リベンジ__復讐の長人 【3】
一瞬そこに目に見えない壁が生じたように、タツローとブルタムスが動きを止めて距離を取った。観客が、力一杯歓声を抑え、地熱のようなどよめきがスタジアムに溜まっているように思えた。
この試合はデッドヒット形式のルールで執り行われる。
デッドヒット__それは、素手でさえあれば肉体のどの部分に、どのような攻撃を加えても構わないと言う過酷な試合であった。バーストスピリット大会公式トーナメントでさえ、決勝戦以外は行われる事は無かった、滅多に採用される事の無い大変危険なルールだが、今回はブルタムスの提案によって実現したのである。タツローの方にも異存は無い。両者の承認の元、この危険な試合形式が実現し、遺恨試合はいやが上にも盛り上がり、本日の異常な興奮を誘う結果となったのである。図式的に喩えて言えば小さな人間でも金的を蹴り上げれば簡単に大男を倒せる訳だから、巨漢のブルタムスにとっては寧ろ体格差を充分に生かせる、幾分規制の有るルールの方が有利な筈だが敢えて不利な条件に身を置いた上で、見事敗戦のリベンジを果たそうと言う態度に彼の徹底的な執念が見て取れる。
タツローが仕掛けた。
ブルタムスの足元に頭から飛び込んで、ダイブするようにマットに転がった。ブルタムスが足を上げてそれを避けると、タツローはボーリングの球のようにそのまま転がり続け、距離を取って立ち上がった。安定の悪そうな痩せ型の巨漢の泣き所とも言うべき、文字通り足元を掬う効果的な動きだった。トーナメント準決勝の初対決でも見せた動きで、前にやられているからそれ程慌てはしなかったが、矢張り嫌がっているらしい気配は隠せない。
長身を立て直し、向きを変えて右足で放ったブルタムスのローキックを跳び上がって避けると、今度は左で仕掛けたハイキック__いや、ハイとミドルの中間位、しかし、ブルタムスにとってはミドルとローの間のような高さの蹴りを、タツローが呼吸を合わせて横っ飛びに側転しながら避けた。巨体から繰り出す蹴りは、先端こそ物凄い加速度は着くもののモーションが大きく避けやすい。とは言え、タツローが蹴りを避けるのにこのようなダイナミックなアクションを見せたのは無意味なファンサービスではない。なんと言っても相手は見上げるような巨漢、その脚の長さも半端ではない。安易に避けてもそのまま薙ぎ払われる恐れも有り、次の攻撃を防ぐ意味も兼ねて大きく動いて立つ位置を変えたのだ。
しかし、ブルタムスは攻撃を続けた。
大きく踏み込んで蹴りの間合いにタツローを捉えると右足を上げて降ろしてきた。踵落しと言う不合理な技も、これだけ身長差が有ると実に有効である。だが、予めこれを読んでいたタツローは踵を避けて前に出ると、脹脛の部分に肩を、振り下ろされて加速が付く前に自分から飛び上がり気味に背伸びをするように差し入れて、相手の脚を担ぎ上げるように捕らえた。そのまま肩でブルタムスの脚を担いで押し込み、巨大な痩身を豪快に転倒させた。のっけからの荒っぽい展開に観客は大興奮で歓声を上げ、手が付けられない位ヒートアップしてきたようである。
尻餅を付くように倒れたブルタムスに、タツローが間を置かず仕掛けた。座り込んでいても余り高さの変わらないブルタムスの胸板めがけて両手をクロスさせて飛び込み、果敢な攻撃を仕掛けた。ブルタムスが吹っ飛ぶように更に倒れ、タツローも相手を飛び越えて向うに転がった。
客席のヴォルテージは高まり、地響きのような足踏みがスタジアムを容赦無く揺るがしていった。
この前の初対決の時と違い、タツローが先手先手を取って攻勢を掛けている。前の試合ではひたすら距離を取ってブルタムスの蹴りをやり過ごし、時々遠間から上下に飛び蹴りを見舞って行っただけで最後のとどめまでは終始後手に回っていたタツローが、この試合では積極的に仕掛けているのは、前の手合わせで相手の間合いを掴んだからである。この途方も無い長身から繰り出すリーチの有る拳脚の間合いが、どれほどの物なのか初顔合わせでは流石のタツローも計り難かったが、一度闘えば相手の“間”を体で掴む事が出来る。単なる距離だけの意味ではなく、動きの癖とか呼吸とかリズムと言う意味の“間”である。
