80話「奇跡のウワサ」
少女の容態が安定したのを確認すると、少女の父親はソウジたちをリビングへと誘った。頭数の分だけ椅子を差し出し、座るように促す。
「先ほどは気が動転して、失礼な態度を取ってしまいました。申し訳ない」
「あっ、いえ。大切な娘さんのことですから、必死になるのは仕方ないですよ」
『ティーゼ』というこげ茶色の飲み物を差し出され、ソウジは軽く頭を下げて謝意を示した。一方、アンナとカナエは口頭で礼を述べていた。
ホカホカしたその液体を軽く口に含むと、ほんのりとした苦みが舌の上に広がり、それから喉にするっと落ちていく。お茶とコーヒーの合いの子のような、深みのある味だった。
「私はハワード、この子はエマといいます」
「俺はソウジ、『天翔ける鴉』のギルドマスターをしています。こっちはメンバーのカナエと、アンナ。あとこのアクセサリーはイル」
「んなっ――!? れっきとしたメンバーですよ! くれぐれもお間違え無きよう!」
ソウジの冗談を真に受けたイルは、無いへそを曲げながら歯噛みした。
紹介を聞き終えたハワードは、どこか納得したようにうなずいた。
「やはり旅のお方でしたか。では、あなた方もラトレイアの噂を目当てにやってこられたのですかな?」
「噂?」
全く心当たりがないソウジは他のメンバーへと振り向いた。アンナは首を振っていたが、カナエは何やら思い当たる節があるようだった。
「最近、なにかの宗教の信者たちがあの街に居着いたって聞いたことがあるわ」
「おや? それはおかしいですね」
一言物申したそうな雰囲気を察知したソウジはイルを腰から取り外し、テーブルの上に置いた。カタカタと揺れながら、イルはいつもの調子で語り出す。
「ラトレイアは、つい千年ほど前まではアォワ教の拠点の一つとして栄えておりました。ですが神秘たる魔法が失われたことで、魔族たちはすっかり信心を失い、この地を捨てたのです。そのことからあの街は『見捨てられた教会』と呼ばれ、廃墟同然になっていたはずです」
ハワードはうなずいた。
「よく知っておられますな。ですが、イルさんがおっしゃっている以前の状況とは事情が変わったのです。掴魂教という宗教が、ラトレイアを拠点にずいぶんと信仰を集めています」
「あっ、そう! それだわ!」
カナエは忘れていた単語を思い出せたことですっきりしたのか、テンションを上げながらハワードを指差した。テーブルに肘をつきながらカップの中身をちろちろと舐めていたアンナが、そんなカナエに話しかける。
「それにしても、妙な名前だね。どんなこと教えてるんだろう?」
「私、スピリチュアルなことは苦手なのよ……霊魂とかお化けとかあの世とか、考えただけでなんだか怖くって」
カナエは自分の体を抱えて身震いした。生死に関わる概念的な話は苦手なようだ。
ハワードはエマが寝ている寝室の方を振り返りながら嘆息した。
「正直、私も半信半疑なのですがね……エマのことで、その掴魂教を頼ってみようと思っております」
「その宗教、エマちゃんとなにか関係あるんですか?」
ソウジからの質問に対して言いよどむハワードに、アンナが冗談めかして茶々を入れる。
「もしかして、どんな病気でも治しちゃう、とか言ったりして」
ハワードは否定するそぶりを見せなかった。ただ気まずそうにうつむいている。アンナもだんだんバツが悪そうな表情になり、黙りこくってしまった。
「待ってくださいハワードさん。そんな都合のいい話、絶対ありえないですよ」
ソウジはそのような誇大広告に対しては極めて懐疑的だった。
宗教というのは総じて、そのような真偽不明の実績を標榜して、信者をたくさん集めようとする。奇跡とかいって、ふたを開けてみれば単なるマジックショーだったり、思い込みだったりするのだ。
ハワードは自嘲気味に小笑いした。
「私だって、そんなのはおかしいということくらい十分に分かっておりますよ。どうせでたらめだろうと思っています。ですがエマの病気は進行性でもう助かる見込みはないと、どの医者にも言われました。最後くらい、神頼みしても罰は当たらんでしょう」
どんよりとした空気が場にただよう。医師から治らないと断言されたとなれば、投薬以上の踏み込んだ医療的処置は難しいのだろう。かといって、魔族の尺度でもまだ子供の部類に入るだろうエマがこのまま見捨てられるというのはあまりに悲しかった。
「俺たち、明日そのラトレイアっていう町に行って様子を探ってきます。本当に信じていいものなのかどうか」
「お気持ちはありがたいのですが、エマを助けていただいただけで十分です。貧乏暮らしですから、報酬もそんなに払えませんし」
「報酬なんかいらないですよ。これはただ単に、俺たちの気まぐれですから。エマちゃんのこと、心配なんです」
この発言は、全くの善意から出たものではなかった。
事象の因果を根底から操作したり覆したりできるような、特別な魔術や能力が存在するのだとすれば、ソウジが元の世界に帰る手段についての重要な手がかりとなるかもしれない。それを手に入れる機会をみすみす逃すのは、あまりにもったいない。
もっとも、エマのことを助けたいというのも間違いなくソウジの本心であった。お互いにウィンウィンの提案なのだから、申し出ない理由はなかった。
メンバーの意思を確認するためにソウジが見回すと、カナエは深くうなずいていた。イルも表情はよく分からないが、嬉しそうにカタカタと揺れている。アンナはというと、また始まったよ、と言いたそうに苦笑していた。
「ありがとうございます」
ソウジの熱意に押し切られたハワードは、助力を申し出てくれたことがよほど嬉しかったようで、目に涙を浮かべながら立ち上がった。
「今日はもう遅いので、ぜひ泊まっていってください。大したお構いはできませんが、食事と寝床くらいは用意しますよ」
「やった! それが一番大事なとこ!」
アンナはそれを聞くなり椅子を立ち上がり、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら小躍りした。
「こら小娘、わざわざ泊めていただくのに失礼ですよ。ちゃんとお礼を言いなさい」
「ちぇっ。ありがとうございまぁす」
「いま舌打ちしましたね? したでしょう!」
「もう、うるさいなぁ。すいません、うちの骸骨さんが騒がしくしちゃって」
アンナはハワードに向かってわざとらしくお辞儀をした。イルはそれを見て躍起になっていたが、自分の体がないため思うように反撃できず、やきもきしているようだった。
アンナたちの滑稽な言い争いに、ハワードは出会ってから初めての笑顔を見せた。笑うと目尻のしわがぎゅっと寄って、平時の少々近寄りがたい雰囲気とは真逆の朗らかな印象を受けた。




