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65話「ソウジ、覚醒す」

 ラッシマは誰一魔(ひとり)立ち上がらない室内を見渡して満足そうに笑みを浮かべると、メインパネルの方へ向かった。なぜかひとりでに打鍵されているパネルの前に立ち、ひとりごちる。


「どうかね、調子は?」


 そう声をかけると、キーの押し下げが急に止まった。ラッシマは空中に手を突き出し、パネルの前から逃げ出そうとする透明な物体を押しとどめる。魔具の効果が終了し、右腕をつかまれているアンナの姿が出現した。


「何度も何度も俺様を愚弄しやがって!悪いとは言わせねぇぞ、このクソアマァ!」


 ラッシマはがっしりと腕をつかんだまま、アンナを頭上でタオルのようにぐるぐると振り回したあと、足元の床に叩きつけた。


「がはっ……!」


 アンナの目つきが虚ろになり、痛みに開いた口から唾液が飛び散る。


 透明化しているアンナに後を託して時間を稼ごうとしたカナエの唯一の誤算は、ラッシマのかけているメガネ型魔具が、マナ濃度を視覚的に認知できる機能を有しているという事実を知らないことだった。それはサーモグラフィのように、生物をマナの塊として捉えることができる。


「惜しかったなぁ、えぇ?あと少しで奴隷どもを自由の身に出来たってのになぁ?」


 メインモニター上には、ユダに教えてもらった開錠用のパスワードが入力されており、これが終わればあとは地下牢の檻が開くだけだった。

 ラッシマが地面に力なく横たわったアンナの腹部をアイアンブーツでぐりぐりと踏みにじる。苦しそうに歯を食いしばりながら、アンナはラッシマの憎い顔をキッとにらんだ。


「その目つき、どこかで……」


 ラッシマはふと何かを思い出したようで、腕を組んで遠くを見ながらしばらく思案したあと、ピンときたというようにアンナを見下ろした。


「ああ、思い出した。奴隷どもをこっそり逃がそうとした、片耳のないバカな跳猫(キット)だ」


 ラッシマが指している(マギ)をよく知っているアンナは、かすれた声でぼそりと呟く。


「ジョセフ」


「そうだ、たしかジョセフって言ってたな。知り合いか?」


「ふっ。夜逃げしたパパが、知らないところでアンタに一矢報いてたなんてね」


 事があらかた片付いて安心したためか、最後の余興に問答を始めたラッシマに、アンナは恨みがましく言った。


「夜逃げ?何のことだね」


 小笑いしながらとぼけるラッシマに、アンナの長年に渡って積み重ねてきた憎悪はさらに増幅された。


「アンタのせいで町から逃げ出した魔がどれだけいると思ってるの?知らないとは言わせない!」


 ラッシマはアンナの言っている意味が分からなかったのか、少しの間きょとんとしていたが、そのうち大笑いし始めた。腹筋の振動で小刻みに震える上半身をよじって腹を抱えながら、アンナに言い放つ。


「一度弱みを握った相手を、俺様がそう簡単に逃がすと思うか!?」


 ラッシマは両手を広げて偉そうに口上を垂れる。真相に気がついたアンナは、はっと目を見開いた。


「親!パートナー!子供!親戚!友魔(ゆうじん)!職場の同僚!大切な相手を守るためなら、誰だって簡単に首を縦に振る!」


 容易に想像がつくことだった。『契約』という言葉を聞かされてすっかり勘違いしていたが、そもそもこのあくどい成金男が正規の手続をそんな律儀に守るはずがないのだ。


 いい仕事があるといって債務者を騙し、強制的に働かせていただけではなかった。(マギ)質を取ることによって、強引に拉致されていった者もいるということだ。そしてそれはアンナの父親にも当てはまるということを、ラッシマの嘲笑は告げていた。


「お前のパパ(・・)の毛皮はいい値段で売れたよ!はっはっはっは!」


 最悪の形で肉親の最期を知り、アンナは腹の底から憎しみを叫んだ。


「ラッシマ……ラッシマあああああああああああ!!」


 食い込んだ爪で手のひらに血が滲むほど強く拳を握りしめ、ラッシマのブーツを何度も叩くが、びくともしない。ラッシマはにやけ顔でアンナを見下ろしながら、立ち上がったばかりの赤ちゃんを応援しながら呼び寄せるときのように両手で手招きした。


「抜けられるものなら抜けてみろ!いくらでも待ってやるぞ!そら、頑張れ!」


「ぐっ……ぐうっ……ふうっ……!!」


 なんとか足を払いのけようと、両腕でラッシマのブーツをつかもうとするが、無様にもつるつると滑って上手くつかめない。次第に増していくブーツの重みに、始めはじたばたしていたアンナの動きも少しずつ精彩を欠いていく。

 やがて抵抗することをやめたアンナは、力なく横たわった。それは肉体的な意味で力尽きたわけではなく、精神的に折れてしまった結果だった。


「なんともつまらん最後だな」


 全てを蹂躙し終えたラッシマは、メインパネルを操作して、地下牢を開錠する画面から通常の画面に戻そうとした。


 そのときだった。ラッシマは極度の悪寒に襲われ、慌てて振り返った。


 視線の先では、気絶したはずのソウジがすっくと立ちあがっていた。その表情はうつむいていて見えない。


 散々に痛めつけられた魔族たちの想いが奇跡を起こしたのだろうか。それとも、ラッシマへの怒りと執念が彼を奮い立たせたのだろうか。その理由は定かではない。

 しかし誰がなんと言おうとも、厳然たる事実として、彼はいまここに再び立ち上がったのだ。


 メガネ型魔具の表示は、現実的にはありえないマナの数値を示している。ラッシマは深呼吸して息を整えながら、自分自身を落ち着かせた。

 戦闘中になにかの弾みで故障してしまったため、計測エラーが生じているに違いない。こんなものはどうせ弱っちい虫けらの最後っ屁だ。軽くひねりつぶして、今度こそ終わりにしてやる。

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