100話「そうだ、直談判に行こう」
すぐにはその言葉の意味を理解することができなかった。
言葉を失い、唖然とする私を見て、サリクスのほうが怪訝な顔をする。
「まさか、陛下から……我が父から何も聞いておられないのですか?」
何も、って具体的に何を?
何も聞いていないとは、どういうこと?
ベレス王と対面した日、特に会話と言えるほどの会話を交わしたわけではない。
エレフザード陛下に手紙を出したいと言ったぐらいだ。
何一つとして言葉を構築できぬまま、私はこくこくと頷いた。
サリクスは驚きに目を見張り、それから嘆息した。
「やれやれ……言い忘れていた、というよりは自分の中では決定事項だからわざわざ伝える必要もないと思ったというところか。父上らしいと言えば父上らしいが……」
サリクスはそう独り言ちると、小さく肩を竦めて私へと向き直る。
不本意極まりない、とでも言いたげな苦々しい笑みを浮かべて言った。
「……まぁ、そういうことです。陛下の意向により、我々は近い将来、結婚する仲ということですな。近々、婚約発表を行うことになるでしょうな」
「嫌です」
私は反射的にそう口にしていた。
簡潔にして明確なその物言いに、サリクスは喉を鳴らして笑う。
「私とて気が進みませんよ。貴殿は、私の好みに掠りもしないのでね。……まぁ、しかし、父の意向は絶対だ。諦めていただきたい。なぁに、私は貴殿を束縛する気はないので、その点はご安心あれ。義務さえ果たせば、いくらでも他に男を……」
「あのね」
勝手なことを並べ立てるサリクスを遮って言った。
とは言え、続く言葉がすぐには思い付かない。
もちろん言いたいことはいっぱいあるけれど、多すぎて何から言うべきかわからない。
手ずからカップへとお茶を注ぐと、再び一気に飲み干す。
さすがにこの短時間で二杯目となると、お腹がタプタプしてきた。
「そんなこと、陛下がお許しになる筈がないわ」
私が言うと、サリクスは一瞬訝しげな顔をした。
やがて、合点がいったように「ああ」と呟く。
「陛下、というのはエレフザードのことですかな? 彼奴が許さないと? 許さないからと言って、どうするのですかな?」
「そんなの……」
止めるに決まっている、そう言いたかった。
けれども、苦笑を浮かべるサリクスを前に言葉に詰まってしまう。
陛下は……ブラギルフィア王は、一国の王であると同時に、ティエリウス王家の臣下でもある。
ベレス王が決定したことに異を唱えるのは、それは反逆行為に他ならないのではないか。
そこまで考えた時、私ははっと顔を上げた。
陛下へと綴った手紙は、封をして侍女へと渡した。
でも、その後で中身を検閲されていないという保証はない。
そして、中身を見れば私と陛下がただの知り合い以上の間柄ということは想像が付く。
ベレス王が、理由や動機はどうあれ私とサリクスを結婚させることを既に決意していたなら、その手紙を破棄したということも十分に考えられる。
いや、それどころか、もしかしたら私とサリクスの婚姻について、この半月の間で陛下に伝えているかもしれない。
となれば、陛下と連絡が付かないことも必然なのでは……。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
ああ、何だかあらゆる感覚が薄れ、現実感が希薄になっていく。
まさか、もしかして、そんな嫌な仮定ばかりが脳裏を埋め尽くす。
私を尻目に、サリクスは落ち着いた物腰でカップを傾けてお茶を飲む。
落ち着きと言うよりも、諦観というほうが正確だろうか。
「貴方はそれでいいの」
苦し紛れにそう言うと、彼は嘆息して肩を竦めた。
「良いも悪いも、私に選択肢などないでしょうな。まぁ、元より結婚に夢見るほど純粋な性質でもありませんからな」
つまり、そもそも彼にとって結婚は義務でしかないということか。
正直、その気持ちは理解できないわけではない。
私だって、ほんの数ヶ月前までは似たり寄ったりな考えの持ち主だったのだ。
