表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
104/138

103話「美しい幻想が潰える時」

「悪いけど、もう下げてもらえるかしら。今朝は食欲がないの」

「ですが……」


 全く手を付けていない朝食を前に、侍女たちにそう命じたところ、彼女たちは一様に困惑した顔を見せた。

 無理からぬ話だろう。


 昨日、ベレス王との「会談」の後、食欲が全く沸かなかった私は夕食を断った。

 一夜明けた今日も、まだ食欲が戻らない。

 そして、彼女たちはベレス王から私の健康管理などについても命じられている筈だ。

 チェルシーは自ら用意した朝食に、一瞬だけ物欲しそうな目を向けてから再び私に向き直る。


「昨夜もそう仰って、何も召し上がらなかったではありませんか。他に何か、召し上がりたいものがあるのなら仰ってください。手配いたしますから」

「本当に何もいらないのよ」

「でも……」

「美夜ちゃん、あんまりわがまま言って皆を困らせちゃダメよ~」


 脳天気な声は、部屋の外から聞こえた。

 顔を上げれば、母が室内へと入って来るのが見えた。


 慌てて頭を下げる侍女たちにも、露骨に顔を顰める私にもお構いなしだ。

 テーブルの上に並べられた料理を、ひょいと摘まんで口に放り込む。

 そのまま、もぐもぐと口を動かしながら私へと向き直る。


「いいこと、美夜ちゃん? 貴女の身体はね、今や貴女一人の身体じゃないのよ? それに、この子たちだって仕事ですからね。思いやりの気持ちから美夜ちゃん個人を心配しているわけじゃないけれど、ちゃんと食べてくれないと自分たちが怒られちゃうのよ」

