9話「抜け穴を探せ!」
そこで、ソウジはふと気づいたことがあった。
「あの、すいません。つかぬ事をお聞きしますが、いまフィーネさんのご両親はどちらに――」
両親が健在ならば、普通はこのホテルの営業を何がしか手伝うはずだ。しかし、現在はフィーネだけがここで働いているようだ。
その情報を、さっきフィーネが衛兵に対して発言した内容と照らし合わせると、彼らはどこか別の場所で働いているということになる。
「父と母はラッシマ商会から仕事の紹介を受けて、ゲルートまで出稼ぎに行っているんです。この街で働くよりは額面が良いものですから」
「そうでしたか。いま連絡って取れますか?」
フィーネの両親も借金の返済に協力しているということは、なにかいい情報やツテを持っているかもしれない。もし貯金があれば、そこから返済に補てんしてもらうという方法も考えられる。
いずれにせよ、話を通しておくなら早い方がいいだろう。
「すみません。機密情報を扱う仕事だとかで、緊急時以外はスマボが使えなくて。手紙のやり取りしかできないって言われているんです。いまからだと、返信が届くのが間に合わないと思います」
「なるほど、それだと無理ですね」
残念ながら、強力な手札を一枚失った。他に大金を用意する方法はないだろうか。
「周りの店に片っ端からお願いして、お金を借りるっていうのはどうかな?」
イルは納得いかなさそうに右手であごを押さえながら、斜め上を見上げている。
「いかんせん短絡的すぎませんか?」
「だからいいんですよ、イルさん。思い詰めがちなときほど、シンプルに考えた方がいい。力業ではあるけど、なくはないと思いますよ」
ソウジの意見を聞いたイザベラは、勝ち誇ったようにイルを見返した。イルはそれを受けて、悔しそうに地団駄を踏んでいる。一体何の勝負なのだろうか。
それにしても、イザベラがいかにも好きそうな、単純明快な手段だった。もしそれが成功する宛があるとすれば、大変な作業ではあるものの、少し気が楽になるだろう。
そのとき、フィーネが恐る恐る手を挙げた。
「それなんですけど、今月分の支払いが思ったよりきつくて、すでにやってしまったんです。これ以上は借りられないと思います」
「そっか。たしかに二周目となるときついね。商店が一番キツイこの時期に、かき集めるのは無理かなぁ」
「はい……かなりの金額をみなさんに貸していただいているので……」
現地の事情に詳しい二魔が言うなら、間違いないのだろう。
すると今度はイルが何かを思いついたようで、手のひらをポンと叩いた。
「どこか別の商会から借り入れるという方法はいかがでしょう!?」
「いや、それも無理だね。どこも貸してくれないと思う」
「なぜですか! 当面をやり過ごすにはやむを得ないと思いますが!」
イザベラはひらひらと手を振りながら、憤るイルを横目で見上げた。
「一番勢力がでかいラッシマ商会が金を貸してる相手に、他の商会が手を出したらどうなると思う?」
「それぞれがお金を貸して、取り立てるという形に――あっ」
当然、パイの取り合いになる。そうなると、権力との癒着が激しく、衛兵という最強の手駒を掌握しているラッシマ商会に勝てるわけがない。負け戦にわざわざ突っ込むメリットがないから、みんな手を引いてしまうのだろう。
「はぁ……これもダメなようですね」
イルは意気消沈しながら肩を落とした。
ついに行き詰まった場を沈黙が支配し始める。大金を用意して支払うという正攻法をもって考えるのは、やはり厳しいようだ。
イザベラは苛立ちを隠し切れないようで、ソファから立ち上がると、テーブルの横をうろうろと歩き始めた。
「ああ、もう! どうすればいいんだよ!」
「踏んでいますよ、小娘」
「いまはそれどころじゃないでしょうが!」
「私に当たられても困るのですが!」
怒鳴られたイルは耳の穴を押さえながら、イザベラのブーツに踏まれて潰れてしまった観葉植物を拾い上げた。可哀想なことに葉はところどころ破れ、茎が先の方で少し折れている。
それを見たとき、ソウジの頭の中で何かがつながった。
「そっか、踏み倒せばいいんだ」
ソウジはイルの手からその植物を受け取ると、ぽつりと言い放った。
ソウジ以外の全員とも意味を理解できなかったようで、ポカンと口を開けたまま呆けている。
「えっ、あの、いまなんて?」
「踏み倒せませんかね、借金」
自分の前に観葉植物を横たえながら真顔で言い放ったソウジに、イザベラは慌ててつかみかかった。
「アンタ、何言ってるか分かってんの!? ラッシマに逆らったら、フィーネだけじゃない、アタシたちまで何をされるか!」
