83話「司祭様の魔術医療」
教会の床は大理石のような磨かれた石材でできており、色がいくつか組み合わさってきれいな幾何学模様になっている。
部屋の中央には説教台に通じる廊下があり、その両側には素朴な木製の長机と長椅子がずらっと並べられている。そこにはすでに数十名の魔が着席して、礼拝が始まるのを待っていた。
ソウジたちは空いている長椅子を見つけると、横並びに腰かけた。イルは座れないので、長机の天板の上に置いてあげた。幸いなことに説教台からそう遠くはない位置が確保できたので、司祭の様子を細かく観察することができるだろう。
説教台の前には司祭らしき魔が立ち、やってきた魔たちを順番に治療している。他の信者たちと同様、ヴェールで顔を隠してローブを身につけている。
少しだけ違うのは、上部に向かうにつれて細くなる背の高い帽子を被っていることと、その手に背ほどもある木の杖を持っていることだった。緩やかにねじれた杖の先端には、球状に切り出された緑色の大きな宝石がはまっている。
その隣では、説教台に頭一つ分足したくらいの身長の魔が、白く大きな四角いトレイを持って、司祭の治療行為をせせこましく補助している。トレイの上には、いくつもの紙袋が規則正しく整頓されて置いてあった。
説教台の後ろには鍵盤がいくつも並んだオルガンのような楽器が設置されており、部屋の両隅には別の部屋につながるであろう通路が続いているのが見える。
ちょうどソウジたちが席に落ち着いたとき、次の患者が司祭の前に進み出た。
「おはようございます。たしか、頭痛がひどいとおっしゃっていましたね」
「はい、起きているのがつらくて」
尋ねられた患者はこめかみを抑えながらうなずいた。司祭はひざまずいた患者のヴェールをまくりあげ、患者の額に手を軽く当てると、聞き取れないくらいの小声でなにかの呪文を唱えた。
杖の先端の宝石が淡い緑色に光り輝き、手のひらからも同じ光が放たれた。光は司祭の手を伝って患者の頭をふんわりと包み込んでから、徐々に輝きを失った。
「いまのって治癒魔術よね?」
「ええ。ここから見た限りでは、痛みを取り除いて傷を癒す魔術のようですね。そこまで複雑なものではなさそうです」
魔術の仕組みに比較的詳しい二魔が、周囲に聞こえないよう顔を近づけて囁きあう。心得がある者にとっては、別段驚くほどのものではなかったようだ。
司祭は続けて、お付きの魔が持っているトレイから紙袋を一つ取ると、患者に手渡した。
紙袋がトレイに置かれている角度の関係でよく見えなかったため、さっきは気がつかなかったが、それはハワードが持っていたものと同じデザインが印刷されたものだった。つまり、ハワードは掴魂教からエマの飲み薬を受け取っていたということになる。
「朝目覚めたら飲むように」
「ありがとうございます」
患者は自分の胸の前に握り拳を置き、円を描くように三回小さく回してから、両手を合わせて拝んだ。どうやら、なんらかの宗教的な意味を持つ挨拶のようだ。
「お大事に」
お付きの魔が声をかけると、その患者はそちらに向かっても礼儀正しく拝んだ。治療を受け終えると、患者は後ろで待っていた次の魔に場所を譲り、入口から出ていった。
ソウジたちはしばらく眺めていたが、司祭がやることは全員に対して同じだった。どんな症状かを聞き取り、患部に手を当てて治癒魔術を施し、必要な者には飲み薬を処方する。彼はそうやって、全ての患者を捌ききった。
「特に変わったところはなかった?」
「はい。病院で行われる一般的な治療と変わりなさそうです」
「代金を取っているような様子もなかったし、ボランティアなのかしら?どんな話でも真摯に耳を傾けてあげてるみたいだし、感心しちゃったわ」
カナエは苦労を思いやるような優しい目つきで、ヴェールに隠された司祭の顔をうっとりと眺めた。
「ちょっと、カナエ?」
「ごめんなさい。そうだったわね。反省するわ」
アンナに真横からキッとにらみつけられ、カナエはおずおずと背を丸めた。
得体の知れない相手に対してはもっと警戒心を持つべきだという点で、アンナの意見は的を射たものだった。カナエはゲルートで自称占い師にまんまと騙されて身ぐるみを剥がれたばかりだというのに、人間も魔族もなかなか変われないものだなとソウジは思った。
「治療を希望する方はもういらっしゃいませんか」
教会の中を見回しながら、お付きの魔が呼びかける。声を聞いた限り、そのローブの中身は年端もいかない子供のようだった。
手を挙げる者は一魔もなく、終わりかと思ったそのとき、入口からローブ姿の魔が駆け込んできた。その背中には、ローブを身につけていない、見るからに老いた飛鳥を抱えている。
「母を助けてください!急にけいれんし始めて……意識もほとんどないみたいなんです!」
その魔は自分の母親を下ろすと、司祭の前に横たえた。母親は白目を剥いてガクガクと震えている。
司祭は触診したり呼びかけたりして彼女の状態を確認したあと、お付きの少年と少しだけ話し合い、それから首を横に振った。そして、母親を連れてきた息子に向かって静かに言い放つ。
「この状態では、もう長くは持たないでしょう」
「そんな!諦めろって言うんですか!?」
息子魔は大粒の涙をぼろぼろこぼしながら、司祭のローブにすがった。司祭は屈みこんで両手をそっと握ると、ヴェール越しに彼の顔をのぞきこんだ。
「安心してください。あなたとお母さまを『夜会』にご招待いたします。必ず元気になりますよ。ジェシカ、案内して差し上げなさい」
「はい、司祭様。ではこちらへ」
ジェシカと呼ばれたそのお付きは、息子魔が立ち上がるのを手助けすると、手のひらで行き先を示した。息子魔は一転してぱっと明るい表情になり、虚ろだった両目をきらきらと輝かせている。
彼はけいれんする母親を背負い直すと、ジェシカに誘導されて、ここに来たときよりずっと軽い足取りで奥の通路へと姿を消していった。
「どういうこと?」
「分かりません。裏に控えている者たちで治療をするんでしょうか」
「でも、あれじゃ……ねぇ……」
運び込まれた老婆の容体は明らかに深刻なものだった。あそこから回復するには医療者による適切かつ迅速な治療が必要になるだろう。それをこの教会で行うことができるのかどうかは、定かではなかった。




