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78話「遭難」

◆◆◆


 『天翔ける鴉ライジング・レイヴンズ』一行は、暗い森の中を進んでいた。枯れたようにくすんだ色合いの針葉樹が鬱蒼と立ち並び、その間をくねくねと細い道が続いている。周囲には霧が立ち込め、ポォーポォーという謎の鳴き声がどこからか聞こえてくる。


「だからあのとき、早めに戻った方がいいと言ったんですよ! こうなってはもう手詰まりです!」


 ソウジの腰にぶら下げられている、頭部だけの骸骨である死骨(コプン)、イルはわめき散らした。

 跳猫(キット)のアンナは灰色の尻尾をピンと立て、両手を広げながらイルをにらみ返す。


「そんなこと言ったって、先がこんな風になってるなんて分かるわけないじゃんか!」


「いーえ、見るからに危険でした! 貴女の判断ミスですよ、小娘!」


「はあ!? じゃあ、あのときもっとしっかり反対すればよかったでしょ!」


「貴女がずんずん進んでいくから、止まるに止まれなくなったんじゃありませんか!」


 醜い論争を続ける二魔(ふたり)の間に、カナエがにこにこしながら割り込んだ。


「まあまあ、落ち着いて。まだ遭難したわけじゃないわ。深い森の中に迷いこんじゃっただけよ」


「カナエ、それを遭難って言うと思うんだけど」


 ソウジは呆れながら呟いた。苦境においてもポジティブなのはとてもいいことだが、一般的な感覚から比べると、カナエのそれはどこかちょっとずれている気がした。


 この森に立ち入ったばかりのときには薄かった霧も、森の深奥へと踏み込むにつれて、次第にその濃さを増しているように思われた。日はもうすっかり暮れていた。


 複雑に絡み合った木の枝から漏れる微かな月明かりだけを頼りに進むのは、さすがに心細すぎる。ソウジはリュックから小型のマナランプを取り出すと、スイッチを入れた。内蔵されている魔術陣によって灯された光が、付近の暗がりを一気に照らし出し、その明度差に一瞬目がチカチカした。


「こんなとき魔物に襲われたら、命に関わるわよね……?」


「怖いこと言わないでよ」


 カナエとソウジが怯えた顔で周囲を見回していたとき、近くの草むら越しに荒い息づかいが聞こえてきた。何らかの生き物がそこにいるということは間違いなかった。


「魔物!? 幽魂(レイス)!? ちょ、ちょっとソウジくん、先に見てきてくれないかしら!」


「なんで俺なの!? えっ、いや、待って、心の準備が――」


 ソウジとカナエが押し問答をしていると、その横からアンナが通り越していった。胸元近くの高さまで伸びている野草を手でかき分けながら、その奥へずんずんと踏み込んでいく。


「遊園地のお化け屋敷に遊びに来た子供じゃあるまいし。そこにいるのが何であれ、結局は確認しなきゃ通れないでしょ」


 向こう側に通り抜けたアンナは、きゃっ、と叫び声を上げた。


「だ、大丈夫?」


「早く来て! 女の子が倒れてる!」


 アンナは切迫した声色で叫んだ。


「なんだって!?」


 ソウジたちはそれを聞いて、いままで音の出処を怖がっていたことなど頭から一気に吹っ飛んだ。急いで草むらを抜け、アンナのもとへと追いついた。


 一魔(ひとり)でなんとか抱えきれるくらいの太さの木の根元に、その少女は横たわっていた。


 その額には鬼の魔族『喰鬼(ハオン)』の証である一本角が生えている。ブロンドの長髪が土の上に乱れて広がっており、薄紅の肌は周囲の暗さと健康状態の悪さによってより薄く色あせて見える。フリルがついた純白のワンピースは泥にまみれてところどころ汚れている。


