82話「霧の都ラトレイア」
大きくくねった街道を進みながら、なだらかな草地の丘をのんびりと下っていく。
ソウジたちは、司祭と称する男が毎週決まった日に教会で説教と治療を行っているという情報をハワードから聞き、ラトレイアを目指しているのだった。その男の語る内容や行いを色々と観察して、病気が治るという噂が信用するに足りるものかどうかを見極めようという算段だ。
「これ、さっき森で拾ってきたのよ。食べてみる?」
カナエが小袋から取り出した野イチゴを一粒差し出してきたので、ソウジは遠慮なく受け取った。奥歯で噛み砕くと、甘みと渋みがブレンドした絶妙な味わいの果汁が口の中に広がり、ソウジは思わず渋い顔になった。
「あら? まずかった?」
「もう一度食べたいとは思わないかな……」
「そうかな? アタシは結構好きだけどな」
アンナはカナエの持っている袋をのぞきこむと無理やり手を突っ込み、十粒ほど取り出して、一気に口の中に放り込んだ。この味が相当気に入ったようだ。
そろそろ街の外縁部に差し掛かる。道の両脇に目を向けると、小さな民家がぽつぽつと立ち並んでおり、軒先にところどころ洗濯物や干物などを干してあるのが見える。訪問者はそう珍しいものではないらしく、特にじろじろとこっちを見られるようなこともなかった。
遠くの方まで目を凝らしてみると、いま進んでいる道の突き当たりに、白い霧に覆われた教会のシルエットがうっすらと見える。
「意外と大きいな」
「アォワ教は過去には魔界全土を覆うほどの権威を誇っていましたからね。それなりに羽振りもよかったのです。いまでは見る影もありませんけれども」
「教科書で習ったわ。魔法の担い手として、優秀な魔族たちが信者としてこぞって集ったって」
首をかしげて横からのぞきこむカナエに、イルは興奮してカタカタと揺れながらまくしたてる。
「ええ、それはもうすごいものでしたよ。私も当時は盛んに魔法の研究を行って、神の真理をより深く探究したものです」
「どんな魔法があるの?」
「そうですね、日常的に有用なものでいうと、光を放つ魔法が――」
二魔の会話が盛り上がっていくのを横で見ていたアンナが、誰に言うでもなく、不機嫌そうにぼそりと呟くのを、ソウジは聞き逃さなかった。
「見てるばっかで、いざってときに助けてくれない神様なんかいらないよ……」
アンナは幼い頃に両親を失い、半ばレジスタンスのような活動をずっと続けてきた。だから、神という絶対的な存在に対してはどうしても懐疑的になってしまうのだろう。ソウジが肩に優しく手を乗せると、アンナは照れ笑いしながらその手を払いのけた。
ソウジたちは町中を進んでいくにつれて、あることに気づいた。
住んでいる魔族の多くが薄いヴェールで顔を覆って、丈の長い真っ白なローブを羽織っているのだ。しかもローブには頭をすっぽりと覆い隠す大きなフードがついており、皆それを目深に被っているため、皮膚のほとんどが隠れているのだった。
ハワードが近寄りがたいと言っていた理由は間違いなくこれだろう。住民たちの奇妙で神秘的な身なりのせいで、街全体に妙な雰囲気が漂っており、外から来た魔族にしてみれば、若干の疎外感を覚えるのだった。
「あのローブの魔たちが、ハワードさんの言ってた掴魂教ってやつかな?」
「そのようですね。あれが正装なんでしょうか」
濃い霧に覆われたこの湿っぽい気候の中、あの分厚そうなローブを常に身につけているのは暑苦しくて大変そうだな、とソウジは思った。
「アタシだったら、うっとおしくてすぐに脱いじゃうな。そういうのってダメなのかな?」
「教祖様がダメって言ったら、きっとダメだと思うわよ」
「ふふん。じゃあ、アタシが教祖になれば問題ないね」
