77話「“冷火妃”と“豪炎華”」
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ウェイダは数日ぶりの玉座に座って、感慨にふけっていた。
自分の留守中、とても優秀な代役が残っている仕事の大半をこなしてしまったため、やるべき仕事はもうほとんど残っていないのだった。つまり率直に言えば、やることがなくて暇、ということである。
しかも、やるせないのは。その代役が、ウェイダに対して今まさにちょっかいを出してきているということだった。
「あらぁ、どうしたのウェイダちゃぁん? 頭脳明晰な“冷火妃”が珍しくぼーっとしてるじゃなぁい? なにかあったのぉ?」
黒いドレスを身にまとった赤い長髪の唱角が、ウェイダのほっそりとした青灰色の頬をぷにぷにと指で突く。玉座の肘掛けを乗り越え、横からぐんにゃりとしなだれかかってくる彼女の体を、ウェイダはうざったそうに押し返していた。
部下は全員はけさせており、自分から出ていくまでは絶対に入ってくるなと命じてあるから、この部屋には彼女たち二魔しかいない。それゆえ、威厳の欠片もないこの姿を誰かに見られる心配はないものの、単純にうっとうしいことこの上なかった。
「あらぁ、冷たいわねぇ。久しぶりの姉妹水入らずだっていうのにぃ」
「うるさいぞ、姉上。我だって考え込むことくらいある」
その唱角はウェイダに寄りかかるのをやめると、「ぷくーっ」と効果音を自分で発音しながら頬を風船のように膨らませ、両腕を斜め後ろに伸ばしてわざとらしく怒り始めた。そうかと思えば今度は、何かとんでもない作戦を思いついたいたずらっ子のようににやけだした。
「もしかしてぇ、魔王様のことぉ? 調べてみたら本物だったからぁ、忘れられなくなっちゃったのぉ?」
ウェイダは口を開くことなく、つんと黙りこくった。
ソウジがラッシマと戦っていたときに一瞬だけ発現したあの強大なマナは、先代魔王が生前発していたマナに匹敵するものだった。そして、火事場でリミッターが外れていたとはいえ、あの力をソウジ自身が能動的に行使したことについては紛れもない事実である。ソウジが本物の魔王であると暫定するためには、それだけでも十分すぎる証拠だった。
姉上と呼ばれた唱角は、ドレスの胸元からいまにもこぼれ落ちそうなほどたわわに実った胸を、妹の細く引き締まった腕にわざと押し当てた。さらに、うねる黒い尻尾を妹の太ももに絡ませながら、嘲るように笑う。
「あっ、図星なんだぁ。たしかに小さい頃から好きだったもんねぇ、魔王様の――」
眉間に深いしわを寄せたウェイダの手刀が、自分の姉の心臓がある位置を深々と貫く。しかし、彼女は別段痛がったりうめいたりして反応を見せるでもなく、にたにたと粘りついたようなにやけ笑いを崩さなかった。少し経って、そこに在った残像が消滅する。
ウェイダは苛立ちながら両目にマナを込めた。空間に偏在するマナの濃淡がはっきりと見てとれる。
「空想の物語と現実の世界を同一視するなといつも言っているだろう、姉上。我はただ、魔王という存在の利用価値を正しく見極めたいだけだ」
遠くにある柱の裏側に濃厚なマナの塊を発見したウェイダは、その地点に向かって険のある言い方で諭した。
「ふぅん。ウェイダちゃんがそう言うんだったら、お姉ちゃんは否定しないよぉ。だけどぉ、妹思いなお姉ちゃんからの言い分もたまには聞いてほしいなぁ」
にたにたと笑いながら柱の陰から出てきた長髪の唱角は、キラキラと輝く何かを手に持っていた。彼女はそれを右目の近くに掲げると、顕微鏡をのぞくときのように、その中央に空いた穴越しにウェイダを見つめる。
「――しまった!」
取り返しのつかないことになったとウェイダが気づいた頃には、もうその唱角の姿はなくなっていた。
ウェイダが左手の中指を見ると、はめていたはずの銀の指輪がいつの間にか消えていた。さっきわざとらしくしなだれかかってきたのは、それを抜き去るためのカモフラージュに違いなかった。
「ウェイダちゃんばっかり魔王で遊んでるなんて不公平でしょぉ。だからぁ、私もちょっと触りに行ってくるねぇ。うふふっ。それじゃぁ、バイバァーイ!」
どこからともなく響いてくる声のあと、姉の気配はなくなった。魔王もまた厄介な相手に目をつけられたものだ、と自分のことを棚に上げながら思う。
先代魔王が魔界統治に失敗した最大の理由はそこにあった。魔族は能力が強ければ強いほどその個性も強くなる、というのが魔界におけるジンクスである。そして、ウェイダの実の姉であり先代四天王でもある“業炎華”ローザ・ウルリッヒはその最たる例の一つであった。
「これは姉上とあいつの話だ」
ウェイダは形容しがたい不安を感じつつ、自分自身に言い聞かせるようにひとりごちた。計画は当初と変わりない。いまは好きに泳がせておいて、駒としての真価を見極める。
ソウジというイレギュラーな存在がはらむ謎はいったん置いておくとして、問題はローザの方だった。彼女の思惑はどこにあるのか。魔王を利用して一体何をしでかそうとしているのか。
ウェイダがぱちんと指を鳴らすと、どこからともなく全身黒装束の魔族が現れた。丈の短い長袖チュニックに長ズボン、頭には頭巾を被り、顔は垂れ布で隠れている。その姿はまるで演劇の舞台に出てくる黒子のようだ。その魔族は片膝をついて、ウェイダに首を垂れた。
「姉上の動きを探ってくれ。勘が鋭いから、くれぐれも見つからないように」
「承知」
そう言うなり、その魔族は消えた。
帰ってきて早々これでは気が休まる暇もない。ウェイダはふぅ、と大きなため息をついた。
もっとも、一番大変なのは周りではなく魔王自身だろう。
魔王ソウジを待ち受ける波瀾万丈な運命に、ウェイダは憐れみさえ感じるのだった。




