61話「カナエ・フォーゲルの最悪な一日」
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カナエは朦朧とする意識の綱をなんとかつかみ取り、自分の下へたぐり寄せた。周囲で響いている喧騒に、カナエの動物としての生存本能が危険を告げている。いつもとは違う街の雰囲気を感じながら、カナエはようやっと目を覚ました。
「痛たた……」
硬いものに寄りかかって寝ていたせいか、当たっていた背中とお尻の部分がずきずきと痛む。くらくらする頭を押さえながら、カナエはふらりと立ち上がった。
「ここは……そうだ、あの占い師にやられて――」
徐々に記憶が蘇ってきて、カナエは怒りに震えた。
いま立っている路地裏を見渡したところ、持ち物は全て持ち去られているようだった。それどころか、身ぐるみをはがれて服装まで変わっている。仕立てたばかりの立派な革鎧が、趣味の悪い遊び魔風へそ出しルックに変わっているではないか。
比較的治安の悪いハブ・プロットルならまだしも、こちらの町にまでこんな手の込んだ手口を使う質の悪い窃盗犯が出没するなんて、カナエはいままで思ってもみなかった。
絶対にあとで通報してやろうと思いつつ、カナエは起きている騒ぎを観察するために路地の外をそっと覗き込んだ。ストリートでは住民たちが血相を変えて走り回り、衛兵たちがそれを誘導している。向かって左手の遠くの方では戦闘が行われているようで、剣戟の音が聞こえてくる。
どうやら、ソウジたちとともに向かおうとしていた任務はとっくにおじゃんになったようだ。しかも気絶していたせいで、こうなるまでの経緯が全く分からない。
カナエは街の状況を探るため、まず衛兵たちに事情を尋ねることにした。近くで誘導していた長身の器猿の衛兵に話しかける。
「忙しいところすみません。ちょっといいですか?」
「お前、この町の住民か?」
カナエの服装を見るなり、衛兵はしかめ面になり、警戒するようにじろじろと見ながら尋ねてきた。たしかに、この上品な街で生活するにはそぐわない露出度であり、季節感にも若干欠けている。とはいえ、自分のせいではないのでどうしようもなかった。
「ええ。ついさっき目が覚めたら、街の中がこんな風になっていて。ラッシマ氏の護衛任務を受けているんです。何かあったんですか? あなたたちを手伝った方がいいのかしら?」
しばしの沈黙ののち、衛兵はサーベルをすっと抜いた。
よほどのことが起きない限り、衛兵が町の中で武器を握るということはない。つまり、今回はその『よほどのこと』に当たると判断されたのだろう。
カナエの心拍数は一気に跳ね上がった。
「えっ、あの、ちょっと待ってちょうだい。物騒なことはやめません? ね? もう少し平和に行きましょう? ね?」
「お前たち傭兵が物騒な状況にしたんだろう? おとなしく俺に捕まったら、許してやってもいいぞ」
ずんずんと近づいてくる衛兵は、明白な敵対の視線をこちらに向けていた。どうやら、話の持っていき方を百八十度間違えたらしい。捕えられるどころか命の危険さえも感じる衛兵のその殺気立った態度に、カナエは隙を見てさっと駆け出した。
「あっ! おい、待て!」
背後を振り返ることなく、カナエはさっきとは違う路地裏へ駆け込んだ。一本隣のストリートへそのまま通り抜けると、そこではラッシマの衛兵と傭兵らしき魔たちがいままさに戦っている最中だった。
力負けして突き飛ばされた傭兵が、カナエのすぐ横にある建物に叩きつけられ、壁にずりずりと背を擦りながら力なく崩れ落ちた。剛熊の衛兵は続けて、容赦なく切りかかろうとする。
カナエはその傭兵の手からこぼれ落ちたショートソードを拾い上げ、慌ててその傭兵をかばった。鈍い金属音とともに剣同士がかち合う。
「なにも殺すことはないでしょう!」
「お前たちが先にやったんだろう! 領主に楯突く反逆者め!」
しばしの鍔迫り合いの後、カナエはその衛兵を押し倒して、再び逃げ出した。衛兵と出会う度にいちいち相手にしていたのではきりがない。いまは逃げるに如かずだ。
とりあえず、町の中よりも場所が開けていて安全そうな外へ出るべきだとカナエは思った。方々に発生している小さな戦場をできる限り避けつつ、路地裏を通り抜けていくのがベストだろう。土地勘があるカナエにはそれができる。
そうと決まれば、善は急げだ。カナエはさっき拾った傭兵の剣を片手に、ゲルートの街を駆け出した。
カナエは体を動かしながら、自分なりに考えを巡らせる。
衛兵と傭兵は普段から仲が悪いというのは、この町の住民にとっては周知の事実だ。とはいえ、護衛を依頼するような穏便な関係から一転して反逆者扱いとは、一体どういう風の吹き回しだろうか。
まずは誰かに事の真相を尋ねたいが、この込み入った状況ではそれさえも叶わないことのようだった。
「もう! 次から次へと、一体なんなのよ! 今日は完全に厄日だわ!」
謎の占い師に昏睡させられ、持ち物を全て盗まれ、挙句の果てに目覚めてみたら、今度は衛兵たちに命を狙われるという始末。カナエは町の騒がしさに便乗して、大声で感情をぶちまけるのだった。