いずれ結婚はしないければならないけど、あくまで世間体のため。
当時の私にとって、結婚とは就職と同じようなものだった。
でも、今となっては違う。
「ベレス陛下は、いったいどうして……」
言葉を紡ぎかけたところで、あることに思い至って口を閉ざした。
まさか……。
でも、そう考えれば合点がいく。
自分の思考を耽る私を見て、サリクスはくっくと笑いながら言った。
「何故、ご自身が選ばれるのかわからないという顔ですな? あの女狐……失礼、貴殿の母君は、我が父に『娘は姫神の血を引いている』などと吹き込んだのですよ。哀れな父は、そんな虚妄を真に受けてしまいましてね」
馬鹿馬鹿しくてしかたない、といった調子の彼の言葉を聞きながら、私は頭の中が冷えていくのを感じた。
様々なことが、少しずつ繋がっていく。
やはり、私の想像は正しかった。
ベレス王は、私がテオセベイアの孫だと知っているのだ。
私がこの世界に来た直後、サリクスは自分の城へ連れて帰ると申し出た。
多分きっと、その時点で私が美桜子の娘だと勘付いたのではないだろうか。
母のことを快く思っていないこともあって、私の存在を知られる前に解体するつもりだったとしても不思議ではない。
ただの稀人に過ぎない母が、この国で女王のように振る舞っていることにも合点がいった。
ベレス王が母を気に入っているのは、単純に美貌や色気に惹かれてというだけではない。
それもあるかもしれないけれど、テオセベイアの孫娘を産んだ女性という理由は極めて大きい筈だ。
こちらの世界に来てからというもの、私は王城から殆ど出ることなく過ごしたけれど、それでも人々の姫神テオセベイアへの信仰心は随所で感じた。
冷静さを取り戻した私は、サリクスに一瞥を向ける。
彼は、自らを指して神域の落とし子ではないと言った。
神域の落とし子については、陛下から聞いた以上のことは知らないものの、それを授かって初めて妻を娶る資格があると見做されるみたい。
そして、サリクスは王太子である。
つまりベレス王は、神域の落とし子を授かることなく有性生殖で子を作ったということになる。
おそらく、それは国王としてあるまじき行いだ。
それに、エレフザード陛下は優秀すぎる。
サリクス本人はどうでもいいと言ったけれど、ベレス王としては、臣下が自分の息子よりも全てにおいて秀で、多くの物が彼のほうが君主の座に相応しいと思っているというのは、どんな気持ちだろうか。
……私の想像が正しければ、今のティエリウス王家は何かと風当たりが強い筈だ。
でも、ティエリウス王家にテオセベイアの孫娘を迎え入ることができたら?
私は唇を噛み締めた。
口内に、鉄錆のような匂いが広がる。
エレフザード陛下は、私の存在をひた隠しにしようとしていた。
ベレス王の思惑は知らないにせよ、テオセベイアの孫という立場の危うさを十二分に理解しての行動だったのだと今になって強く実感する。
「まぁ、諦めることですな」
私の視線を受けながら、サリクスは宥めるように言った。
「エレフザードとの逢瀬を続けたければ、続ければよろしい。私は何も言いませんよ」
「……陛下がそんなことお許しになるわけがないでしょう」
私はそう吐き捨てた。
そうだ、私がサリクスの妻になれば、陛下は私から身を引く。
主君の妻と隠れて不実な関係を続けるなど、陛下に限って有り得ない。
だん!
気付けば、私はテーブルを強く叩き付けて立ち上がっていた。
お茶を飲もうとしていたサリクスが、仮面の奥で目を白黒させながら見上げてくる。
「……落ち着き召されよ。今、新しい茶を用意させよう」
「落ち着いているわ」
私は静かな声で言った。
そう、私はこの上なく落ち着いている。
頭はすっかりと冷え、冷静沈着そのものだ。
再びサリクスに視線を向け、こう告げた。
「今からベレス陛下のところへと赴きます。ご子息である貴方にも来ていただきます」
「は……?」
「さぁ、早く。言っておくけれど、拒否権はないから」
言うが早いか、私はベレス王の部屋へと向かって歩き始めた。




