81話「束の間の団らん」
そのとき、寝室から目をこすりながらエマがとぼとぼと歩いてきた。その片手にはくまのぬいぐるみを抱えている。
「パパ、お腹すいた……」
「そうか。いま準備するから、こっちに座って待ってなさい。ソウジさんたちも、少々お待ちください」
ハワードはそう言うと、別室にあるキッチンの方へと向かった。
アンナは慌ててエマに近づくと、尻尾を小さく振りながらエマの両肩をつかみ、のぞきこんだ。
「起こしちゃった? ごめんね、うるさかったよね」
「ううん、大丈夫」
エマはハワードの隣に置いてあった椅子にちょこんと座った。その見かけからは、家を無断で飛び出すほどお転婆なようにはあまり見えなかった。
「お姉ちゃんたち、旅の途中なんでしょ?」
「うん、そうだよ。これから首都のコロニアに向かうところ」
「そっか。いいなぁ……」
エマはぬいぐるみを両手でいじりながら、悲しそうにぼそっと呟いた。アンナは気を遣って、エマの横まで椅子を持っていくと、隣に腰かけた。
「エマちゃんは旅行が好きなの?」
「うん。でも遠くまで出かけられないから、お本で読んでるの。魔界には色んな国があって、色んな魔がいて……私、大きくなったら、たくさん冒険してみたいな」
口調は極めて静謐ながらも、その言いぶりにはたしかな憧れと情熱が宿っていた。カナエは感情移入したのか、いまにも泣きそうな顔になりながら、エマの話を真剣に聞いている。
アンナはエマの頭を優しく撫でると、近くに置いてあったイルを唐突にわしづかみ、エマの目の前に置いた。
「じゃあね、いまからこの骸骨のおじいちゃんが、色んな場所の話をしてくれるから」
「ほんと!?」
イルは無茶ぶりに困惑した様子でアンナをにらみつけながらも、偉そうに咳払いした。
「子守なら魔お――過去に実績がありますからね。どんな内容でもお任せください」
エマはしばらく考え込んだあと、イルを上目遣いで見つめた。
「じゃあ、大昔にあったっていうムー大陸の話、骸骨さんは知ってる……?」
「ええ、もちろん存じておりますとも。あれはいまから数千年ほど前のことでした――」
語り部イルの昔話に、エマはうっとりしながら耳を傾ける。過去の歴史に思いを馳せる二魔の脳裏には、その当時の情景がありありと浮かんでいるようだった。
物事をかみ砕いて説明することができるイルの巧みな話術は、小さな子供の興味を惹くにはうってつけだったし、エマは小難しい寓話を理解できる程度には賢かった。
イルの語りが一通り終わった頃、ちょうど夕食が運ばれてきた。木の実と菜っ葉をふんだんに入れたハワード特製スープが、木皿になみなみと入って湯気をあげている。
「どうぞお召し上がりください」
ハワードは全員にスープを配り終えると、エマの隣に座った。列の先頭に立って固い草や枝を切り続けたためにすっかり腹ペコだったソウジは、早速両手を合わせた。
「いただきます!」
ソウジが両手を合わせて食前のあいさつをすると、他の魔たちは怪訝そうにソウジを見つめた。
「えっ、俺なんかしました?」
「ソウジくん、いまの奇妙な儀式はなに……?」
住んでいる世界が文字通り違う以上、魔族の間にそんな風習が存在しないということもいわば必然だった。ソウジはこの場を取り繕う言い訳をなんとか思案し、つじつまを合わせることにした。
「えっと、食事が美味しくなる呪文だよ。自分で考えたんだけど、そんなにおかしかったかな」
アンナはソウジの背中を愉快そうにばんばんと叩いた。力が強すぎて、ちょっと痛かった。
「あはは、面白いじゃん! せっかくだし、みんなでやってみよ!」
「いいわね。新鮮に食べられそうだわ」
ソウジの裏事情を唯一知っているイルは、ソウジが自力でなんとか切り抜けたことにほっとしたのか、こちらに目配せしてきた。
ソウジ自身は何がおかしくて何が普通なのかを判断できないから、そのぎこちない立ち居振る舞いをずっと横で見てきたイルに積もり積もった心労は計り知れない。そろそろ魔族の文化について真面目に学ぶ必要があるかもしれない、とソウジは反省がてら思った。
結局みんなにそのまま促されて、ソウジがあいさつの音頭を取ることになった。全員テーブルに食器を置き、両手を合わせる。
「じゃあ、いきますよ。せーの」
「「「「「「いただきます」」」」」」
一瞬だけ場を支配した妙な一体感に、不思議な笑いと和やかさが生まれた。
転生してしばらく経ち、魔界ならではの料理と食習慣に慣れてはきたものの、やはり日本の伝統的なわびさびを感じるのは良いものだとソウジは思った。郷愁のあまり、若干ホームシックになりかけているのかもしれなかった。
