52話「作戦開始」
注意深く観察すればすぐに分かる、単純なことだった。真後ろにいたカナエがソウジの右腕に一瞬だけ尻尾を絡めて、無理やりソウジの腕を挙げさせたのだ。
もっとも、瞬きする間もない出来事だった上、この張りつめた状況下でそんな巧妙なトリックを洞察できる者などいるはずもない。周りからは、ソウジが自分で手を挙げたようにしか見えなかっただろう。
ソウジは頭が真っ白になった。自らの意思で手を挙げたわけではなく、誰かにはめられたということは理解できていたが、そんなことをわざわざソウジにさせる意味が理解できず、ただただ困惑していた。
「えーっと……」
周囲からの問い詰めるような視線に晒され、なんとか言葉をひねり出そうとした刹那、吐息をたっぷりと含んだカナエの囁き声がソウジの耳元で響いた。
「魔王なのだろう? ならばこの程度の謀略、軽くねじ伏せてみせよ」
頭の中まで入り込んできそうな、ざりざりとしながらも魅惑的なその声色に、ソウジの背筋は固く凍りついた。いまのは本当にカナエの声だったのだろうか?
ソウジ自身は、自分が魔王だという情報を誰かに漏らしたことはない。その事実を隠すよう提案してきたイルに関しても、出会ったばかりの見知らぬ魔族相手にそのことを軽々しく話すとは到底思えない。
ではその秘密をなぜ、カナエが知っているのか。彼女は一体何者なのか。
しかし、いまここでどれだけ考えてもその答えは出ないだろう。脳内に次々と浮かび上がる疑問を放り捨てて、ソウジは端的に自分の意思を伝えることにした。
「その作戦、参加します」
実は、ソウジはカナエに促される前から手を挙げようとしていた。
なぜなら、ソウジのトラウマになっているあの事件――幼馴染の晴翔が死んだときと似たような状況だからだ。地下に囚われた労働者たちを救えるのは、いまここにいる自分たちしかいない。
しかも、被害の規模はその比ではない。今回は数百という魔族たちの運命がかかっている。
彼らを見捨てたら、一生後悔する。ソウジの中にはそう言い切れるだけの確信があった。
イルは慌ててソウジの顔を覗き込んだ。眼孔に灯る青い炎がちらちらと点滅しているのは多分、動揺している証拠だ。
「本気なのですか?」
「本気だと言ったら、止めますか?」
心配性のイルなら、意地でも止めるのではないかとソウジは想像していた。しかしその予想に反して、イルは何も反対してこなかった。このときばかりは、持ち前の気弱さは鳴りを潜め、魔王に付き従う忠実な臣下そのものであった。
「止めたいのはやまやまですが、苦しむ民を救うことも王が勤め。それが貴方様の選ぶ王道だというならば、私は全力でお支えするだけです」
その青く燃える瞳は、魔王擁立の夢を諦めきれず、王としての器をソウジの中に見ているのだろうか。それでも、心強い応援であることに変わりはない。
一方、作戦への参加をけしかけてきた当のカナエはというと、ため息をつきながら、やれやれと言った様子でソウジを見つめ返してきた。
「マスターの後ろにメンバーがついていかなかったら、示しがつかないでしょう?」
先ほどソウジの腕を強引に持ち上げて耳元で怪しく囁いたことなどとっくに忘れたとでもいうように、丁寧語で白々しく返答する。彼女の真意は未だ分からないが、ついてきてくれることについては心強かった。
彼らはいま、どんな理由であれ、船頭であるソウジに自らの命運を預けるという決断をした。それは、どれほど悲惨な結末になろうともソウジを恨まないという信頼の証でもある。
二魔の答えを聞いたソウジは、マスターとしての矜持と責任を示すため、ギルドを代表して宣言した。
「『翔ける鴉』三名、その作戦に参加します」
