98話「『神代の巫女』マライア」
声の主は近くの樹上から飛び降りると、くるりと宙返りしながらソウジたちの前に着地した。激しい身のこなしに合わせて、紫色の長いポニーテールがふわりとたなびく。それは派手な紅蓮の衣装を身にまとい、一対の扇を持った唱角だった。
「この森から外に出すなって司祭様から言われているんでね。全員ここでくたばりな」
右手の扇でソウジ達を指しながら、その唱角は不敵に笑った。アンナはそんな彼女を見るやいなや、驚いた様子で指差した。
「アンタもしかして、『神代の巫女』マライア!?」
「おや。ひょっとしてあんた、あたしのファンかい?」
「うん! 最後のツアーのときにハブ・プロットルの公演を見に行ったんだけど、すっごく良かった!」
「そりゃあ良かった。あのツアーはあたしも相当力を入れてたからねぇ。思い返すとなんだか懐かしくなってくるよ」
マライアはしみじみと語る。アンナは興奮しながら一魔で小躍りしている。
「有名なのか?」
「えっ、ソウジ、知らないの!?」
「ああ。流行には疎くて……」
ソウジは若干の気まずさを抱えながら頬をかいた。アンナは責めることなく、むしろ嬉しそうに解説を始めた。
「少し前に大ブレイクした踊り子だよ。まるで女神が降臨したかのように美しく見える舞い姿から『神代の巫女』って呼ばれて、随分もてはやされてたの。若くして亡くなったってニュースが流れたときは、結構ショックだったなぁ」
「そ、そうなのか……」
立て板に水を流すようなその饒舌ぶりに少々びっくりしつつ、アンナの話を聞いていたソウジは、あることに気がついた。
「ちょっと待て。亡くなった、っていま言ったよな?」
「うん。ファンを集めて盛大な葬儀までやったんだから、間違いないよ」
「それじゃあ、ここにいるのは――」
「ご明察♪」
マライアは指を鳴らすと、踊り子にふさわしい魅惑的な笑顔を見せた。
死者を生き返らせる方法といえば、一つしか心当たりがない。すなわち、彼女もまた生還者なのだ。
「生還者なのに、どうして普通に喋れるんだ?」
「あたしは“成功例”だからね。その辺でウロチョロしてる出来損ないと一緒にしないでくれる?」
さっきソウジたちを襲ってきた自我の薄い者たちは、失敗作ということらしい。言い換えれば、彼女は痛みを感じない生還者の性質のみならず正常な思考力をも持つ、厄介な相手ということだ。
マライアはアンナを一瞥すると、軽くウインクをした。
「その子があたしのファンみたいだから、特別サービスしたげる。冥途の土産に一つだけ、お願いを聞いてあげるよ」
「じゃ、じゃあ、このポーチにサイんぐっ!?」
駆け寄ろうとしたアンナの口を左手でふさぐと、ソウジは剣の切っ先をマライアに向けた。
「ここを無傷で通してくれ、っていうのはダメかな。不要な争いは避けたいんだ」
「残念ながら、それは聞けない頼みだねぇ」
どうやら、和解する意思は全然ないようだ。腹をくくったソウジが剣を構えて相対しようとしたところ、カナエがさらに一歩前へと進み出た。
「ソウジくん、ここは私に任せて」
「いや、カナエ一魔に任せるわけには――」
「お願い。みんなに甘えるのはもう嫌なの」
カナエは唇を固く引き絞り、懇願するような目つきでソウジを見つめた。その強張った表情には、どこか焦燥のようなものも混じっているように見受けられた。
『天翔ける鴉』に所属してからいままで、カナエは自分自身の手柄というものをほとんど立てたことがない。他のメンバーたちが順調に活躍を重ねていく一方で、自分はギルドに対して何も貢献できていない。そう思い込んでいるカナエが功を焦るのも無理はなかった。
ここで引き留めることもできるが、そうすると余計にカナエのプライドを傷つけてしまいそうな気がして、ソウジは彼女にこの場を託すことにした。
「分かった。頼んだぞ、カナエ」
「“魔術剣士”の二つ名に恥じないよう努めるわ」
カナエはどこか茶化すような笑みを浮かべた。
実戦経験はほとんどないと言っていたから、相当緊張しているはずだ。プレッシャーと恐怖に押しつぶされそうなカナエの背中を、ソウジはそっと押し出すことしかできなかった。
「ちょっとちょっと、あんたたち何か勘違いしてないかい?ここを通してあげるなんて一言も言ってないよ!」
真横を走って通り過ぎようとするソウジとアンナを見て、マライアは不機嫌そうに口を尖らせた。
器用に片足立ちすると、両手の扇をこちらへ向けつつ、ヨガのポーズのような独特の体勢で構える。それから、体を華麗に一回転させながら空気の刃を放った。
それはさっき飛んできた刃よりも一回り大きかった。ソウジはとっさに剣を構えて振り抜こうとしたが、マライアの攻撃速度の方が断然早い。
その様子を見たアンナは、とっさにソウジの体を押し出して身代わりになった。その行動に驚愕したソウジだったが、時すでに遅し。無防備なアンナの脇腹に向かって、高速の刃が迫りくる。
程なくしてやってくる痛みに耐えようとアンナが目をつぶった、そのときだった。
「凍れ(コンジェラティオ)!」
カナエの掛け声が森にこだまする。ソウジの身長を優に超える巨大な氷塊が、ソウジたちとマライアを隔てるようにして地面から生えてきた。空気の刃はその氷塊にぶつかると、表面をがりがりと削って大きな傷跡を残してから消滅した。
「あなたこそ何か勘違いしてるわね。『ここは私に任せて』って言ったのよ」
カナエは凛々しい声で挑発すると、ひもを通して首にぶら下げている魔晶石の指輪をぎゅっと握りしめた。お守り代わりに受け取っておかなかったら、今ごろ大変なことになっていただろう。
マライアは遠くへ駆け抜けていくソウジたちの背中を一瞥した後、カナエを忌々しそうににらみつけた。
「よっぽどズタズタにされたいみたいだね」
「できるものならやってみなさい!」
互いの視線がぶつかって、バチバチと火花を散らす。いまここに、女同士の激闘が幕を開けた。




