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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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102話「再び孤立無援」

 別室へと通された私は、眼前に置かれたカップを手に取り中身を一口飲んだ。

 でも、まさに心ここに在らず状態の今の私には、味なんかわからない。


 あの後、ベレス王が呼び寄せた侍女に促されてこの部屋へと移動した。

 私の隣には、サリクスが座っている。

 更に、私たちの背後には侍女二人(その内の一人はチェルシーだ)が、扉付近には兵士が一人控えている。

 室内には私を含めて五人の人間がいるというのに、サリクス以外は口を開こうとしない。


「これは、ティエリウスの西に位置するピオーネ麓の高原で栽培された茶葉ですな。侍女から聞いた話によれば、王女殿下の一番のお気に入りなのだとか? ブラギルフィアでは手に入りにくいでしょうからな」


 とは言え、サリクスとて普段に比べれば口数が少ない。

 たまに話しかけても、私は全くの無反応だ。

 意図的に無視しているというのとも、少し違う。頭の中が真っ白で、言葉を構築して音声として発するという行為が億劫で仕方がない。


 心が硝子でできた器なのだとしたら、一部分がぱきんと破損して、その箇所から中身が全て流れ落ちたみたい。

 まるで、自分が空っぽになってしまったような感覚だ。

 私が何の反応も示さないせいか、サリクスも徐々に口数が減っていき、ついには何も言わなくなった。


この部屋に案内されて小一時間ほど経った頃、扉が開く音が聞こえた。

 顔を上げると、複数人の兵士に護衛されながら入室する母とベレス王の姿があった。

 ベレス王は、先日見かけた医師二人に支えてもらっている。

 モーヴピンクのドレスに身を包んだ母は、私たちに向けてにこやかに微笑んだ。


「お待たせ、美夜ちゃんサリくん」

「ご無沙汰しております、美桜子殿。お目にかかることができて光栄です」


 サリクスも笑顔でそう応じたけれど、仮面の奥の目は相変わらず冷たい光を湛えている。

 母はそのことに気付いているのかいないのか、ベレス王が上座に腰を下ろしたのを確認した後、私の正面の席に腰を下ろした。

 着席したベレス王は、穏やかな笑みを浮かべながら私たちを見回す。


「美夜よ、せっかくお前を迎え入れることができたというのに、放ったままにしておいて申し訳ない」

「いえ……」


 私は言葉少なに答えた。

 ぶっきらぼうな物言いにも関わらず、ベレス王は眉を顰めることもなく言葉を続ける。


「侍女たちには、お前に不自由させぬように言い渡しておいたが、何か困っていることはないか?」

「あります」


 たった一時間程度では、先ほど受けた衝撃から立ち直ることは到底できず、表面上の礼儀を取り繕う気にもなれない。

 でも、その質問には即答していた。


「先刻、エレフザード陛下に送った手紙ですが、まだお返事を受け取っておりません。もう、とっくに届いた頃だと思うのですが」

「ああ、そのことか」


 ベレス王は、笑みを貼り付けたまま頷く。

 母は小さく嘆息し、子供のように頬を膨らませて私を見た。


「もう、美夜ちゃん。自分の都合ばかり押し付けては駄目よ。ベレス様はね、とてもお忙しい方なのよ? それなのに、貴女のためのお時間を作ってくださったのだから、まずはそのことに感謝するべきじゃないかしら」


 それを聞いて、思わず舌打ちしたい衝動に駆られた。

 ああ、まただ。

 母の中で、私よりベレス王の優先順位が高いことは明らかだ。

 娘の心情を慮るよりも、私にベレス王を慮れと言うのか。


「いや、良いのだよ」


 ベレス王は気を悪くした様子もなく、朗らかに笑った。

 それから私へと顔を向ける。


「美夜、様々な環境の変化に戸惑うことも多かろう。美桜子はああ言ったが、どうか遠慮なく何でも申し付けてくれ」

「……陛下のご厚意、痛み入ります」


 半ば居直った私は、抑揚のない声で言った。

 先ほどから、苛立ちや悲しみ、焦りや不安といった様々な感情が胸中で暴れ回っている。

 特に、母に対しては腹が立って腹が立って仕方がない。

 でも、怒りというのは一定地点まで到達すると却って頭を冷やしてくれるらしい。


 ところが、ベレス王の次の言葉には心を掻き乱されずにはいられなかった。


「そうだ、エレフザードからの返事のことだがな。お前からあれに宛てた手紙は、書記官に清書させた上で本人に確かに届けた。それについて、本人からの返事も既に受け取っている」

