92話「ソウジVSカナエ」
珍しく霧の晴れた月明かりの夜、しんと張り詰めた空気の中でソウジは剣を振っていた。鋭い刃が空を切り裂くかすかな音が、耳に響く。
「今日は早いわね」
背後から声が聞こえ、ソウジは振り返った。そこにはピンク色のタンクトップとショートパンツを着たカナエが、鞘に入った剣とイルを持って立っていた。
「あれ、アンナは?」
「エマちゃんが心配だって言って、ハワードさんと一緒にずっと看病してるわ」
「そうか……」
カナエはゆっくりとソウジに歩み寄ると、そばにあった切り株の上にイルを置き、その脇に剣を立てかけた。
「正直言うと、俺もあまり気分が落ち着かなくてさ」
「分かるわ。ここのところ、みんなふさぎ込んでしまっているものね」
あの話し合いの後、ソウジたちはハワードの引っ越しの準備を手伝いながら、平和な日々を過ごしていた。
ただ、懸念が一つだけあった。エマの病状のことだ。彼女は日に日に衰弱していっているように思われた。
ライト卿に連絡を取ってみたり、ウルを窓口として傭兵協会のゲルート支部に問い合わせてみたりしたのだが、エマを治せるほどの技術を持つ医者の情報については、なしのつぶてだった。
そうして事態が全く進展を見せないまま、ソウジたちはこの六日目の晩を迎えたのだった。
「エマさんが一番辛いはずですよ。我々がしっかりしないでどうするんですか」
イルに檄を飛ばされ、ソウジは背筋がしゃんと伸びた。
その通りだ。いま我々がすべきことは、闇雲に右往左往して精神を無駄にすり減らすことではない。
「そうね。私たちまで落ち込んでちゃダメよね。こういうときこそ平常心が大切だわ」
両手で頬を叩いて気合いを入れると、カナエは軽くストレッチを始めた。ソウジと稽古をするための準備運動だ。
ラッシマとの戦いで圧倒的な実力不足を実感したソウジは、仲間たちに修行をつけてもらうことにしたのだった。カナエからは剣技を、イルからは魔術を教わっている。
毎晩のルーティンは、まずカナエとの立会い稽古から始まる。
「負けるのが怖かったら、やめてもいいぞ」
「あら、そんな冗談言っていいのかしら?めためたにしちゃうわよ?」
しゃがんで足の腱を伸ばしていたカナエは、おもむろに立ち上がると、上品な手つきで自分のショートソードを鞘から抜き払った。
「おー、くわばらくわばら」
「なに、そのクワバラって」
「勝利の神に捧げる呪文だよ」
「そんな神様、いたかしら……」
異世界文化のすれ違いもそこそこに、ソウジとカナエはそれぞれ自分の胸に手を当てると、互いに首を軽く垂れた。
剣道やフェンシングと同じように、立会いのはじめには必ずあいさつをするのが魔族のしきたりだそうだ。相手への礼儀を示すという作法は、元居た世界でもロスタルカでもあまり変わらないようだった。
二、三回その場で飛び跳ねて体をほぐすと、そのままリラックスした状態で両腕を垂らし、無理のない自然な構えで下段に剣を据える。腰は軽く落としており、剣の切っ先は斜め前に向いている。
ソウジもそれに応じて剣を構えた。それは、剣道において基本的なフォームと言われる中段の構えだった。正中線上に置いた剣先は、カナエの喉元に定めている。
「剣にマナを纏わせるのにもやっと慣れてきたみたいね」
「まだちょっと怖いけどな……」
ソウジはカナエとイルから、マナの扱いを教わった。その中でも極めて重要な技術の一つが、刃の部分にマナで防護膜を張ることだ。これは、剣を用いた実践的な訓練を行う際には誰もが教わるポピュラーな手法だそうだ。
これを行うのには、大きく分けて二つの理由があるとカナエは言っていた。
一つ目は、刀身を守る効果があるためだ。