カナエは目を輝かせながら、スープを上品に味わった。
「これ、美味しい! 何が入っているの?」
「森で採れた野イチゴとハーブです。野イチゴは渋みを取るため、塩水に数日漬けたものです」
「あら、結構手が込んでらっしゃるのね。明日は早く起きて、少し辺りを散策してみようかしら」
「スライギーや害虫がおりますから、どうか気を付けて」
「ええ、ありがとう。あんなにたくさんのスライギーに囲まれるのは、もう勘弁したいところだわ」
カナエはさっきの光景をふと思い出してしまったようで、眉間にしわを寄せながら、口角を横に広げて舌を出した。ハワードはそれを聞いて、さもありなんといった感じでカナエを見つめていた。過去に同じような状況に出くわした経験があるのかもしれない。
そんな風に二魔が会話している間、アンナは調理についてのハワードの解説を聞くまでもなく、皿にがっついて、スープをぺろりと平らげてしまった。
「お姉ちゃん、すごい食べっぷり……」
「えっ? あっ、ごめん! 気にしないでゆっくり食べていいから、ねっ!」
エマが目を丸くしているのに気づき、アンナは申し訳なさそうに頭を抱えていた。どうやら早食いが癖になっているようだった。食事を奪う者なんて誰もいないのだから、もう少し落ち着いて食べればいいのに、とソウジは思った。
イルはというと、残念ながら手も足も出ないため、エマにスプーンで食べさせられていた。おままごとみたいな状況に無言で従うイルに、ソウジは思わず笑ってしまった。
「な、なぜ笑うのですか」
「いやぁ、どっちが子供か分かんないな、って思って」
「いやはや、体さえ健在であればこんなことには……」
イルが申し訳なさそうに呟くのを見ていたエマは首をかしげた。
「骸骨さん……体、なくなっちゃったの……?」
「ええ。死骨は多少のひび割れや傷ならば時間経過とともに回復するのですが、私の場合は修復不可能なほど粉々に砕けてしまったので、自然には治らないのです。完全に治すためには、代わりとなる一式の骨を新しく見つけるしかありません」
骸骨の魔族だから骨が壊れたらもう終わりなのだろうと何の気なしに思い込んでいたソウジは、初めて聞いたその情報に驚いた。肉がついていない以外は普通の生物とほぼ変わらないということなのだろう。魔族というのはなんとも不可思議な生態を持つものだ、と感心するばかりだった。
「そうなんだ……可哀想……じゃあ私がお世話してあげるね……」
エマは悲しそうにイルを見つめながら、そのつるつるした頭頂部を撫でた。イルはどう返答したらいいか分からず、どぎまぎしているようだった。
「よかったじゃん。たくさんお世話してもらいなよ!」
「くっ……貴女にもし何かあっても、助けませんからね! 覚えておきなさい!」
「はいはい。まずは他の魔を助けられる状態になってから言ってくだちゃいね~」
「くっ……!」
アンナから一方的にやりこめられた上にエマからは慰めのなでなでをされ、威厳もへったくれもなくなって、少しだけ可哀想なイルだった。
ソウジたちはスープを食べ終わると、就寝の準備に入った。
ソウジとハワードが食器を洗う間、カナエとアンナは並べた椅子にクッションと布をかぶせて即席のベッドを作っていく。体のないイルは手伝うことができないので、エマにねだられて枕元で本日二度目の語り部を務めている。
「こんなに賑やかなのは何年ぶりかな」
ハワードは隣で洗い終わった皿を拭いているソウジに笑いかけた。
「ここに越してくる前は、わずかながら近所づきあいがあったんですがね。静養のためと思って町はずれのこの場所に移ったので、いまではあまり他魔との交流はしておらんのです」
ということは、エマもきっと友達と離れ離れになったのだろう。来客があったというだけであんなにはしゃいでいるのも、それならうなずけた。
「じゃあ、あの街にも全然行かないんですか?」
「ええ。切り出した木材を売ったり、日用品を買いに行ったりするくらいで、普段はあまり」
ハワードは『見捨てられた教会』のある方角を見ながら遠い目でつぶやく。
「なんというか……部外者には近寄りがたい雰囲気があるのですよ。実際に行けば分かります」
宗教にはたいてい独特の空気感が付き物だが、それに類するものがラトレイアにも漂っているのだろうか。体験してみないことには何とも言えないが、全くの部外者には入り込みづらいというのはソウジにもなんとなく理解できたし、それでもエマを治療してやりたいという親心もまた伝わってきた。




