74話「どういたしまして」
なだらかな階段を登りきると、市役所がある小さな高台の上に到着した。正面玄関についている両開きの扉は、大きく開け放たれている。魔の出入りが激しいため、いちいち開け閉めしていられないのだろう。
市役所の中に足を踏み入れると、カウンターに座っていた剛熊の職員が立ち上がった。
「お待ちしておりました。それではこちらへ」
階段を使って三階まで上がっていく。案内された部屋のドアの脇には『執務室』と書かれた小さなプレートがあった。
「どうぞお入りください」
ソウジがノックしてから扉を開くと、白い襟付きのシャツを着たライト卿が、背の高い椅子に鎮座していた。
「ご足労ありがとう。堅苦しい儀礼はなしにしよう。どうかリラックスして座ってくれ」
ソウジたちは中に入ると、予め用意されていた背もたれつきの椅子に腰かけた。ルークはライト卿の言葉を字面通りに受け取ったらしく、座るなりそれぞれ足と腕を組んだ。頭の部分しかないイルは、座面の上に設置された美術品のように見えて少し滑稽だった。
「君たちを呼んだ理由は、すでに私の部下から聞いているね?」
ライト卿はテーブルに並んだ四角い賞状を一枚手に取ると、ソウジたちに見えるように胸の前に掲げた。そこには魔族文字で、ソウジたちの栄誉を讃える内容のかしこまった文章と、ライト卿の流麗なサインが記してあった。
「ゲルート公爵として、『ミャントム義賊団』とギルド『天翔ける鴉』を公的に表彰させてほしい」
ライト卿がソウジの目前にその表彰状を差し出してくる。ラッシマと直接対決したギルドのマスターであり、実質的に彼を倒したソウジからまず受け取るのが筋、ということなのだろう。ギルドメンバーたちに促され、ソウジは彼らを代表して返答することになった。
「申し訳ないんですけど、お断りします」
「「「「ええっ!?」」」」
ソウジはライト卿の小さな手を優しくつかむと、丁重に押し返す。
カナエはソウジが受け取るとばかり思っていたようで、予期せぬ返事を聞いて思わず叫んでいた。イル、アンナ、エリーも同様に、それぞれ呆気にとられたようだった。
アンナはギルドメンバーでもないのに慌てて立ち上がると、間髪入れずに口を挟んできた。
「ソウジ! こんなの滅多にないことなんだよ!? 絶対に受け取った方がいいって!」
「俺たちはただ、許せないことを『許せない』って言いに行っただけです。名誉が欲しかったわけじゃないし、有名になりたいわけでもない。そう思いませんか?」
『天翔ける鴉』のマスターは後ろを振り返ると、義賊団の頭領に向けて真摯に問いかけた。ルークは微かに笑い、肩をすくめながら首肯した。
「一銭の金にならない紙っぺらなんて、もらってもしょうがないしね」
「ちょっ、リーダーまで何言ってんの!? 説得してよ、ユダ! 姉さん!」
ユダは目をつむって腕を組んでいるだけで、何も言わなかった。エリーはというと、困ったようにルークを見はするものの、意見を述べることはなかった。あくまでリーダーの意向に従うという所存のようだった。
ライト卿は小さく嘆息すると、座っている椅子の高さをゆっくりと下げ、おもむろに立ち上がった。そしてソウジとルークの顔を順繰りに眺める。
「そうか……まだ荒削りだが、双方ともに相当な名器と見受けられる。その高潔な意志を汲んで、この賞状はなかったことにしよう。気分を害して、大変すまなかった」
ライト卿はその表彰状を真っ二つに裂いたあと、細かくびりびりに破り、そして床に捨てた。アンナは驚きにあっと声を上げた。
「これでよろしいかな?」
「ああっ!」
アンナはしゃがみ込んで紙片をかき集めようとしたものの、エリーに「みっともないからやめなさい」と言われ、途中で止められたので、とてもがっくりしていた。
ソウジは謝意を込めて頭を深く下げた。ライト卿はソウジとルークを交互に優しく見上げる。
「功労者の言い分はちゃんと聞かねばな」
「わがまま言ってごめんなさい。でも、ありがとうございます」
そこでライト卿はぽんと手を叩いた。
「よし。ではここで私も一つ、わがままを言わせてもらおう」
ライト卿は足元の絨毯に両膝と両手をつき、深々と頭を下げた。イルは慌てて制止しようとしたが、体がないので言葉で諌めることしかできない。カナエもまさか公爵が平民に低頭するとは思ってもみなかったようで、焦っているようだった。
「公爵ともあろうお方が! おやめください!」
「いや、これは公爵としてではなく、カイン・ライト個魔としての礼だ。ラッシマの凶行を止めてくれて、心から感謝している。ありがとう……!」
ライト卿はしばらくそうやって頑なにひれ伏していた。彼の想いを誰かが受け止めない限り、この礼が終わらないような気がした。そこでソウジは、このやり取りを締めるのにもっとも適した言葉をかけることにした。
「どういたしまして」
それを聞いてようやく、ライト卿は満足そうに顔を上げた。そしてソウジの手を借りながらゆっくりと立ち上がる。傷が少し開いたようで、辛そうに胸元を抑えている。
「大丈夫ですか?」
「ああ。検査したところ、内蔵にはギリギリ届いていなかったそうだ。医者からは、この傷で済んだのが奇跡だと言われたよ」
襟を軽く開くと、包帯で胸部をぐるぐる巻きにされているのが分かり、痛々しかった。いち早い街の復興のため、負傷を押して仕事に励んでいるのだろう。ソウジはその使命感に頭が下がる思いだった。




