消化試合 〈3〉
タツローには、ロギンスの拳は見えない。
しかし、動きは見える。
ロギンスのパンチやキックは、末端の手や足が見えなくなるほど速い。しかし、動作が大袈裟で無駄が多過ぎる。
いつ攻撃してくるかも丸わかりだ。
動きはことごとく見えるのである。
いくら拳が消えるほどの高速でパンチを撃っても、目標からはるか離れた場所で思い切り振りかぶって打ち掛かったのでは無意味でしかない。何よりも、打ち気が露骨すぎる。
今から殴りかかりますよ、と言っているようなものである。
人間の運動は、どんなに末端の動きであっても、必ず中心線から出るものである。パンチであれ、キックであれ、中心の動きを読んでいれば予測する事は容易い。
いつ来るか、どこに来るかが分かれば避ける事など造作も無い。
攻撃の瞬間、射線をずらせばそれだけで充分なのである。
尤も、試合において多数の禁止事項が設定されていれば、状況は変わってくる。例えば顔を殴ってはいけないとか、組み付くのは反則とか、背後からの攻撃は禁止と言ったルールでも定められていれば、仮に相手の攻撃を避けても、すぐさま次の反撃に出られない。そうなれば、避けられた方も別に慌てる必要はないのだ。一々ボックスだとかファイティングポーズだとか言われたのでは、この種の武術的な見切りは意味を為さなくなってしまう。
相手が何を仕掛けてくるか、その範囲が限られていればその部分にだけ意識を集中させ、敵の攻撃に備えれば済むだけの事である。そうなれば力対力、反射神経の争いになるばかりであって、知性を駆使した“術”の出る幕は無くなってしまう。
武術とは、そもそも“術”とは、正々堂々の競争に勝つためのものではない。競争を避けて敵の隙を窺い、一方的に相手を打ち破るためのものなのだ。
武術とは、或る意味で言えば、卑劣な行為と言えるのである。
ロギンスには、タツローの拳が見える。
しかし、動きが見えない。
別に動体視力で追えないとかそういう意味ではない。普通に、動いている姿が見える。しかし、それがどういう風に来るのかが分らないのだ。全く闘争とはほど遠い、日常の動作のように見える。
そして、タツローの繰り出す拳もはっきりと見えるのだ。しかし、それを避けられない。闘志を剥き出しにして撃ちかかるのではなく、飽くまで何気なく動くタツローの攻撃を、避ける事が出来ない。
そして、タツローは殆んど動く事無く軽く身を裁くだけでロギンスの攻撃を簡単に避ける。
それが、ロギンスにとっては耐え難い屈辱である。
何故なら、タツローは強敵が相手ならば大きく動いて戦うのだが、ほとんど動かないのは対戦相手の実力が大した事が無い時である。
ロギンスも、その事を知っている。
タツローと言えど、実力者と対戦する時には格好などつけてはいられない。なりふり構わず、飛んだり跳ねたり、身を伏せたり跳び上がったり転がったりしながら戦わざるを得ないのだが、実力差がはるかに隔たっている相手にはできるだけ動かないのだ。
観客も、その事を知っている。
金を払って試合を観に来た客などと言う物は無責任で残酷なものだ。タツローに格下とはっきりみなされた試合ぶりを許したロギンスに対して、容赦ない嘲笑と罵声が浴びせられている。
只でさえ、格上の相手に挑戦する立場で気負ったロギンスはこの呵責ない嘲笑で更に逆上してしまった。
怒りに我を忘れたかのようにパンチ、キックの乱打を浴びせようとするが、いずれも簡単に避けられる。無論、タツローは殆んど動かない。
何故に、斯様な避け方が可能なのかと言えば、一つは人間の動きを起動する、一種の神経電流の様な働きに関係が有る。これならば、常識の範囲でも納得できるであろう。現代科学の理論からは大きく外れてはいないからである。
しかし、今一つの要素は常識人には理解しがたい事と思う。何故ならば、全く科学的な常識からかけ離れた現象が起こっているからである。
古武術において、見切りと言われる行為、敵の攻撃から身を避ける為重要な方法は、空間自体をゆがめて距離感を支配する事なのである。
恐らく、信じがたい事と思う。只の、小説の為の創作、作者の空想の類と思われるかもしれない。
実は、現実に空間を歪める事は可能なのである。このような術技を武術の用語では、引進とか、縮地法などと言われる。
ロギンスが、左脚でタツローの右脚を狙った。このローキックに対し、タツローは全くこれを意に介さずといった趣で前に出ると、相手の両脇に手を差し込んで後、素早く体を差し替えてすくい投げに行った。
蹴りの直後でややバランスを崩したロギンスは、簡単に放り投げられた。