「……! ほ、本当ですか」


 一瞬、自分の耳を疑った。

 思わず腰が浮きそうになるのを留めつつ、ベレス王の言葉に全神経を集中させる。

 清書させたということは、やはり都合の良いように書き換えたのだろうけど、後半の言葉を聞けばそれさえどうでも良くなった。


「陛下は、何と……?」

「それについては、後ほどお前の部屋に届けさせよう」

「……ありがとうございます」


 心臓が早鐘を打つのを感じながら、ベレス王に向かって頭を垂れた。

 陛下からの返事。

 そこには、いったい何と記されているのだろう。

 何にしても、陛下の無事を確認できただけでも大きな収穫だ。

 ベレス王は私を、見つめながら目を細めて笑みを深くする。


「我が息子とお前の婚姻についても、既に知らせている。近い内に、エレフザード自ら祝福の言葉を届けに来てくれるだろう」

「……えっ?」


 再び自分の耳を疑った。

 目を瞬かせて、ベレス王を真っ向から見つめる。

 聞き間違い、あるいは冗談の類だと思いたかったけれど、彼の顔に戯れの色は見られない。


「そうそう。先ほどサリクスから聞いたのだが、お前はこの件について知らなかったそうだね。求婚も兼ねて、息子から直接伝えるほうが良いかと思ったのだがね……気の利かない息子で申し訳ない。これでも、そう悪い者ではない。どうか、お前にこやつを任せたい」

「お言葉ですが、陛下」


 ベレス王の言葉を途中で遮って言った。


「そのお話を受けることはできません。私はエレフザード陛下と既に婚約している身です」

「いいや」


 ベレス王は一切怯むことなく、首を左右に振った。

 その顔には、相変わらず柔和な笑みが貼り付いているけれど、どこか作り物めいて見えてしまう。


「私はそのような話を聞いたことがない。そして、ブラギルフィアの諸侯の婚姻には盟主への届けが必要だ。これの意味するところがわかるかな?」

「……私と陛下の交わした約束は、何の法的根拠もない口約束に過ぎない……ということでしょうか」

「如何にも」


 私の言葉に、王は満足そうに頷く。


「やはりお前は聡いな。お前のような女性を国母として迎えられれば、我が国も安泰だ」


 彼の言葉を聞きながら、気付けば私は笑っていた。

 殆ど無意識の内に、乾いた笑いが口から漏れていた。


「私の美貌も聡明さも、必要ないと思いますが。それよりも、何よりも重要なのは私の『血』でしょう?」

「おお、そこまで理解してくれているとはな」


 これが素なのか、あるいは私を煽って面白がっているのかはわからないけど、ベレス王は感心したように言った。


「ティエリウスは、長らくブラギルフィア諸侯連合の頂点に君臨しながらもその地位は決して約束されたものではなかった。……主神に、姫神テオセベイアに最も愛されし人間、それがミストルト王家とその末裔だ。ミストルト王家の者は、主神が生み出した他の神々以上の存在とさえ言われている。神よりも上位の存在を、人間に過ぎないティエリウス王家が支配するという矛盾。それに対して、批判や揶揄も少なくはなかった」


 王はどこか遠くを見るような目付きで、訥々と語り始める。

 彼の話が途切れた時、今度は私が口を開いた。


「……ブラギルフィアとは、本来ならテオセベイアが愛した地という意味。ブラギルフィアという国が縮小され……ミストルト王家が諸侯連合の一角に過ぎない立場となっても、諸侯連合からブラギルフィアの名を外すことはできなかった。例え、盟主がティエリウス王家だとしても」