実戦の感覚を養うためには、訓練の時点から真剣を扱ってその手さばきに慣れておく方が効率がいい。しかし、打ち合うたびにいちいち刃こぼれしていたのでは、剣が何本あっても足りなくなってしまう。そのデメリットを防ぐためである。
そして二つ目は、安全に立ち合いを行うためだ。
マナを纏わせることによって切れ味を自在にコントロールし、全く切れないようにすることも、さらに切れるようにすることもできるのだ。これなら万が一、勢い余って刀身が相手の体に当たったとしても、打撲などの軽傷で済む。
そんなわけで、ソウジは慣れないマナの扱いに四苦八苦しながら、刀身保護のためのマナコントロールを練習し、やっとの思いで身につけたのだった。
もっとも、一朝一夕で完璧に会得するというのは、土台無理な話である。いまのソウジには、剣を媒介にしてマナをまんべんなく放出するのが精一杯だった。
「じゃあ、いつでもいいわよ」
カナエは笑顔でソウジを見据えながら、手のひらを上に向けて手招きした。気分はすっかり師匠といったところだろうか。一矢でもいいから報いたいとソウジは思った。
ソウジはすり足で、カナエとの距離をじりじりと詰めていく。それに対し、カナエは後退することなく、ソウジの攻撃がくるのを堂々と待ち構えている。
森の中をこちらに向かって吹き抜けていた風が、一瞬だけ止んだ。
刹那、ソウジは剣を上段に振りかぶりながら一気に踏み込んだ。カナエはそれを剣の腹で丁寧に受け止め、斜め後ろに受け流す。
重心を崩されたソウジは、よろけた左足を踏みとどまると、腰をひねりながら強引に刀を返した。
「!」
がら空きになっている脇腹を狙われたカナエは、ソウジが振るう剣を下に向かって叩き落とすように打ちつけながら、サイドステップした。剣の切っ先がカナエの青い肌をかすって空を切る。
カナエはその隙を好機と見て、ソウジの首元目がけて袈裟懸けに斬りかかった。
腕を最大限まで振りきったいまのソウジには、体の前まで剣を悠長に引き戻している猶予はなかった。それゆえ、よろけたときの体重の傾きに身を任せて、そのまま左前方へ前転した。今度はカナエの振るった剣が空を切る。
間合いを取り、両者とも体勢を立て直す。荒い息遣いだけが、二魔の間に響く。
ここでソウジは勝負に出た。一歩、二歩と踏み込み、カナエの至近距離に飛び込みながら打ち込んだ。つばぜり合いしながら両腕で押し返そうとしてくるカナエを、力づくでぐいぐいと押し込んでいく。
ほどなくして、腕力差に屈したカナエがよろめきそうになるのを見計らったソウジは、剣を押し込むのを突然やめて、足払いをした。
前につんのめって転んだカナエはなんとか受け身を取ったが、頭上を見上げたときにはすでに、ソウジが剣を大きく振りかぶっていた。
大勢はすでに決したかと思われたそのとき、ソウジはぴたりとその動きを止めた。
ソウジが剣を振り切るより明らかに早く、カナエの刃がソウジの首元に突き立てられていたのだ。
「負けたぁ」
ソウジは嘆息しながら、その場に尻餅をついた。
「ゴリ押しはダメって言ったでしょう。相手の動きを読む努力をしなさい」
「あいてっ」
剣の腹で頭を軽く叩かれ、ソウジは思わず首を引っ込めた。剣技で勝てないなら腕力で勝とう、という大味な作戦は見事にばれていた。もっと頭を使わなければいけないようだ。
「それを抜きにしても、もっと繊細に戦いなさい。無駄な動作や大振りが多すぎる。コンパクトに剣を振るわないと、隙が大きくなってしまうわ」
「分かった」
ソウジは立ち上がると、呼吸を意識的に整えながらカナエに向かって改めて剣を構えた。
「いまのを踏まえてもう一度、頼む」
