美少女、特に才色兼備の高貴な美少女は常に自己研鑽を怠らないものだ。




 座学の時間を終えたら、次はサリクスと一緒に昼食の時間を過ごす予定だった。

 ところが、サリクスは急な予定が入ったとかで、その日の昼食に姿を見せることはなかった。

 更には、午後からの予定は全て白紙にするという旨を侍女頭から聞いた。


「何かあったのですか?」


 サリクスと顔を合わせずに済んだことにはほっとしたけれど、さすがにここまで来ると不自然さを感じる。

 私が尋ねると、侍女頭は神妙な面持ちで答えた。


「お母様は、お身体の調子が優れないようです。本日のダンスには、お母様も参加していただく予定だったため、延長することにいたしました。代わり、と言っては何ですがお母様のご様子を見に行ってさしあげてはいかがでしょう?」

「……そう、ね。そうさせていただこうかしら」


 私が母と言い合いをする時は、いつも侍女がいない状況だった。

 ベレス王から私の婚姻について聞かされた時も、ベレス王が着席すると同時に侍女は別室に移動したため、その場に同席したのは限られた臣下だけだ。

 故に、侍女たちは私たちのことを仲良し親子のように思い込んでいる。


 母の容態が気になるわけではないけど……一応、会いに行こうと思った。

 母の部屋は、私の部屋からそう離れてはいない。

 大きな寝台に横たわる母の顔は、確かに一週間前よりやつれているように見える。


「あら、美夜ちゃん、来てくれたのね」

「世間体というものがありますから」


 嬉々とする母に、私は冷淡に返す。

 侍女は廊下で待機していて、部屋には私たちしかいないから遠慮する必要もない。


 それにしても、と改めて母の姿を伺う。

 元より細身だけど、この一週間で数キロ体重が落ちたのではないかと思える。

 それに、目の下には濃い隈が浮かび、まるで何日も寝ていないかのような顔だ。


 あの日以来、母とは殆ど顔を合わすことなく過ぎた。

 一週間の間にいったい何があったのだろうか。


「随分とお疲れのようですね」

「ええ、そうなのー」

「いったい何が……」


 王の寵愛を受け、侍女に傅かれる日々を送る母に、そこまで疲れることがあるとは思えない。

 まさか何かの病気なのでは、と一抹の不安が過った。

 母ははにかんだように、目を伏せてもぞもぞと身を捩る。


「ベレス様ったら、息子の婚姻が決まったものだから、いつもより張り切っていらっしゃるの。この何日か、私も愛されすぎちゃったかしら?」

「……」


 ……少しでも心配した私が馬鹿だった。

 はぁ、と大仰に溜息をついて肩を竦める。


「お元気そうで何よりです。仲がよろしいのは結構ですが、どうか程々に」

「うん。ありがとう、美夜ちゃん。でも、美夜ちゃんの顔を見たら何だか元気が出てきたわ」


 そう言って母は屈託なく笑う。

 その昔、満開の桜の木の下で、幼い私に向けたものと同じ笑顔だった。

 私は、ちくりと胸に痛みを覚えた気がした。

 何か言おうかと口を開きかけ、結局は何も言わなかった。


 退室しようと踵を返しかけた時、サイドテーブルの上に転がっている小瓶が目に留まる。

 中身は白い錠剤だ。

 栄養剤か何かだろうか、そんなことを考えながら小瓶を立たせようと手をかけたその時。


「触らないで!」


 鋭い声が響いたと同時に、母がその小瓶を素早く掴んだ。

 あまりにも母らしくない態度に、私は呆気に取られて彼女をまじまじと見つめる。


「ごめんなさいね」


 母はいつもと変わらぬ調子で、困ったように笑って首を傾げた。

 その間も、小瓶をしっかり両手に包み込み、胸元で大事そうに持っている。

 私は半ば呆然としながら「いえ」と答えた後、躊躇いがちに言葉を紡いだ。


「その薬は何なのですか?」

「とても大事なお薬よ」

「大事な……あの、どのような効能があるのですか?」


 まさか、本当に何らかの病を患っているのでは……。

 そんな考えが過った瞬間、心臓に氷の塊を押し当てられたような気がした。

 ところが、母は疲れた様子で息を吐き出して、もぞもぞと寝台へと潜り込む。


「ごめんなさい、何だか疲れちゃったわ。今日のところは、帰ってもらってもいいかしら?」


 口調こそ穏やかだけど、どこか突き放すような響きがあった。

 私は今更ながらショックを受け、それからそんな自分に腹立たしさを覚える。


「ええ、言われずとももう帰るつもりでした」


 吐き捨てるようにそれだけ言って、一度も母を振り返ることなく部屋を後にする。

 子供じみた態度だという自覚はあったけれど、母は明らかに私に何か隠し事をしている。

 そんな母に対して、またしても言いようのない苛立ちを覚えた。


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