73話「二人のカナエ」
「私ってば、あのあと変な占い師に騙されて、道端で気絶しちゃってたのよ。集合場所まで行けなくて、本当にごめんなさい」
カナエはばつの悪そうな顔をしながら、指で頬をかいている。ソウジは呆けた顔で他の面々とアイコンタクトを交わしたあと、カナエに詰め寄った。
「ちょ、ちょっと待て。どういうことだ?」
「どういう、って……いま言った通りよ。何か変なこと言ったかしら?まだ怒ってるなら、何度でも謝るわ。間に合わなかった私が悪いんだもの……」
たじたじになったカナエは、ソウジとの間を両手で遮り、戸惑いながら答えた。
なにか大きなすれ違いがあるようだった。変なことどころの騒ぎではない。あれほど危険な戦いを綱渡りで潜り抜けたというのに、一晩経ったら何事もなかったかのように忘れるなんて、絶対におかしい。
なにか思惑があって、かまととぶっているだけなのだろうか。こちらを試すようなあの意地悪な一面を知っているソウジには、それを疑うだけの十分な理由があった。
ソウジは右手でカナエの左肩をしっかりとつかむと、その顔をじっとのぞき込んだ。見入られた深緑の両目が、動揺にゆらゆらと揺れる。
「ど、どうしたのよ、急に。今日のソウジくん、なんだか変よ?」
「確認するぞ、カナエ。キマイラと戦ったのは?」
「なにそれ? あっ、小さい頃に読んだ絵本の挿絵で見たことがあるわよ。そうじゃなくて?」
「じゃあ、ラッシマと戦ったのは?」
「ソウジくんたちが倒したんだってね。私たちが呼ばれているのはその件でしょう?最初に聞いたときは驚いたけど、でも悪い魔だったなら仕方ないのかなっていう気もするわ」
他魔事のように話すカナエに、ソウジは事のあらましを伝えた。昨日はカナエとずっと同行していたこと、地下牢に入れられたが脱出できたこと、衛兵をはじめとする様々な敵と遭遇して戦ったこと、そして最後は「両親の安否が気になるので自宅に戻る」とカナエが言うので別れたこと。
カナエはしばらくの間、水面に顔をのぞかせる魚のように口をぱくぱくさせたあと、気まずさを誤魔化すようにえへへと笑った。
「そのお話、ソウジくんが作ったの? すごいわ、小説家になれるわよ!」
冗談ではないということを表すためにソウジが真顔で首を横に振ると、カナエは困ったように顔を背けた。
「ごめんなさい、本当に覚えてないの。戦闘やハッキングだって、そんなにすごい実力なんか持っていないし……」
しゅんと萎れるカナエの様子を見る限り、ソウジには彼女が嘘をついているようには到底思えない。つかみかけた真相が指の間からすり抜けていくような感覚に、ソウジはただ困惑していた。まるで別の魔格が二つあるようだ。
そのとき、それまでずっと真剣に考えこんでいたアンナがふと身を乗り出した。
「例えばなんだけど、似たような見た目の魔族がなりすましていた、とか?」
「なりすまし?」
「うん。占い師に騙されて気絶した、ってさっき言ってたじゃん。その間に、そいつかそいつの仲間がカナエと入れ替わったんじゃない? 知り合って間もない相手を本魔かどうか見分けるのって結構難しいんだよね。そこにつけこんだんだよ、きっと」
盗賊としての経験から導き出されたであろうアンナのその推理には、かなりの説得力があった。たしかに入れ替わるタイミングとしてはカナエが気絶した時点以降しかなく、占い師と名乗ったその魔族が入れ替わりの手引きをした可能性は非常に高かった。
「でも、どうしてそんな手の込んだことを……あっ」
ソウジはカナエの偽者が言っていた言葉を再び思い出した。
――魔王なのだろう?
ソウジが本物の魔王であるかどうか探りを入れに来たのだとすれば、辻褄は十二分に合う。ソウジは頭だけのイルを手に持つと、ほんのかすかな囁き声で耳打ちした。
「そいつ、俺が魔王だっていうことを知ってたんだ。関係者だと思う」
「ええっ!? 誰かに情報が漏れていたということですか!?」
「うおっ――」
驚いた拍子にイルがガタガタと震えたので、ソウジは危うく手を滑らせて落としそうになった。イルをしっかりと持ち直して、会話を再開する。
「――たぶんね。これ、カナエには伏せておいた方がいいかな」
「はい。疑いがかかる者は少ないに越したことはありません。極力秘密にすべきです」
「分かった」
怪しげなひそひそ話を訝んでいるカナエに、ソウジはぎこちなく笑いかけた。
「結局そいつが誰だったのかは分からないけど、今回の事件で得た成果は間違いなくカナエさんのものになるから。余計な心配はしないで、堂々としていれば大丈夫」
ソウジはカナエの肩をぽんぽんと叩いて、強引にその話題を締めにかかった。カナエはむすっとしながら腰に手を当てると、ソウジを上目づかいでにらむ。
「あやふやにして終わらせるみたいな流れになってない? あなたたち、なにか隠してるでしょう! 早く言って! ほら、言いなさい!」
「あ痛たたた! 傷が開いちゃうから、そんなに引っ張らないで!」
「あ~ら。こんな真っ昼間からいちゃついちゃって、仲のよろしいことで」
アンナにからかわれたカナエは、自分たちがどういう風に見えているかをやっと把握したようで、頬を染めながら慌てて手を引いた。
「ちっ、違います! ねっ、ソウジくん!?」
「あ、うん……そうだな……」
たしかに全然違うのだが、なんだか一方的にフラれたような気分になり、ソウジは言いもしれない悲しさを覚えるのだった。
「それはそうと、体毛が艶やかなこちらのお方は?」
名指しされた新顔の跳猫は、尋ねてきたイルに向き直ると、びしっと姿勢を正した。
「こいつらが大変お世話になりました。ミャントム団リーダーのルークです、よろしく」
ルークはそう言うと、ソウジたちと握手を交わした。
「貴方が彼女たちの親玉ですか!」
「こら、イル! そんな言い方したら失礼だろ!」
ソウジは慌ててイルをぶっ叩いた。木魚のような打撃音が周囲にこだまする。
「ホンットすいません! アンナに所持金を盗まれて以来、ミャントム団のことを恨んでるんです。済んだ話だし、盗んだ理由も分かったんだから許してあげよう、って何度も説得してるんですけど、なかなか聞き入れてくれなくて」
ルークに対して申し訳なさそうにペコペコするソウジ。エリーは頭部だけのイルに向かって平身低頭し返している。
ルークは目玉をひん剥きながら、斜め後ろにいるアンナを振り返り、ガンをつけた。
「おいコラ、初耳だぞ?」
「あ、あとで良くない!? いまはまず大切な用事があるでしょ!ねっ!」
さっきまでとは一変して般若のような恐ろしい形相になったルークに、アンナは全力で満面の笑みを返すと、逃げるように階段を駆け上がろうとする。そんなアンナの首根っこをつかまえると、ルークは耳元でぼそりと呟いた。
「じっくり、な?」
ソウジたちに返金の確約をしながら階段を上っていくルークの背中を見ながら、アンナはうつむいてシクシクと泣いた。
「ううっ……確実に折檻コースだよ……」
「自業自得です」
「私も一緒に受けてあげるから、諦めなさい」
ユダとエリーはそれぞれ慰めるようにアンナの肩をぽんと叩くと、ルークの後ろについていった。その優しさも、傷心のアンナにはとても痛く感じられるようだった。