他の傭兵たちはみな、空想上の生物と遭遇したかのような驚愕の目つきでソウジたちを見つめていた。たしかに目の前の損得だけを考えれば、これほど無駄骨になる行為はそうそうないだろう。もっとも、トニーとイアンだけは笑いをかみ殺していた。
ユダは若干ほっとした様子で、ソウジたちを隣へ呼び寄せた。内部の構造を熟知しているとはいえ、たった二魔で内部を進んでいくというのはさすがに不安だったのだろう。
「では中央管制室にはこの五魔で行きます。残りの方はエリーの指示に従い、囚われた傭兵たちの解放と脱出を」
エリーは心配そうにこちらを見つめたが、何も言わなかった。
互いにうなずきあう傭兵たち。こうして全員の合意が形成された。ユダは大きく両腕を開くと、両手を強く打ち鳴らした。
「作戦開始!」
合図とともに、傭兵たちは一斉に駆け出した。別れ際、トニーとイアンはすれ違いざまにソウジの背中を豪快に叩いた。
「生きて帰ってこいよ、大バカ野郎ども!」
「が、頑張れ」
ソウジはガッツポーズをトニーたちに見せながら、ユダの後に続いて駆け出した。
収容されていた施設の外へ出ると、そこは工場の一区画だった。
今にも押しつぶされそうな圧迫感のある無骨な天井が、ソウジたちの頭上を一面覆っている。この階層はどうやら工場の資源庫のようで、大きくて丸っこい円柱状のタンクのようなものがところ狭しと並んでいる。
巡回していた衛兵たちは、さっそく異変に気づいたようだ。不測の事態に困惑しつつも、雄叫びをあげて切りかかってくる傭兵たちに応戦している。大小様々な障害物に囲まれているため、敵味方が入り乱れやすく、フロア内はすでに混戦模様だ。
こちらのグループにはユダがいるため、衛兵たちはユダがソウジたち傭兵に追われているのだと勘違いしたらしく、ユダをかばうようにしてソウジたちの行く手を阻んだ。
「どこから逃げ出したんだ、お前ら!」
「私が逃がしたんですよ」
「へぶっ!?」
ユダに背後から蹴り倒されたその衛兵は、床に向かって頭から勢いよく突っこみ、そのまま動かなくなった。周囲に駆けつけた衛兵たちはユダの凶行に困惑し、なかなか切りかかれずにいる。
「おや、動きが鈍いですよ。トーマスとシュルトに甘やかされて、体がなまっているんじゃないですか?」
「そんな! あのジューダスさんが裏切るなんて! 冗談ですよね!?」
ユダは返事をするかわりに、右脚の回し蹴りで衛兵たちを軽々と一蹴した。容赦がなさすぎて、味方であるこっちまでなんだか怖くなってくる。
「腐った下衆どもとはいえ、これだけ慕われていたのは嬉しいですね」
言い草までもが辛辣なユダに、衛兵たちの立つ瀬はもはやないようだった。
「敵じゃなくて、マジでよかった……」
掘爬の衛兵の首を絞め終わると、アンナはそう言ってほっと胸をなで下ろした。
それにはソウジたちも全力で同意したいところだった。もしユダが敵だったら、脱出は100%失敗していたと言える絶対の自信がある。それほどまでに、彼の戦闘力はずば抜けていた。
ユダはその後も子供扱いするように衛兵たちを蹴散らしながら、ソウジたちを別の区画へと誘導していった。
アンナは徒手空拳で縦横無尽に舞い、カナエとソウジは倒れた衛兵から奪い取ったサーベルで立ち回っている。
イルだけは近接戦闘の能力がないため、ソウジたちの影にこそこそと隠れながら逃げ惑っている。ソウジは飛びかかってきた衛兵のサーベルを横へ捌き、がら空きになった首にハイキックをお見舞いしてから、背後にいるイルに尋ねた。
「例の氷は出さないんですか?」
「できる限りマナを温存しておきたいのです。何が起こるか分かりませんから」
たしかに、これだけの数を相手に連発したら、すぐに力尽きてしまいそうだ。それに、奥の手というのは最後まで取っておくものだろう。魔術を使わなくても突破できるならそうするべきだと思い、ソウジは納得した。




