88話「黄昏夜会」
◆◆◆
アンナは露店で買ったリンゴのうち最後の一個をかじりながら、木陰を忍び歩いていた。霧に拡散してうすぼんやりとなった月明かりが地面を照らしている。目と鼻の先には、アンヘルと少年が連れ立って細い道を歩いている。
彼らが向かう先には、一階建ての小さな屋敷が建っている。屋敷の周囲は上部に刺が付いた高さ数メートルのフェンスで囲まれ、ところどころにある窓からは揺れる光が怪しく漏れている。
アンヘルの動きを探るにあたって、アンナはジェシカを追った。教会への出入りが激しいのはアンヘルではなく、身の回りの世話をする少年の方だったからだ。そして買い出し中の少年会話や、街行く信者たちとのやり取りを通して、今夜ここで『メメントモリ』なる夜会があるという情報をつかんだのだった。
(今度こそ失敗しない――)
これは掴魂教の本質を暴く絶好の機会だ。ラッシマに捕まってしまったときのことを思い出しながら、アンナはぐっと拳を握りしめた。
アンヘルは外門の鍵を開け、少年を連れて門の中に入る。アンナはそばにあった木の幹をするすると登ると、枝の根本に乗り、木の葉に身をひそめながら敷地内の様子を伺った。
整備された庭には畑が何列かあり、そこではハーブや野菜などが栽培されているようだった。明かりはほとんどなく、玄関のドアの近くだけが、玄関口に吊り下げられた温かな黄色いランプによってほんのりと照らされている。
アンヘルたちは庭の中央を横切るように敷かれた石のステップを渡ると、屋敷の中へと入っていった。
アンナはアンヘルたちが完全に屋内に入ったことを確認すると、ポケットから潜入活動用ステルス魔具であるミエナイン壱号機を取り出した。見張りはいなさそうだったが、庭に監視カメラが設置されていては困るため、もう起動しておこうと考えたのだ。
両端に飛び出した三つずつの刃を両手で持って、タオルを絞るときのようにぐっとひねる。すると、ミエナインから生み出されたマナの膜がアンナの全身を包み込み、その姿を透過した。
アンナは突き出た枝から幅跳びの要領で勢いよくジャンプすると、受け身を取りながら敷地内に見事着地した。畑の作物を軽快に踏み潰しながら、玄関の扉へ素早く接近する。扉には当然ながら鍵がかかっており、そのままでは開かないようだった。
「元盗賊なめんなよ~?」
鍵穴の形状を確認しながら小声でひとりごちると、アンナはサイドポーチから小さな器具の束を取り出した。先端についている歯は、単純なものからうねうねとくねっているものまで様々な形状がある。アンナはそれらを順番に鍵穴に差し込んでいった。
三本目を差し込んだとき、鍵を小刻みに動かしていたアンナの手がぐっと回った。かちりという小気味いい音とともに、ドアノブが回った。
アンナは素早く扉を開き、屋敷の中に滑り込んだ。不必要な音を立てないよう注意して後ろ手に扉を閉めながら、内部の様子を確認する。
玄関広間は思っていたより狭く、全体的に赤を基調とした質素な内装になっており、落ち着いた雰囲気を感じさせた。窓のカーテンは、外部者は寄せ付けないと意思表示するかのように、どれも全て閉まっていた。
一階にはいくつか部屋があったものの、のぞいても誰もいなかった。どの部屋にも分厚い魔術書や実験器具のようなものが方々に置かれていて、薄気味が悪かった。
残すは、さっき発見した下に向かう階段だけだ。一歩ずつ慎重に踏みしめながら、アンナは手すりのついた細い階段を降りていく。体重を移動するたびにぎしぎしと音が出て、生きた心地がしなかった。地下の光量はとても少ないようで、だんだん視界が暗くなっていく。
やがて地下のフロアに到達したアンナは、ほのかに明るい仕切り壁の向こうを恐る恐るのぞきこんだ。
部屋の中央には布がかけられた四角い祭壇があり、その上に魔が二魔横たわっている。
一魔はまだ若そうな唱角の男性だった。縄でがんじがらめにされているが、意識がないのか暴れる様子はない。
もう一魔は年老いた飛鳥で、生気のない土気色の顔をこちらにぐったりと向けている。
(あっ、あのおばあさんは昼間の――)
アンナの記憶が正しければ、それは礼拝前の診療時間のとき、アンヘルの下に運び込まれた急患の老婆に違いなかった。
床面には祭壇を中心として、赤い塗料を用いて、芒星を三重の円が囲むような形の巨大な魔法陣が描かれている。その魔法陣の一番外側の円の上には、ローブの信者たちが等間隔で並んでおり、ひざまずきながら祭壇に向かって拝んでいる。
部屋の壁は全て紫色の垂れ幕で覆われており、また部屋の隅にはロウソクがまばらに置かれ、その儀式の怪しさを一層際立たせていた。
アンヘルは祭壇の手前に立ち、大きく腕を広げて宣言した。
「それではこれより黄昏夜会を始めます。生還者の諸君、準備はよろしいか」
低く唸る声とともに、信者たちは首を垂れ、拝んでいる手を上下に揺らす。
アンヘルは満足そうに信者たちを見回した後、手に持った黒いナイフを祭壇の上の唱角の男性に向かって振り下ろした。ナイフは胸部に深々と突き刺さり、その男性は白目を剥きながらビクビクと震えはじめた。不思議なことに、刺さった傷口から血は一滴も流れ出してこなかった。
それからアンヘルは、祭壇に置いてあった大きなガラス瓶を右手に持つと、何かをぶつぶつと唱えながら、逆さまにした瓶の口を唱角の男性の口元に当てた。次の瞬間、男性の口からもわもわとした煙のようなものが立ち上がり、瓶の中に入っていく。
(これってもしかして、めちゃくちゃヤバい儀式なんじゃないの!?)
あまりに冒涜的なその光景に、アンナは目をそらしたい衝動を懸命に抑えながら、儀式の観察を続けた。
「これで魂の抽出は完了だな。次に、蘇生術式に移る」
「はい、司祭様」
十分に中身がたまったところで、アンヘルは瓶の蓋を閉じ、ジェシカに渡した。それから老婆のシャツをたくし上げ、その腹部に刻まれた魔術陣に手を当てる。アンヘルが手にマナを込めると、その魔術陣は淡い緑の輝きを放った。
「救いあれ、恵みあれ。主たる神より授かりし御魂の在り処をここに示す。万物流転の源泉たるマナの導きにより、新たなる古き生命を滅びゆくこの身に宿せ」
詠唱が終わるのを見計らって、ジェシカがタイミングよく瓶のふたを外し、その中身を老婆の口に流し込む。腹部の魔術陣が輝きを増し、眩いばかりの閃光を放った。アンナはそれに耐えられず、思わず目をつむった。
次に目を開いたときにアンナが見たものは、あれだけぐったりしていた老婆が何事もなかったかのように起き上がる光景だった。
「あれ、私は一体……」
アンヘルは、焦点の定まらない目でのろのろと室内を見回す老婆の背中を支えながら、その耳元で囁いた。
「お母さまはこれから生還者として生活することになります。術後の生活など注意点についてこれから説明いたしますので、こちらにお越しください」
「あっ、ええ……」
アンヘルは朦朧とする老婆を介助しながら、垂れ幕の奥に消えていった。お付きの少年も、その後を追ってついていく。放置されたままの唱角の男性は依然ぐったりとしており、動こうとする気配は全くない。
陰からのぞいていたアンナの姿は、もうそこにはなかった。室内には、残された信者たちの共鳴する低い唸り声だけが響き続けていた。