「いえ、そんな……」


 侍女たちは否定する素振りを見せたものの、母の言う通りだと思う。

 彼女たちは私を気遣っているというより、自分たちが責められることを回避したいのだ。

 つまり、私が食べなければ彼女たちの怠慢と見做される。


 誰も彼も私を放っておいて欲しいというのが嘘偽りない本心だけど、今の立場でそれは通用しない。

 私は、仏頂面のままで母を見上げて言った。


「確かに正論ですけど、口に食べ物をいれたままま喋らないでいただけますか」


 それから、テーブルの上の料理に目を向ける。味も栄養バランスも申し分ない料理が、磁器製の食器に綺麗に盛り付けられている。

 私に相応しい食事だけど、蝋細工でも見ているみたいに全く食指が動かない。

 だけど、それでも……。

 私は嘆息し、意を決してフォークを引っ掴むと、ガツガツと擬音が付きそうな勢いで目の前の料理を食べ始める。


「美夜ちゃん、よく噛んで食べなきゃいけませんよ」


 母が何か言うけれど、完全に聞き流す。

 呆気に取られた侍女たちの視線も、行儀作法も何もかも無視して料理を胃袋へと詰め込んでいく。

 最後にスープをぐびぐびと飲み干した後、紙ナプキンで乱暴に口元を拭って侍女たちを見上げた。


「……ご馳走様。もう下げてもらえるかしら」

「あ……は、はい」


 我へと返った侍女たちが、おっかなびっくりといった様子で食器を片付けていく。

 料理はどれも綺麗に平らげたのだから、文句を言わせる気はない。

 侍女が出て行った後も、母は部屋に残ったままだ。


「……何の用ですか、お母様」

「あら? 用がないと、かわいい娘に会いに来ちゃいけないのかしら?」

「いけません」

「あらら、それは残念。でも、今日は用事があって来たのだから許されということよね?」

「……とんでもない揚げ足取りですね」


 私は大仰に溜息をつき、母に鋭い視線を投げ掛けた。


「では、はっきり申し上げましょう。私は貴女とお話する気などありません。至急、消えてください」

「まぁ、親に向かって何て口の聞き方をするのかしら」


 そう言って、拗ねた子供のように頬を膨らませる。

 昨日、ベレス王とのあんな場面を娘に見られたというのに、母は全く意に介した様子がない。

 こちらはまだ立ち直れていないというのに、この動じなさはいったい何なのだろう。

 普通なら、もっと気後れしたり恥じ入ったりするものではないのか。


 母とベレス王の関係についても、まだ心の整理などできていないというのに、私の婚姻という問題に直面した。

 とても平常心でいられる筈がない。

 私の心は千々に乱れたままで、誰にも会いたくない。

 特に、母には

 母は私の心情など理解できる筈もなく、大仰に嘆息してみせる。


「私は、こんなにも美夜ちゃんのことをとても大切に思っているのよ?」

「はっ、ご冗談を」

「まぁ、どうしてそんなことを言うの?」

「……では、どうしてベレス王の味方ばかりなさるのですか? 私ではなく」


 あまりにも子供じみた言い方だという自覚はある。

 それでも、そう口にせずにはいられなかった。

 ところが、母はきょとんとした面持ちで首を傾げる。


「私はいつだって美夜ちゃんの味方よ? ベレス様でもサリくんでもなく、ね」

「……はぁ?」


 思わず嗤った。

 嗤うしかなかった。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、低く唸るような嗤い声を上げた後、真っ向から母を見据える。


「なら、どうしてベレス王と……その、あんな……あんなことを……」

「私がベレス様と男女の関係にあることを怒っているの?」

「……ええ、まぁ。父というものがありながら、何故ですか?」

「だって、アルくんと夫婦だったのは、この世界ではもう二百年も前のことよ? 普通に考えて生きている筈がないわ」

「そ、それは……」


 思わず言葉に詰まった。

 言われてみれば、確かにそうだ。

 アルヴィースは一応生きていたとは言え、かなり特殊な状況である。

 母が想定できなくても無理はない。


「ですが、死に別れたからと言って別の男性となど……」

「美夜ちゃんは愛する人と死に別れた後も、その人に生涯操を立てるタイプなの?」

「え? ええ、それは、もちろん」


 そんなこと今まで考えたことはなかったし、陛下に先立たれるなど考えたくもないけれど、彼以外の人と関係を持つなど考えられない。

 躊躇いがちに頷いた。


「美夜ちゃんはそういう価値観なのね。それはそれで構わないけれど、人にまで強要するのは間違っているわ」

「それは……いえ、ですが」


 私は再び口籠もった。

 母の言うことは、確かに正論なのかもしれない。

 これが赤の他人の発言なら、特に何とも思わなかったけれど、他ならぬ自分の母親なのだ。


 ここに至り、私は自分の本心に気付いてはっとした。


 私はまだ見ぬ父と兄に対して、過剰な幻想を抱いていた。

 同様に、幼い頃に離れ離れになった母のことも自分の都合の良いように理想化していたのだ。

 美しい母と優しい父、二人は愛し愛される理想の夫婦。

 そしてそんな両親の下に生まれ、両親を尊敬する自分。


 ……そんな絵に描いた理想の家庭を追い求めていた私にとって、母は謂わば最後の希望だった。

 何しろ、父も兄もあの通りだったから。

 けれども、八年の時を経て再会した母は、私の理想とは大きく懸け離れていた。

 母とベレス王の関係を知って傷付いたのは、自分の理想と現実の落差を思い知ったからに他ならない。


 昨日、彼女は私に「母親だけど所有物じゃない」と言った。

 今ならその意味を理解できる気がした。


 私は改めて母を見つめる。

 私の……十五才の娘の母親とは思えないほどに若々しい。

 訳あって年齢差が縮まったからというのもあるものの、それだけではない。

 実年齢は三十前後の筈だけど、女子大生と言っても十分に通じるだろう。


 いや、この際、見てくれについてはどうでも良い。 

 彼女が私の実母だというのは、紛れもない事実だ。

 でも、彼女は私の母である前に一個の人間だ。


 幻想が、私の追い求めた理想が、音を立てて崩れていく。

 それは鋭い痛みを伴ったけれど、前に進むために必要な痛みなのだと思う。


 美しい虚構が粉々になり、風に撒き散らされるようにして完全に掻き消えた時、私の心は痛みに血を流していたとは言え確かに軽くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