87話「そそっかしい女、ウル」
「ぷはーっ! 生き返りますね! ありがとうございます! ありがとうございます!」
屈託のない笑顔で、彼女はコップの水を飲み干した。ソウジたちがその様子をテーブル越しにジト目で眺めているのに気づいた彼女は、慌ててコップを置いた。
「すみません、すみません。それで結局お前は何者なんだよ、って顔をしていらっしゃいますね。私、傭兵協会より派遣されて参りました、ウル・セナと申します」
「うるせぇな?」
「違います。うる、せな、です」
ウルはカフェの店員に水のおかわりを要求したあと、気分が少し落ち着いてきたのかほっとため息をついた。
「協会のスタッフっていうことは、ゲルートから来たのね」
「いえ、第三本部から来ました」
「えっ!? ブレンネルから!?」
カナエは目を丸くした。ブレンネルというと、ソウジたちが当面の目的地として設定しているコロニアの首都だ。
「そんなに遠くから来られたんですか!」
イルもテーブルの下からくぐもった声で驚いた。ウルのやかましい一挙一動に気を取られすぎてその存在をすっかり失念していたソウジは、イルを持ち上げて自分の前にどんと置いてやった。
「はい。あまりに遠すぎて、途中でからからに干からびて死ぬかと思いました……」
その言い方は幾分か大袈裟に聞こえたが、魔物と魔族と魔術の行きかうロスタルカの世界においては、あながち冗談でもないのかもしれない。
「もしや先日の件で、ゲルートの視察に来られたのですか?」
「いえ、そうではなくて。ラトレイアに支部を創設するための下見と根回しと土地探しを兼ねて、出張しに来ました」
「そうでしたか。遠路はるばるご苦労様です」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
転生したばかりのときイルが解説してくれたところによれば、傭兵協会の施設には本部、支部および出張所の三種類がある。
本部は事業を取りまとめて各支部に指示を出している、というのは協会にあまり詳しくない者でも想像がつくだろう。
では、支部と出張所は何が違うのかというと、支部では傭兵登録やギルド結成などの主要な手続が行える一方、出張所では依頼の達成報告や討伐した魔物の引渡しなど、簡易な事務処理のみを扱っているそうだ。
ソウジたちが傭兵登録をする際にゲルートまでわざわざ行った理由は、協会の支部がハブ・プロットルには存在しないからであった。それがこのラトレイアにもないとなると、傭兵たちが検問の厳しいゲルートまでこぞって押しかけるのにも合点がいく。
「セントマイルからゲルートまでの距離が離れすぎているので、中継地点としてラトレイアにも支部を作った方がいいんじゃないかっていう話は前々から出てたんですけど、コストの問題とか魔員の問題とか色々あって、ずっと保留になっていたんです」
ちょうど届いたおかわりの水を、ウルは一気に飲み干した。空になったコップを机にどんと叩き付けて、さらに話し続ける。
「ところがどっこい。ついこの間ゲルートであんな事件があったもんで、リスク分散も兼ねてやっぱりラトレイアに支部を新設したいって上から言われて、急きょ検討することになったんです。それで私、まだ三年目の下っ端なのに『お前は体が丈夫だから何とかなるだろ』って言われて、仕事を全部ぶん投げられて……旅費も半分しか出ないんです……こう見えて安月給なので、魔導車とか鳥馬があんまし使えなくて、ずっと徒歩で移動を……ひどくないですか? ひどすぎませんか? うっ……ううっ……」
しくしくと泣きながら、ウルは怒りのたけを全てソウジたちにぶつけた。ストレスをため込んだ上に長い一魔旅を経て、相当辛かったのだろう。なんとも世知辛い話だった。突っ伏して泣き続けるウルの頭を、カナエはそっと撫でてあげている。
ソウジも話を聞いているうちになんだか気の毒になってしまい、ウルの力になりたいとちょっとだけ思うようになっていた。
「俺たちもちょうどあの司祭について調べてたところなんだ。もしかしたら、何かの助けになれるかもしれない」
「本当に、本当ですかぁ……?」
「ああ。せっかく出会ったわけだし、傭兵としても俺たち色々お世話になってるし」
ウルはばっと顔を上げると、泣きはらした赤い目でソウジたちを見つめた。
「えっ、あなたたち傭兵だったんですか?」
「そうよ。彼がギルドマスターなの」
「『天翔ける鴉』っていうしがない新設ギルドだけどな」
その名前を聞いた瞬間、垂れていた耳がぴくんと跳ね、ウルはがばっと立ち上がった。
「ちょっ、まっ、『天翔ける鴉』!? ゲルートの労働者たちを救い出し、依頼をまだ一度も達成していないにも関わらずメンバー全員が本登録に昇格したっていう、あの前代未聞のギルドですか!?」
傭兵リストに登録したばかりの魔は仮登録にすぎず、簡単な依頼をいくつかこなして協会からの信用を得ることによって、晴れて本登録として認定してもらえる仕組みになっている。