腰に手を当ててふんぞり返ってみせるアンナに、イルは嘆息した。
「お前のような行き当たりばったりの魔が指導者では、たった一日で壊滅するでしょうね」
「応用が効かない、頭でっかちの骸骨さんよりはましだと思うけど?」
アンナがソウジの腰にぶら下がっている頭蓋骨を爪でつつく。イルは憤慨した。
「いま、頭しかないのをバカにしましたね? 私がいま一番気にしているデリケートな問題を土足で踏みましたね?」
「はぁ!? 慣用句までいちいち突っつかれたら、会話が成り立たないんですけど!」
カナエはヒートアップしそうな二魔の間に物理的に割り込むと、わしづかみにした野イチゴをそれぞれの口の中に無理やり押し込んでいった。
「野イチゴ、おいしいわよ! 食べて! ほら!」
「むぐ、ほんなにはべれな、んんっ!?」
両手を使って必死に抵抗するアンナに対して、イルは無言で食している。引き分けのゴングの代わりに、二魔のかすかな咀嚼音が響く。
おっとりした性格のカナエではあったが、この二魔の子供じみた喧嘩に何度も介入するうち、その処理にだいぶ慣れてきたようだった。カナエがいなかったら今頃どうなっていたことかと思いつつ、ソウジはこっそりと胸をなで下ろすのだった。
そんな他愛もないやり取りをしているうちに、ランドマークとなっている聖堂が目前にだんだん近づいてきた。
教会は屋根を含めた建物全体がドーム状になっている。屋根の頂点部には、柱に支えられた一回り小さなドーム状の屋根があり、その下に大きな鐘が付いている。
等間隔で四方に建っている尖塔のてっぺんには、それぞれ紫色でひし形の宝石が飾られており、鈍く輝きを放っていた。
説教を聞きにきたローブの魔たちがぞろぞろと大教会へ入っていく。入口の脇には魔族文字で『週次礼拝はこちら』と書かれた看板が置いてあった。
開かれた玄関の両扉の前には、魔たちが列を成している。外に設置された待機用のパイプ椅子に全員は座りきれず、その後ろにもずっと魔たちが並んでいた。
特筆すべきは、どの魔も具合が悪そうに見えることだった。噛狼の老魔が何度も咳き込んだり、作業服の掘爬が辛そうな吐息を出しながら前かがみになったり、跳猫の子供が母親に膝枕されながらうめいたりしている。
カナエは頬に手を当てながら、気の毒そうに彼らを眺めている。
「ここ、本当に教会なのかしら? 病院の間違いじゃなくて……?」
「でもハワードさんが言ってたのはここじゃないかな?」
「そうだけど……」
ハワードは、街の中で一番大きな教会だと言っていた。診療所と礼拝所を兼ねているとも言っていたから、間違えているわけではなさそうだ。いままで通ってきた街では教会と病院の施設は完全に分かれていたため、教会の内部でこれだけ多くの患者を抱えているというのは珍しいように思えた。
「礼拝に参加される方ですか? それとも治療かしら?」
こそこそと様子を伺っているうちに、近くに立っていた噛狼の女性から声をかけられた。どうやら案内役のようで、手は折りたたまれた配布用パンフレットを持っている。ちょっとおのぼりさんか不審者っぽかったかもしれないとソウジは少し反省した。
「司祭様のお話を聞いてみたくて、友達を連れて来ました。でも初めて来たんで、どうしたらいいか分からなくて」
ソウジが正直にそう伝えると、その女性は建物の中を手のひらで差しながら、ヴェール越しに微笑みかけてきた。
「お好きな席におかけになって、お待ちくださいね。治療が終わり次第、礼拝が始まります。テーブルの内棚には読本がありますから、自由にお使いになってください」
ソウジはこくりとうなずくと、アンナとカナエに後をついてくるよう促し、並ぶ魔たちの横をすり抜けるようにして、教会に足を踏み入れた。




