99話「未来の王妃殿下」
「……」
気付けば、私はこの日何度目になるかわからない溜息をついていた。
今の自分が置かれている環境に不満があるわけではない。
気温はまさに適温、春の陽気の中、綺麗に剪定された庭の一角にてお茶を飲んでいるところである。
椅子の座り心地は申し分なく、侍女が淹れてくれたお茶にしてもそうだ。
にも関わらず、私の心の大半を占めるのは焦燥と苛立ちだ。
その答えは、相変わらず陛下と連絡が取れないこと、それどころか彼の近況さえわからないことにある。
ベレス王と対面してから、既に半月以上が過ぎた。
その間、状況は何一つとして進展していない。
母に言っても明確な答えを得ることはできず、かと言ってベレス王ともあれ以来会えない。
半ば無意識の内に、またしても溜息が漏れた。
こんなことを考えても仕方ないとは理解しつつ、陛下と一緒に水族館内のカフェで休憩した時のことを思い出す。
平日の昼間だというのにそれなりに混雑していて、二人掛けの小さなテーブルに通されて、そこまで美味しくないのに値段ばかり高い料理を食べた。
私はパンダをカレーを、陛下はペンギンプレートを注文したっけ。
混雑した店の片隅より、王城内で侍女に傅かれる今のほうがずっとずっと良いに決まっているのに、それでも私はあの日を恋しく思わずにはいられない。
だって、今は陛下が側にいないから。
この焦燥を母に訴えても、のらりくらりと躱されるばかりだ。
むしろ、その母が苛立ちの理由の一つになりつつある。
再会後、母とは何度か時間を過ごしたものの、何とも名状し難い違和感が募る。
八年ぶりに会った母は、私の記憶の中の母とは随分と印象が異なる気がした。
私の認識が歪んでいたのか、それとも母が変わってしまったのかはわからない。
それに、私に対しても淡泊に思える。
長年会えなかった故に余所余所しくなるとか、他人行儀であるというのとも違う。
養母である倫香とその娘たちは、良くも悪くももっと気安い間柄というか、諍いを起こすことはあっても、赤の他人以上の繋がりのようなものを確かに感じた。
そんな中で、明らかに私は部外者だった。
けれども、自分と母の間には……いや、母から私に対しては、そういうものが感じられない。
母は、顔を合わせれば笑顔を見せるし、一緒に食事をすることもあるけれど、私が食べ終わっていなくても、ベレス王に呼ばれればすぐに行ってしまう。
何より、私よりも彼と過ごす時間のほうが長い。
今だって、母はベレス王のところに行っている。
「……」
このモヤモヤした気持ちは、母親を取られたような気がすることに起因する嫉妬なのだろうか?
そう自問自答するけれど、何だかそれも違う気がする。
唇を引き結んだまま、意味もなくスプーンでカップの中身を掻き混ぜていると、地面を踏む音が聞こえた。
侍女たちとは異なる足音に、顔を上げたところで思わず眉を顰めた。
「サリクス……殿下」
今、最も顔を合わせたくない人物を前にしたとあっては、吐き捨てるような物言いになってしまうのも無理からぬ話。
敬称を付けただけでも良しとするべきだろう。
何しろ、私はこの男に殺されかけたのだ。
いつものように二人の少女を連れたサリクスは、私の態度に気を悪くするどころか可笑しそうに口の端を吊り上げた。
「随分とご機嫌斜めですな、王女殿下」
「何かご用でしょうか」
「なに、母君は何かとご多忙な上に、ここではまだご友人もおられませんでしょうからな。無聊を慰めて差し上げようと思ったのですよ」
私の声音は完全に抑揚を欠いていたけれど、サリクスは全く意に介することもなく私の向かいの席へと腰を下ろす。
二人の少女は、慣れた様子で主が着席する手助けをして、杖を受け取った。その一連の動作は、まるで流れるようにスムーズだ。
少女たちの正体を知った今でも、死体を繋ぎ合わせた人造人間だとは信じ難い。
私の様子を見たサリクスが、笑みを深めて言った。
「おや、彼女たちのことが気になりますかな」
「別に」
私は短く答えて、席を立とうとした。
直前で踏み止まったのは、先ほどの彼の言葉を思い出したからである。
母が多忙だと彼は言った。
それに、前に会った時には母のことを女狐呼ばわりもしていた。
気に入らない物言いではあるけれど、母の現状に私より詳しいことは間違いない。
それに、彼は前にブラギルフィアに来ていた。
もし、彼がこの半月の間にブラギルフィアに出入りしたのなら、陛下の無事もわかるのでは?
