リベンジ__復讐の長人 【5】
意識は戻ったとは言え、まだハッキリとは事態を把握してはいないかのようなブルタムスと、タツローは距離を置いて対峙した。
そんなタツローを見詰めながら、リベルナは中途半端な、周りに何か反応を期待するような調子で意見を述べた。
「一体、何考えてんだろうねえ、あの昼アンドンは__」
リベルナには只今のタツローの行動が、今一つ腑に落ちないらしい。タツローは特別に勝敗に拘泥する訳でもないが、かと言って正々堂々などというスポーツマンシップとは無縁な男である。そのタツローが、何故斯様な行動を取るのか、彼女には判らなかった。
「あっしにゃあ、判りヤスぜ、アニキの御胸中が」
ジョーが、しみじみとリベルナに答えた。
「そうよねえ」
後を引き取ったオルフィアの口調も、いやに納得したような余裕が感じられる。この二人は仕事師である。体を張って客を満足させ、その見返りにギャランティを受け取って生活の糧とする、言ってみれば“プロ”である。アマチュアの中途半端な勝負観などとは無縁の世界に生きるジョーとオルフィアには、今のタツローの行動が理屈でなく理解できるのだろう。
リベルナが、そんな二人に何かしら未練げな、期待したのと違う、といった顔を向けた。
「これが仕事やからな、あのアホンダラの」
そんなリベルナを諭すように、ハゴンが一言で簡潔に締め括った。
理屈は兎も角、気分的には腑に落ちないリベルナだったが、皆が納得しているのに自分だけがそれを判らず、拘っているのがみっともないような気がしてそのまま口をつぐんだ。
年上で性別も違うジョーやハゴンは兎も角、同じ女でしかも同い年のオルフィアでさえ判っている事を自分が納得できない事が、リベルナには釈然としない。
この試合は__否、試合というのはタツローにとって全て“仕事”であった。勝てば良いと言うものではない。中には是が非でも勝たねばならない、勝つ事が仕事という試合も有るだろう。しかし、この試合は違う。この前の、アデローグとの試合は勝つ事が全てであり、先程のような展開となったらそのまま放っておいて勝つ事を優先させるだろう。しかし、この試合は違う。勝てば良いと言う試合ではない。仕事の完成度を何よりも優先する、タツローも矢張りプロの仕事師なのであった。
未だ完全に復調していないらしいブルタムスに、タツローが突っ掛けた。真正面から後旋飛腿、即ち飛び後ろ廻し蹴りを、やや大雑把に仕掛けた。顔を両手で庇いながら避けたブルタムスに、漸く気合いが入ってきたようである。
“成る程、そう言う事かい__”
何がそう言う事なのか、それこそ理屈では判っているものの、正直体のどこかに違和感を残したままのリベルナだったが、今の光景で何事かを無理矢理自分に言い聞かせたようだった。それはタツローやジョー達の立場ではなく、正直な所観客の側からの理解ではあったが。
ブルタムスが、自分自身に気合いを入れようとするかのように左脚で豪快な廻し蹴りを仕掛けた。こちらも余り集中力の無い、強引な技だったがそうする事によって、一旦外れた歯車が少しづつ噛み合って来ているようであった。
長い脚を振り回しての乱暴なキック攻撃が連続してタツローを襲う。