 少女は苦しそうに右手で胸を抑えながら肩で息をしており、うかうかしている余裕はあまりなさそうだった。


「ど、どうする!? えっと、まずスマボで連絡!」


「どこに連絡するのよ!? 身元も分からないのに!」


「えっ、あっ、そっか……ごめん! いまの忘れて!」


 アンナとカナエは気が動転して右往左往している。イルは嘆息すると、冷静に少女を見下ろしながら言った。


「カナエさん、とりあえず脈を測ってください。ある程度は状態が分かるでしょう」


「わ、わかった!」


 これほどまでに茂った(やぶ)の中で適切な手当てをするのは、治療スペースの面でも道具の面でも難しそうだった。


 もっとも、この少女が手ぶらで軽装なところを見ると、そう遠くから歩いてきたわけではなさそうに思われたし、保護者もきっとその生活拠点にいるだろうと予測できた。ここでいたずらに時間を浪費するくらいなら、その可能性にかけるべきだとソウジは考えた。


 手首に手を当てて脈をはかるカナエの隣に屈みこみ、少女の肩に手を当てて語りかける。


「この近くに、きみが泊まってる場所があるよね? どっちの方角か分かる?」


 少女はほんのかすかにうなずくと、がくがくと震える手で自分の右斜め上を指差した。心配そうにこちらを覗き込んでいたアンナは、どうしてそんなことが分かったのかと尋ねたそうに、驚きながらソウジを見つめた。


 ソウジはすっくと立ち上がると、いきなり腰のショートソードを抜いた。ぎょっとしたカナエとアンナを落ち着かせるため、次なる行動を告げる。


「急いでここから移動しよう。俺とカナエが藪を剣で切り開くから、アンナは彼女を背負って後ろからついてきてほしい」


「了解。心拍数は一四四」


「かなり早いですね。急ぎましょう」


 ブロードソードを抜きながらそう報告したカナエに、イルが応じる。仮に人間と同じくらいの心拍数が正常値だと想定すれば、彼女はまだ子供とはいえ脈が相当早まっているのだろう。


「ごめんね、お嬢ちゃん。辛いだろうけど、少しだけ我慢してね」


 アンナは少女を優しく抱きかかえると、肩に両腕をかけるようにして背負った。少女のうめき声がソウジたちの焦燥感を増幅させる。


 ソウジとカナエは雑草を切断しながら、道なき道を切り開いていく。その後ろをアンナが、背負っている少女の様子を確認しながら慎重についてくる。


 そのとき、近くの茂みからぐちゃぐちゃという水分を含んだ音が聞こえた。カナエがふと立ち止まる。


「まずい、この音はスライギーです、ソウジ様」


「スライギーって何!?」


「芋虫みたいな魔物で、湿気たところに大量に湧くの。最大の特徴は、一匹見つけると――」


 カナエが全てを言い終わる前に、粘っこい体液を身にまとった茶色の丸い魔物が、ソウジたちの目の前に現れた。ソウジたちの膝くらいまでの高さがある。

 大したことはなさそうじゃないか、とソウジが言おうとした直後、木の上から同じ魔物が大量に落ちてきた。幸いなことにどの落下地点もかぶっておらず、おかげでスライギーが脳天に直撃する事態だけは避けることができた。


 気がついたときには、ソウジたちはすでに無数のスライギーに囲まれていた。


「百匹はいるってこと!!」


「走れ!」


 足元に絡みつこうとしているスライギーを辛くも飛び越えると、ソウジは先頭へ立った。がむしゃらに(やぶ)を切り刻みながら、率先して進んでいく。最初に通った者の後を通るのが一番楽だと、ここまでの探索で気づいたからだった。


 確認のために背後を一瞬振り返ると、ガサガサと大きい音を立てながら必死に追いすがるカナエとアンナの姿があった。


 こんにゃくを手でこね回すようなねっとりとした音が、背後からまだやつらが追ってきていることを示唆している。少女の荒い息づかいと、彼女を助けるという使命感だけが、いまのソウジたちを支えていた。

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