「ふふっ、まだまだやる気って感じね。いいわよ。その代わり」
「その代わり?」
「今度はこっちからもガンガン攻めるから、覚悟すること」
立会い前の挨拶を交わし終えるなり、カナエは構えを変えた。
さっきと比較すると、剣を構える位置が拳二個ぶんほど上になり、ソウジと同様に正中線上で真っ直ぐに構えている。心なしか、気迫もこもっているように思われた。
「イルさん、試合開始の準備をお願い」
「承知しました。それでは――」
向き合った二魔が、お互い真剣ににらみあう。しばしの後、イルは切り株の上からふいに叫んだ。
「はじめ!」
有言実行、前回とは逆にカナエの方からソウジの懐に飛び込んでいく。
目にもとまらぬ速さで、カナエは打ち込んだ。二合、三合と切り結ぶうち、力では勝っているソウジが勢いで押され始めた。反撃する余裕は全く見えず、太刀筋に対応するのがやっとだ。
数瞬の後、ソウジが防御のために横向きに掲げた剣を、カナエは上に向かって思い切り払いのけた。キィンと弾ける音とともに、ソウジの右手が月に向かって高く跳ね上がる。
「あっ」
カナエはソウジの左肩に向かって振り抜いた刃を丁寧に寸止めすると、一歩後ずさった。
「いまのはすごく良かった」
「一方的に負けたのに?」
「たしかに、結果だけ見たらそうね。だけど、あなたの心構えはさっきよりも全然良かったわ」
カナエはショートソードを鞘に納めて切り株に立てかけると、足元に落ちている木の枝を二本拾い上げた。それらを両手に一本ずつ持ち、交差させた状態で互いにぐっと押し込む。
「相手から押し込まれたときも、さっきと考え方は一緒よ。全てを力ずくで跳ねのけようとすると、不必要に力んでしまって、逆効果になるわ。相手の出方をよく見て、柔軟に対応することが大切なの」
カナエが右手の木の枝を前方に力強く押し出すと、途中でぽきりと折れてしまった。左手に持っている方の木の枝は折れることなく、柔らかくしなって震えている。
「それは分かるけど、あのままだとジリ貧にならないか?自分からもどんどん攻めていかないと、いつかやられてしまうと思うんだが……」
「その通り、攻めることも必要よ。でも、ただ闇雲に攻めるだけじゃダメ。攻めと守りは表裏一体につながっているわ。相手の隙を見つけて、なければ生み出して、そこをすかさず突く!っていう感じよ」
「そうか、分けて考えちゃいけないんだな」
ロールプレイングゲームのターン制バトルとはわけが違うのだ。そして、実戦ではその読み合いを誤ると命さえ落としかねない。
ソウジは立会いの奥深さと、鍛錬に底打ちされたカナエの実力に、感嘆のため息をつくしかなかった。
最後に終わりの挨拶をして、カナエとの稽古は幕を閉じた。本日の結果は二戦二敗。これで通算二十敗になる。彼女には一度だって勝てたためしはなかった。
「強いな、カナエは。対等に戦えるようになるまでに、あと何年かかることやら」
「何言ってるのよ! 始めてまだ一月も経ってないのに、もう私の喉元に食らいついてきてるじゃない! ソウジくん、本当に戦闘は初心者なのよね? 経歴をさば読んでない?」
あれだけボコボコにされた後に褒めて持ち上げられても、微妙な気持ちにしかならない。実力差は十分理解しているものの、それでも負けるというのはやっぱり悔しいものだ。
その複雑な心境を察したのか、返しの言葉を言いよどんでいるソウジの肩を、カナエは軽快に叩いた。
「お世辞じゃないわよ、本心から言ってるの。地道に頑張っていきましょう」
「そうだな。ありがとう」
右手を差し出してきたカナエとがっつり握手を交わすと、ソウジはなんとか気持ちを切り替えて、切り株の前に座った。