「それって、理由もなく楯突くからですよね。確かな証拠があればいいんでしょ?」
「そうだけど……もしかして、何か気づいたことがあるの?」
イザベラは納得いかなそうな顔をしながら、ぱっと手を離した。うなずいたソウジは、向かいに座っているフィーネに向かって乗り出した。
「フィーネさん。衛兵たちが言ってた内容って、本当ですか?」
「えっ……」
「いや、別にフィーネさんを疑ってるわけじゃなくて。払えって言われたとき、ずいぶん戸惑ってるようだったから」
フィーネが独りでこのホテルを経営できており、借金についても一定程度把握しているとすれば、その利率の変更についても常日頃から耳ざとく知っているはずだ。
ところが、フィーネはそれを今日初めて聞いたかのような反応を示していた。
そのことに対して、ソウジはずっと違和感を覚えていたのだ。そして、それが今回の事件における反撃の一手につながる重要なヒントなのではないか、とも考えていた。
尋ねられたフィーネは、おもむろにうなずいた。
「実は、さっき衛兵の方々に見せていただいた借用書に書いてある利息の条件が、以前とは全然違っていたんです。試しに読んではみたんですが、何がどう違うのか私にはよく分からなくて……すいません」
あんな半ば脅しみたいな状況で、細かい数字の話を冷静に精査しろというのはあまりに酷だ。フィーネがそう言うのも無理はなかった。
「ちなみにそういうのって、勝手に変更していいものなんですか?」
「いえ、変更するときは改めて契約しなおすというのが習わしです。相談もなく一方的に変えるという話は聞いたことがありません」
つまり話をまとめると、ラッシマ商会の都合で契約条件を変更したものの、フィーネは新しい借用書を書いていないということだ。突くべき蟻の穴が少しずつ見えてきたような気がした。
イザベラはうーんとうなりながら、テーブルに両手をついた。
「そもそもの話なんだけどさ。なんでもっと強引に取り立てちゃわないんだろうね?ラッシマのやり方にしてはぬるすぎると思うな」
ソウジは目をむいた。
「あの、いまでも十分強引だと思うんですけど……」
「いやいや、もっと行けるよ。さっきも言ったけど、公爵のお墨付きとラッシマの権力があるからね。それを使って強制的に相手の資産を取り上げることだって、やろうと思えばできちゃうわけじゃん。アタシがもしラッシマだったら、さっさとそうするけどな」
言われてみれば、たしかにその通りだった。
徹底的に取り立てようと思ったら、まず土地や建物の権利を取り上げて、それから残っているその他の資産を搾り尽くしてしまえば済む話だ。ギリギリの経営状態で金を取りっぱぐれるような危険がある相手を、のんきに泳がせておく理由がない。
ソウジは両手で膝を打つと、立ち上がった。
「衛兵たちがこちらに対してそこまで強気に出られない理由がきっとあるはずです。まずは周りに聞き込みをして、その手がかりを探しましょう。特にラッシマ商会から借り入れのある魔族たちを重点的にお願いします」
「分かりました。それなら私もお役に立てそうです」
イルは嬉しそうに言いながら立ち上がった。衛兵たちに立ち向かうソウジを援護できなかったことを、負い目に思っていたのかもしれない。
「オッケー。じゃあ二組に分かれて、手分けして探そっか」
同じく立ち上がったイザベラはそう言うなり、肘を両手で抱えるようにしてソウジにくっついた。
いきなりのことにどぎまぎしながら、ソウジはイザベラを見下ろす。
「ど、どうして俺にくっつくんですか」
「この街について詳しい魔とそうでない魔でペアを組んだ方が、効率がいいでしょ?」
理屈としてはそうだが、それなら何もソウジと組む必要性はない。相手はイルだって別にいいはずだった。
「ほう。私とは組みたくないと?」
「絶対嫌だね!」
ソウジを引き寄せながら、イザベラは右の人差し指で右目の下を引っ張り、あっかんべーをした。
主を取られたイルはわなわなと震えながら、イザベラを指差した。
「もしソウジ様の身に何かあったら、ただではおきませんからね!」
「そっちこそ、フィーネと観光なんかしないで、ちゃんと仕事してよね」
「そんなこと、誰がしますか! どこぞのネコの骨とは違いますよ! ふん!」
「骨はそっちだろ! ふん!」
散々言い合ったあとにぷいっと顔を背け合う二魔の様子を見て、憂鬱そうだったフィーネにようやく笑顔が戻ってきた。
この笑顔が続く平和な日常を取り戻すために頑張ろう、とソウジは思ったのだった。