 いずれも、慣れない言語を解読しつつ自ら得た知識だ。

 ブラギルフィア。

 それは、姫神が愛した地。


 ブラギルフィア城内にて、私が使用していた部屋は彼女の一番お気に入りの部屋だったし、部屋から見える庭の植物は全て彼女が好んで植えさせたものだ。

 特に、樹木はテオセベイアがこの地を去って二百年経った今もあの場に佇んだまま、時期が来れば花を咲かせる。


 二百年前、厄災が起きて禍女で溢れ返ったブラギルフィアは覇権を失った。周辺の小国共々、諸侯連合という形に統一されて以来、その頂点に立つのはティエリウス王家だ。

 でも、その諸侯連合は今もブラギルフィアの名を冠している。

 つまり、二百年の時を経た今もテオセベイアの影響はそれだけ色濃く残っているということに他ならない。


「所詮、ティエリウスは紛い物の君主。テオセベイアが愛した騎士の末裔じゃない。……だから、私を手に入れて本物に成り上がろうという気ですか」

「もう、美夜ちゃんったら! ベレス様にそんな口の聞き方をしてはいけませんよ」


 幼子に「めっ」するような口調で、母は私を咎めた。

 仮にも一国の王に対して、非礼を働いているという自覚はあるけれど、それにしては軽い物言いだ。

 ベレス王の様子を伺うと、彼は笑みを貼り付けたまま頷いている。


「そこまで理解してくれているなら話は早い。ああ、まさしくその通りだ。早速、国民たちにも公表……」

「それらを踏まえた上で、お断りいたします」


 私はきっぱりと言い放った。

 王を取り巻く臣下たちの顔には、先ほどから苦々しい表情が浮かんでいる。

 彼らが、私のことを王妃と仰ぐことに乗り気でないことは明らかだ。

 それに、ベレス王に対する私の態度に本人以上に腹を立てているというのもあるだろう。


「私はエレフザード陛下と将来を誓い合った身。私の……私たちの気持ちは、何よりも尊重されて然るべきです。私は姫神テオセベイアの孫、この世で彼女の神性を受け継ぐ唯一無二の存在。私の意思は絶対です」

「でも、テオセベイア様の孫である前に、私の娘よね?」


 それまで殆ど喋らなかった母が、ここで口を開いた。

 彼女は人差し指を顎に添え、小さく首を傾げている。


「それに、美夜ちゃんは元の世界ならまだ未成年。私は貴女に対して、えーっと、カントクセキニンだったかしら? 何かそんな感じのものがあるのよね?」


 彼女の言葉に、私は唇を噛み締めた。

 覚悟はしていたけれど、母は完全にベレス王の味方だ。


「娘は親の言う通りにしろ、と。そういうことですか、お母様?」


 私は殊更に「お母様」を強調して言った。

 母は無言を貫いたけれど、代わりに笑みを一層深めた。

 その表情が、言葉以上に雄弁に私からの問いを肯定している。


 その時、手の平に鋭い痛みを感じて、自分が拳を強く握り締めていることに気付いた。

 母から視線をサリクスへと移すと、小さく嘆息するのが見て取れた。

 きっと、今のこの状況を茶番劇のように思っているのだろう。

 私との結婚に乗り気ではないとは言え、反対するほどの気概もないことは既に明らかだ。


 私は奥歯を噛み締め、それから手の平に突き立てた爪を更に食い込ませた。

 とても痛いけれども、今はその痛みだけが私を奮い立たせてくれた。


「美夜。この婚姻は決定事項なのだよ。お前の母親も承認してくれている」


 声音こそ静かだったけれど、水を打ったように静まり返った室内で、ベレス王の言葉はよく通った。

 彼の意思に同意するように、母が鈴を振るような声で笑う。


 完全に味方のいない、孤立無援の状況。

 そう、私にとっては慣れたあの状況の再来である。


「お前も、受け入れてくれるね?」


 ベレス王は私を真っ向から見つめて、そう言った。

 口調も表情も、凪の海のように穏やかなのに、その目は全く笑っていない。

 それこそ、海のように底知れぬものを感じさせた。


 そんな彼を、私は唇を引き結んだまま睨み付ける。

 決して承諾の言葉など言わない。


 ベレス王は表情を緩め、母を振り返る。


「美桜子、お前の娘は随分と気が強いな」

「ごめんなさいね、ベレス様。美夜ちゃんは、昔から強情なところがありました。でも、根は悪い子じゃないんです」

「ははは、わかっているとも。……っと」


 母と言葉を交わした後、ベレス王は詰めていた息を吐き出した。

 そんな彼に、臣下が言葉をかける。


「陛下、そろそろ一度休まれるべきです」

「ああ、そのようだな。……美夜よ、今日は久々にお前と言葉を交わせて嬉しかったぞ。お前を娘として迎え入れられる日が待ち遠しい」


 まるで、和やかな話し合いの後みたいな言い方だった。

 そのまま、彼は臣下たちに付き添われて部屋を後にした。


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