64話「天翔ける鴉VSラッシマ」
ラッシマは目を血走らせながら斜め上に向かって飛び上がると、こちらとの距離を即座に詰めてきた。背中のバックパックから噴射される炎がブースターの役割を果たしているようだ。まず狙われたのは、武器をなにも持っていないアンナだった。
アンナは持ち前の跳躍力を駆使しながら、宙返りしてなんとか突進を避ける。突き出したラッシマの右手が空を切る。そのわずかな隙を逃す手はなかった。
ソウジは煮えくり返ったはらわたの中身をぶちまける気持ちで、アーマーのフレームの隙間をめがけて剣で突いた。カナエもそのとき同じことを考えていたようで、ラッシマの両脇腹を狙う形になった。
しかし、その攻撃はソウジたちが予想だにしなかった結果を生じた。生身であるにも関わらず、サーベルの切っ先が深く刺さることはなく、謎の弾力とともに押しとどめられたのだ。
ラッシマはカナエの方に振り向くと、身長差を利用して上から下に思い切り右手のガントレットを叩きつけた。カナエはすんでのところで身を捻って回避する。
この世のものとは思えない轟音を立てて衝突した拳によって、タイルが大きなひび割れを生じながら砕け散り、床面が陥没する。こんなとてつもない威力の攻撃に当たったら、一巻の終わりだ。
「俺の屋敷をォ!傷つけさせるんじゃねぇよォォ!!」
「自分で壊したんでしょう」
もはや言いがかりともいえるラッシマの癇癪に、カナエは冷静に反論する。
「屁理屈をこねるなァァァ!!!」
ラッシマは理不尽に怒鳴り散らしながら、今度は返しの裏拳で斜め後ろに立っていたソウジに殴りかかってきた。ソウジはステップを踏んで、それを横に避けようとした。
刹那、脇腹と脚に鋭い痛みが走る。キマイラとの戦闘で負った傷が再び響いたのだ。興奮により生じた脳内伝達物質が肉体を支配しているとはいえ、ダメージの蓄積は変えることができない事実だった。
動ききれなかったソウジの左肩をガントレットが軽くかすめる。攻撃の絶大な威力がソウジを吹き飛ばすには、それだけで十分だった。キマイラの飼育檻にぶつかって大きくひしゃげさせたあと、ソウジは糸が切れたマリオネットのようにくずおれて、そのまま気絶した。
「よくも我が主を!許さんぞ!」
そのとき、ソウジの方を向いていたカナエとラッシマの背後から声が聞こえた。誰も気に留めていなかった部屋の隅で、いつの間にか完成した、三角を二重円で囲んだ魔術陣の中心にイルが立っていた。堂々たる仁王立ちで、両手を重ねて前に出し、手のひらをこちらへ向けている。
イルが叫んだのは、ただ怒りを表明したわけではなく、カナエとアンナに対する遠回しの攻撃宣言でもあった。その意図を察したカナエは、頭から飛び込むようにしてできる限り遠くへ跳んだ。
「凍れ!」
極寒の奔流が、ラッシマの全身を包み込むように襲い掛かった。溢れ出した冷たい風が、倒れているカナエの頬を撫でる。ラッシマはとっさに両手で顔をかばったが、その手足は末端から急激なスピードで凍っていく。
しばしののち、ラッシマは完全に凍り付き、その動きを止める。
――イルの予想によれば、そのはずだった。
「納涼を楽しむ季節にはまだ早いよなァ?」
「そ、そんな馬鹿な!?」
周囲の床が一気に凍りつくほどの冷気の塊を受け止めてなお、ラッシマはぴんぴんしていた。手を握ったり開いたりしてその感覚を確かめたあと、バックパックのブーストで飛び上がり、イルの目の前に着地する。
「死体風情が生き物様に抗うんじゃねぇよ!おとなしく死んどけ、ボケ!」
死骨に対する最大級の罵倒を言い放ちながら、ラッシマは拳を何度も叩きつけた。イルの身体がバラバラに粉砕され、見るも無残な骨片と化していく。そして老骨は沈黙した。
これで二魔が撃沈したことになる。生死すら分からない状態だった。しかし、戦意を喪失している余裕などなかった。なぜならカナエにはまだわずかながら勝算が残されていたからだ。ここまで来て諦めるにはあまりに惜しい、大きな勝算が。
その目論見が勝利へ導いてくれることを祈りつつ、カナエはさらなるチャンスの手がかりを発見した。それはラッシマの背負っている魔具だ。さっきイルの魔術が通用しなかったのは、このバックパックから出るマナ障壁がそれをガードし、威力を大幅に軽減していたからだということをカナエは見抜いていた。
これを破損させることができれば、機能のいくつかが停止するかもしれない。そう考えたカナエは、イルに注目し続けているラッシマの背後へ駆け寄り、サーベルをバックパックに向かって思い切り突き立てた。断裂した数本のパイプの中から透明な気体が漏れ出す。
〈マナ漏出。出力80%〉
血眼で振り返ったラッシマは、急いで離脱しようとするカナエに握った左手を向けた。
「テメェェェェェ!!焼き殺す!!」
ラッシマの手の甲に伸びているパイプの先端から勢いよく火炎が放射される。カナエもそれに応じて、右掌から火炎を放射した。双方の魔術がぶつかり合い、高熱の余波が室内を襲う。歩いて徐々に近づいていくラッシマに対し、じりじりと後退していくカナエ。
「くっ……この肉体ではマナが……ぐああっ!」
壁際まで押しやられたところでついに負けたカナエは、ラッシマが放つ業火に包まれた。ラッシマはカナエが動かなくなるまで執拗に火炎を浴びせ続ける。
ラッシマがようやく放射を止めると、焦げついたカナエの消し炭が現れた。