この場を立ち去ろうかと思ったけど、気が変わった。
そんな私を見て、サリクスは低く喉を鳴らして嗤う。
「おや、どうされました?」
「いえ。退屈していたのは事実ですからね、よろしければお相手していただければと」
「なるほど。私に対して、何らかの利用価値を見出したということですか」
「そんなこと……」
見透かされている、そう思いながら珠を転がすようにと無邪気に笑った。
実際のところ、私の目当ては有益な情報であり、彼との交流ではないのだけど。
「母が多忙とは、意外です。てっきり母は、多忙を嫌いのんびりと過ごしたがる人だとばかり思っていましたわ」
「ふ……」
居住まいを直した私を見て、サリクスは目を細めた。
「またしても、その猿芝居を続けられるおつもりか」
「……さぁ。何のことだか」
私は首を傾げてすっとぼけた。
表面だけでも取り繕わなければ、彼と会話などできる気がしない。
カップの中身を一口飲んだら、すっかり冷めていた。
侍女に声をかけて、二人分のお茶を新たに淹れてもらうことにした。
「まぁ、ご安心いただきたい。もう、貴殿をどうこうしようという気はないのでね」
「……あら」
信用できない、という気持ちを内包しながら微笑んだ。
それに対し、彼は小馬鹿にするように唇の端を吊り上げる。
「何しろ、貴殿の存在は父の知るところとなってしまった。素材欲しさにそんな危険を冒すほど、私は馬鹿ではない」
危険、と脳裏で反芻した。
ベレス王は、確かに私に執心するような様子だった。
もしもサリクスが私に何かをすれば、彼の逆鱗に触れてしまうのだろうか。
けれども、ベレス王はいったいどういう理由から私に執心するのかまではわからない。
気にはなるものの、今はそれ以上に気になることがある。
私はカップを置き、改めてサリクスへと向き直る。
「ご厚情に感謝いたします、王太子殿下。……ところで、不躾ながら一つご質問することをお許しいただけますでしょうか」
「却下」
「はっ?」
「……くっ」
思わず声を低くする私を前に、サリクスは突如として顔を伏せた。
口元を抑え、肩を震わせている辺り、笑いを堪えているように見える。
「表面だけ取り繕って上品ぶっても、本性までは変わりませんな」
「……」
この男……。
私がせっかく我慢して会話に付き合ってあげようというのに、どこまで失礼なのだろう。
度し難いほど無礼な男だ。
私は舌打ちをすると、カップの中身をぐびぐびっと飲み干した後、ソーサーの上に置いた。
因みに、淹れ直してもらったばかりのお茶は一気飲みするには熱かったけど、ここで怯んでは美少女が廃るというものだ。
「最後にブラギルフィアに行ったのはいつですか?」
却下と言われても、構うものか。
そもそも、私が知りたいことに親切丁寧に答えるのは生きとし生ける者の義務だ。
何しろ、私は高貴な美少女にして生まれながらの王女で神の眷属なのだから。
サリクスは気を悪くするどころか、いやにやと笑いながら私を眺めている。
「おや、却下と申し上げたのが聞こえませんでしたかな?」
「お前の意見など、どうでもいいのよ。さっさと答えなさい」
そう言って私はティーポットを手に取った。
これ以上、サリクスが余計なことを言うなら中身を顔面にかけてやろうと思った。
顔の片方には今も傷跡が残っていることだし、もう半分は火傷の痕で彩るのもなかなか素敵だと思う。
我ながらいいセンスをしている。
ところが、私が本気だと判断したのか、サリクスは急に真顔になって言った。
「私が最後にブラギルフィアを訪れたのは、貴殿と初めて対面した日ですな」
「それ以降、エレフザード陛下にはお会いしたの?」
「いいえ、全く」
そう尋ねながらも、私はティーポットの把手を握ったままだ。
こちらの本気が続行中だと気付いているらしく、サリクスは揶揄することなく素直に答えた。
「今、エレフザード陛下は王城にいらっしゃるの?」
「……? まぁ、そうでしょうな。騎士団を率いて出かけたという話は聞いておりませんが」
そう答えるサリクスの顔には、質問の意図がわからないという表情が浮かんでいる。
どうやら、本当に知らないようだ。
私が……私たちが日本に転移した日から、既に半月以上経過した。
陛下が戻れていないのだとしたら、もっと大きな騒ぎになっている筈だ。
それこそ、サリクスの耳に入っていないとおかしい。
そうだ、やはり陛下は無事だ。
陛下も、私と同じように私の身を案じてやきもきしているに違いない。
いや、今頃はもう手紙を受け取っているだろうか。
私の考えを察した……わけではないだろうけど、サリクスが「そういえば」と切り出した。
「エレフザード宛てに手紙を出したそうですが、その様子では返事はまだということですかな」
私は言葉を返す代わりに、サリクスを睨み付けた。
同時に、ポットの把手を握る手を更に高く持ち上げる。
サリクスは苦笑を浮かべ、両手を軽く掲げて掌をこちらに向けてみせた。
「落ち着き召されよ。私に火傷を負わせたところで、エレフザードから返事が来るわけではない。何より、物に当たるなど品格を疑いますな。いや、貴殿のみならず母君もね」
その言葉に、ぐっと奥歯を噛み締める。
結局、一瞬の逡巡の後、ティーポットをテーブルの上へと置いた。
この男の物言いはいちいち腹が立つけれど、今のは正論を言わざるを得ない。
それに、この美しい陶磁器製のティーポットを破壊するのは私の美意識に反することでもある。
何より、サリクスに火傷を負わせて一時的に溜飲を下げるよりももっと良いことを思い付いた。
「私をブラギルフィアにまで連れてってよ」
「……は?」
その唐突な物言いに、サリクスが怪訝な顔をした。
意味を理解すると、「いやいや」と困惑を含んだ苦笑を浮かべる。
「まさか。そのようなことはできませんよ」
「どうして? 貴方だって、ブラギルフィアに行っていたでしょう? 私一人を同行させるぐらい、どうということもない筈だわ」
「……承諾しかねますな」
サリクスは苦笑を浮かべたまま、溜息交じりに言った。
その物言いには、人を小馬鹿にするような響きがあって、私はむっとした。
でも、こちらが反論するよりも先にサリクスのほうが口を開いた。
「貴殿はティエリウスの王妃となられる身。勝手なことをしては、私が陛下に叱られてしまいます」