ブルタムスの蹴り技、リベルナと同じ極宝真拳なのだが、両者の技は微妙に違う。簡単に言ってしまえば振りの大きさに違いが有る。女性としてはやや背が高い方とは言え、矢張り男から見れば小柄なリベルナなどは脚を思い切り伸ばして弧を大きく蹴る。それに比べれば、途方も無い長身のブルタムスは寧ろ自分のリーチの長さを持余さぬよう気をつけねば成らず、出来るだけ蹴りの軌道は小さく、コンパクトに纏めねばならない。具体的には、膝の力を抜き切って軽く振り切るのだ。決して振り回すのでも、蹴るのでもない。小さく脛を振る。その為に、膝の使い方に独特の工夫があった。外側から大回りに脚を振り回すのではなく膝を入れるようにしてリードし、蹴りを先導するのだ。このやり方だと威力は落ちるが、図体の大きなブルタムスならば問題は無い。本来の極宝真拳の蹴りならば大型を相手にする時にも有効だし、大抵の相手は自分より小型だから、両方合わせて使い分ければば動きを止めた後で最後のとどめに使えるのだ。所謂、ムエタイ流の“テ”と呼ばれる蹴り技とほぼ同質である。ムエタイの蹴りは強烈な破壊力があるといわれるが、それは膝のみならず、更に腰を深く入れるからだが、そうすると膝の靭帯に掛かる負担は相当なものになる。要するに打撃の際の力点が殆ど膝に掛かる仕組みで、これで強力な負荷に耐え得るためには幼少時から余程サンドバッグやキックミットを蹴り続けて鍛えねば成らず、数多くの脱落者の中のほんの一握りの生き残りだけが修得できると言う過酷な技能なのである。
ブルタムスの暴風のような連続蹴りをタツローが軽業師のようにかわし続ける。
しかし、流石に避けきれず右のハイキックを喰らったが、頭部を硬くガードしたタツローは、反対側に自分から飛び込むように回転して威力を減殺し、すぐに立ち上がった。
余談だが、タツローは所謂ハイキック、上段廻し蹴りが得意ではない。足自体は高く上がるが、それを振り回す不合理をタツローは好まないのだ。タツローが軸足を残した脚撃で上段を狙う場合は、殆ど端脚か活面脚である。この二つの蹴りには技術的な共通点が有る。足首を返して擦り蹴ると言う事である。端脚は、横蹴りなどではなく、足刀を用いた前蹴りと言った趣の足技で、命中する時にも脚側部を粗雑にぶつけるような低レベルな事はせず、小指の付け根辺りから足刀全体を切り込ませるように接触させ、踵の横でインパクトする、大変技巧的な技なのだ。活面脚も、足の内側、土踏まずの部分で側頭部を擦り蹴り脳震盪を起こさせるのだが、下手糞は踵を雑にぶつけるだけの蹴りとなる。どちらも足首を柔軟に、鋭く用いねば威力は出ない。当然軸足は踵を浮かさず固定している。これも、足首が粘り強くなければ死に技になってしまうだろう。これらの蹴り技は、体を倒さずに用いる事が出来ると言う利点がある。上段廻し蹴りはどうしても体を倒さねば成らないが、片足立ちで、体を横倒しにするなどと言う不安定な姿勢は実戦と言う視点から見てみれば、無謀を通り越して宛ら自殺行為に等しいと言える。タツローにとっては、飛び蹴り以上に危険な、不合理な技であった。しかも、その上、蹴り脚を振り回すのだからどれほど姿勢が崩れるか、無理に無理を重ねた狂気の沙汰に近い。いっその事、地に倒れて転がった方が余程安全である。相手にも寄るだろうが。更に言えば、足首を柔軟に鍛錬したのは元々太輪拳の基本でもあるのだが、タツローは特にその強化に努めたのだ。この足首の功徳で、タツローの歩法は自然で安定している。基本的に腰と背骨のバネで動く為、ボクシングのように踵は浮かさず足の裏は地面にぴたりと着け、足首はショックアブソーバーの役割を果たすのだ。
足元を狙って来たブルタムスのローキックを、タツローが跳躍して避けた。否、避けただけではなく、そのままブルタムスに突っ込み、鼻面めがけて頭突きを狙った。あっ、と意表を衝かれたブルタムスが、顔を振って避けたが、タツローは止まらず側頭部に、と言うより頬骨に頭突きが当たった。まともに命中したと言うより掠ったような感じである。落下して転がったタツローが再び立ち上がり、チャンスを窺ったが、顔を軽く振ったブルタムスはすぐに相手の反撃に備え、ファイティングポーズを取って威嚇した。
流石に足元はブルタムスも警戒しており、そう簡単に攻められそうには無かった。