客席から、またも嘲りと面白半分の野次が飛ぶ。
何とか受け身を取ってタツローの方を窺うロギンスだが、相手はそこから仕掛けようとはしない。
無表情、と言うよりは何やら困ったような、相手にどんな顔を見せれば良いのか分らぬ様な感じで表情を消したタツローの、不器用で人の良いポーカーフェイスに、ロギンスの屈辱は更にエスカレートした。
対戦相手に同情されるようでは、この商売はやっていられないのである。
ロギンスは強引に、自分から間合いを詰めて接近した。何が何でもこの男に一撃を浴びせたいと言う欲求に引きずられ、彼は勝機も見えないのに無理な賭けに出てしまったのである。否、賭けと言うほどの、可能性のある選択ではない。全くめども立たず、きっかけも見えないのに、逆上して無理やり無茶な攻めに出ただけである。
しかし、ロギンスの方にもそれなりの理由はあった。先にタツローから受けた例のボディブロー、あの打撃は後々効いてきて、確実にスタミナを奪われると言う話を彼も知っていた。このまま長期戦になれば、自分は不利になる。その情報が却ってアダとなり、ロギンスに強引な攻撃を仕掛けさせたのである。
だが、それは単に追い詰められた焦りの為、無謀な攻撃を仕掛けたに過ぎない。
タツローにすれば思う壺、とすら言いようのない、何やら相手には失礼ながらまたしても同情するしかないほどに軽率なロギンスの行動である。
接近してくるロギンスに合わせるように、タツローは一歩、やや跳ねるような足取りで後退した。そこでロギンスは踏みとどまるべきであった。だが、頭に血が上ったロギンスは前後の見境なく後退するタツローを追いかけた。
深追いしてきたロギンスの動きに合わせて、今度はタツローが前に踏み出した。その足取りは自然で、動作は吸い込まれるに見えた。
あっ、とロギンスが気付いた時にはもう手遅れであった。
身長が低く、リーチも短いタツローに懐に入られ、腹に一発、またしても右の拳を食らった。その動きは、何と言う事の無い、抱え込むような動作だったが、それだけで充分だった。
「ぐ……」
今までにも、試合中に同じような拳打を浴びせられたが、この一撃は違うようだ。
先に受けた時のブローは、何か打ち捨てる様な、軽い打撃だった。当たっても内臓全体が押しつぶされる様な打撃で、いわば衝撃が全体に分散するような感じである。しかし、たった今タツローがロギンスに放った一打は、もっと鋭く、その衝撃は集約的で突き刺さるような感覚であった。それまでのブローがパンチならば、今の挙動はまさしく突きである。
筋肉の働きで言えば、それまでの打撃動作は伸筋主体だったのに対し、今の一撃は屈筋主体の動作である。踏み込みも、ぐっと力強く、深く重心を沈めていた。
タツローは、突きを放ったその姿勢のまま残心の構えで佇んでいた。
ロギンスもまた、拳を受けた姿勢そのままに立ち尽くしていた。
それまで収拾がつかないほどの騒乱に満ちていた観客が、一気に静まり返った。
どちらも動かない。
客席は静まり返ったままである。
タツローは、凍てついた時間が溶け出すような挙止でロギンスの腹から拳を引き抜くと、徐に後退を始めた。
目を剥いたままのロギンスを、油断なく窺いながらタツローは、一歩一歩、踏み応えを確かめる様な足取りで後退った。
観客は、恰もその一挙手一投足をも見逃すまいとするように、息をつめた様にタツローを凝視していた。
後退しながらもタツローは、静かな、真剣な、恰も用心深く何かを観察するような表情のまま、ロギンスを見詰めていた。
そんな光景が繰り広げられるリングを取り囲む客席は、つい先ほどまでの喧騒がうそのように静まり、威圧的なまでの沈黙がスタジアム全体を支配していた。
既に、観客の脳裏にはこの先に展開するであろう風景が、目に見えるが如くありありと浮かんでいた。その瞬間が訪れるのを、客席の誰もが今や遅しとばかりに息を殺して待ち構えていた。
無言の圧迫感が支配する客席からは、しわぶき一つ起こる事無く、押し詰まったような束の間の静寂が、スタジアムに幻の様な違和感に彩られた空間を演出していた。
タツローが、クルリと後ろを振り返った。
腹を押さえながらロギンスがその場に膝をついた。
まるでそれを待っていたかのようにゴングが慌ただしく打ち鳴らされ、観客も抑え込んでいたエネルギーを開放するように無秩序で壮絶な歓声を放った。
タツローの背後には、腹を押さえたまま葛折れたロギンスが蹲っている。
このスタジアムでは毎週のように繰り返される、御馴染の光景であった。