ブルタムスの得意技は、言うまでも無くこの長い脚を振り回しての荒っぽい蹴り技である。その、痩せ型の体型から見ても体ごとぶつかって行けば弾き返されると言う事もそうそう有るまいと思えるのだ。この前のアデローグのような厚みの有る相手に正面突破の肉弾殺法を仕掛ければ、受け止められて弾き返され、無防備で相手の前に身を曝す事にもなりかねない。そう思って頭から突っ込んで行くのは避けていたのだが、背高ノッポで安定に欠けるブルタムスにならそんな事は無い。逆に、下手に距離を取って相手の出方を待っていたのでは危険である。かと言って、安易に懐にも入れない。長身のブルタムスはその対策もキチンと練っており、下手に近付くと強烈な膝蹴りを喰らってしまう恐れも有った。特にこの身長差だ、ブルタムスの膝は簡単にタツローの顎を捕らえるだろう。初対決の時には最後の弓歩捶までは一度も懐に入らなかったタツローである。それまでのトーナメント公式戦でブルタムスはその恐怖の膝蹴りを披露していた為、タツローは警戒してそれを避けたのだ。遠間であれ近間であれ、止まっているのは危険、常に動いて飛び道具で突っ掛け、向うのペースを掻き乱さねばならないだろう。
余談になるが、もしもこの二人が手にグローブをはめ、パンチやキック以外禁止された、所謂キックボクシングスタイルのルールで試合を行ったら、タツローに1%の勝ち目も無いであろう。打撃技と言うものは、身長差が殆ど決定的要因である。ウェイト制で階級を区切った場合は別として、無差別の場合、ほとんど絶望的な条件になる。まだ後世の様に不自由なルールが設定されておらず、ほとんど野放し状態で自由な攻撃が許されている時代、スポーツ化した試合ではない戦いなればこそ、小兵のタツローが無差別級の戦いでも生き残っていけるのである。そう言った試合形式が主流になったら、タツローなどはお呼びでなくなるであろう。稼げるうちに稼いでおくに限るのである。
タツローにやや遅れてブルタムスが立ち上がり、そこを狙ってタツローがドロップキックを放った。この簡潔にして力強い空中弾は、飛び蹴りの中では最も素早く、無駄の無いモーションで繰り出せる。この世界では小兵の部類に入るタツローにとって、身長やリーチの差を埋めるために欠かせない必須アイテムと言えた。手足を振り回すだけの、ダンス拳法にうつつを抜かしたのではおいそれとは使い辛いだろうが、基本となるブリッジを始めとして胴体自体を柔軟に練った者ならば実に簡単に、素早く繰り出せる技__技というほどの物でもない動きだが、逆に蹴り自体は足を投げ出す雑な当たりである為、命中してもそれ程効果は無い。行儀良く姿勢を正した単飛腿__飛び足刀蹴りのように接触部を安定させないし、旋風脚のように加速度もつかないから相手にダメージは与えられないのだが、最も簡単に距離を詰める事の出来る便利な動作でもある。初対決の時には出さなかった技である。別に深い仔細有っての事ではなく、単にその機会が無かったのと、リングがどのくらい安全かが分からなかったのである。
流石にドロップキックは真正面過ぎ、ブルタムスがタツローの飛び蹴りを難無く避けた。
素早く立ち上がったタツローが再びドロップキックを繰り出した。
その蹴りが見事にブルタムスの顎を捕らえ、非常に良い感じで突き上げた。タツローからすれば偶然なのだが、これはブルタムスの不注意でもあった。彼は大男に多い、それも攻撃的な巨漢に有りがちな弱点、集中力に欠けるという性格的な欠点が有った。否、大きな体を支える負担から来る、体質的な欠点と言えるかも知れない。頭は悪く無いし、動きも速くは有るのだが、どうしてもそれを持続するのは難しいらしく、試合中、どこかで意識の空白が生じるのは、或いは宿命とも言うべき弱点なのである。
それ位でブルタムスは倒れなかったが、その直後、試合は急展開で奇妙な事態に突入して行ったのである。
急角度で顎を突き上げられたブルタムスは不覚にもその衝撃で脳震盪を起こした。突如足取りの乱れたブルタムスが、怪しい身振りで泳ぐようにふら付き、そのまま前のめりに、崩れ落ちるように膝を付いたのであった。
その、不自然な挙動に観客もレフェリーも、そしてタツローも一様に戸惑いの目を向けてブルタムスを見守るように注視している。レフェリーが駆け寄って、膝を付いて虚ろな目を宙に泳がせたブルタムスを心配そうに窺っている。その様子を、タツローが不信の面持ちで見詰めていた。
不自然な流れで中断した試合を観客がざわめきながら、遠巻きに窺うような気配で見守っていた。