ウルの言にならえば、ソウジたちはすでに本登録になっているということらしい。
「そうなのか、イル?」
「すみません。私もいま初めて耳にしました。それが事実ならば、またとない誉れですね」
イルはソウジの活躍がじわじわと広まっていることが嬉しいようで、カタカタと左右に揺れた。
傭兵としての評判が上がったことについていまいちピンと来ないソウジだったが、自分のやったことが正当に評価されたのは素直に嬉しいし、ありがたかった。
「ああ……やってもいないことなのに、また話が大きく……」
カナエは捨てられた子犬のような物悲しい表情で頭を抱えている。まだ何もしていない彼女の名声が、また一つ上がってしまったからだ。
ソウジは実力と世間のイメージとのギャップに悶え苦しむカナエを気の毒に思ったが、どうにもしてあげられなかった。
ウルは目を潤ませながらソウジの右手をつかむと、両手で強く握りしめた。
「力を貸してください! お願いします! お願いします! 報酬なら経費で出しますから! いや、あの、やっぱり経費じゃ落ちないかもしれないです! そのときは自腹で払います! お願いします! お願いします!」
懇願するたびに、ウルの握力がどんどん強くなっていく。このままでは右手がおじゃんになってしまいそうだ。
「分かったから、手を離して」
「はいっ! 離しました!」
万力のような圧力を発するウルの両手からやっと解放されたソウジは、じんじんと痛む右手を振りながら苦笑した。ずいぶんと世話の焼ける犬を拾ってしまったものだ。
「で、何を手伝えばいいんだ?」
「へっ?」
ウルは真顔で首をかしげた。
「依頼の内容が分からないと、返事のしようがないだろ」
「えーっと……私はどんなことを頼めばいいんでしょう?」
ソウジは呆れるあまり、バランスを崩して椅子の上でがくんとよろけた。
「そっちでちゃんと内容を決めてから、話を持ってきてくれ……」
「はい、大枠が決まったら連絡しますね。では、私はこれから出張所で用事があるので、急ですがここで失礼します!」
ウルは椅子を立ち上がると、脇に置いてあるリュックを背負い、ソウジたちに手を振った。いまにも店から飛び出していきそうなウルを見て、カナエは慌てて呼び止めた。
「ちょっと待って! スマボのアドレスを交換しておかないと、連絡が取れないわよ!」
「あ、そっか! たしかにそうですね!」
ウルは元気と愛想はいいのだが、抜けているところが結構あるようだった。
「それでは、ソウジさんのスマボをお借りできますでしょうか」
一瞬、テーブル上を沈黙が支配する。もちろんウルは悪くない。ソウジがギルドマスターである以上、ソウジと連絡先を交換するのは至極当然の流れだったからだ。
その凍りついた空気を、真っ先にぶち破ったのはウルだった。
「まさか、まさかですけど、スマボを持ってないとか……?」
「うん……まあ、な……」
何とも言えない気まずさを察したカナエは、持っていた荷物袋からスマボをすかさず取り出した。
「ソウジくんの代わりに私が窓口になるわ。それでいい?」
「いいよ。というかそれしかないので、頼む」
「ではカナエさん、よろしくお願いします」
ウルが黒いスマボを起動して、カナエの手にある緑のスマボに近づける。すると、それぞれの本体が、互いに通信していることを示すように、点滅する淡い光を放った。どうやらそれだけで連絡先を交換できたらしい。その辺りの機能は現実世界のスマートフォンと大差ないようだった。
本体上部の空間に投影されている画面を見て、ウルはカナエのスマボのアドレスが登録されていることを確認すると、慌ただしく立ち上がった。
「では、今度こそ失礼します! 今日は本当にありがとうございました! ありがとうございました!」
ウルは幅広リュックを背負ってカフェテリアの外へと駆け出していく。まるで台風のような噛狼だな、とソウジは思った。
それはそうと、慣れない宗教的儀式への参加に続いてウルのドタバタ騒ぎに対応していたせいか、どっと疲れが出てきた。それはカナエとイルも同じなようで、この街に入ったばかりのときと比べると見るからに元気がない。
「いったん、ハワードさんの家に帰ろうか」
「そうね……まだ昼過ぎだっていうのに、なんだかぐったりしちゃったわ」
「同意します。私は動き回ってはいませんが、精神的に疲れました……」
ソウジはカフェテラスの店員に声をかけると、勘定をお願いした。差し出された伝票の注文リストを見ると、見覚えのない注文があった。飲料水1ボトルとサンドイッチ3パックで計1080ジラのテイクアウトだった。
「あいつ……!」
自分が頼んだ分を払うどころか、全額こちらのおごりにされてしまった。ソウジは伝票とともに、ウルのわがままな胃袋をぐしゃりと握りつぶしたい気持ちを抑えながら、会計を済ませるのだった。




