5話「招き猫イザベラの誘い」
そこには小柄な女性の魔族が立っていた。
水色の半袖ジャケットにカーキ色のショートパンツをはいており、こちらに手を振っている。
その全身には、肌を覆うように短い薄灰色の体毛が生えている。それに似た濃灰色のショートヘアに、ピンと立ったネコ耳と口ひげ。
しなやかな尻尾は先端だけがインクに漬けたように黒い。手のひらには丸みを帯びたピンクの肉球があり、水色のネコ目は鋭い眼光を放っている。
ネコにかなり寄った風貌をしているが、難なく二足歩行していることからして、骨格は人型のようだ。イルが言っていた分類で判別すると多分『跳猫』と呼ばれるネコベースの魔族だ。
「なーにジロジロ見てるの? それ以上アタシを観察するなら追加料金を頂くよ」
「え、いや、その……っていうか、そもそもまだ基本料金すら払ってないんですけど?」
「ふふっ、お兄さんなかなか面白いね」
挑発的な目つきでこちらを見つめる猫娘の視線を、イルが勢い良く遮った。
「このお方を愚弄するような真似は、私の骨が白いうちは許しません」
「あら、お優しい骸骨さん。このお兄さんとはどういう関係?」
「それはもちろん、まお――」
『う』まで言い切る寸前で、イルはなんとか思いとどまった。
「私の主様です」
「へぇ、そんなひょろい見た目なのに部下持ちなんだ。やるね、お兄さん」
「だから! 先程から失礼ですよ!」
眼孔から強烈な青光りを放ち、全身の骨がガタガタに飛び散りそうなくらいイルが憤慨し始めたので、ソウジは慌てて二者の間に入った。
「悪いけど、イルさんはそういうフランクな冗談が苦手なんですよ。あまりからかわないでくれませんか」
「ごめんって。もうしないから許してよ」
どうやらこのキャピキャピした猫娘とクソ真面目なイルは根本的に相性が悪いらしい。未だに納得いかなそうな仕草を見せるイルをなだめつつ、ソウジは会話を続けた。
「そうそう、お兄さんたち、このハブ・プロットルに来たの初めて?」
「あっ、はい。イルは何度か来たことあるみたいだけど、俺は初めてです」
「だよね! めっちゃキョドってたしすぐ分かったよ。せっかくだし、アタシがここを案内してあげよっかなぁと思ってさ。お兄さんイケメンだし、お金はいらないよ。どうかな?」
何故かはよく分からないが、現地ガイドをしてくれるということらしい。
「この女、急に近づいてきて妙に怪しいですよ! 私だけで十分案内できます!」
「あれ、失礼なのって実はそっちの方だったりしない? 初対面でいきなり『この女』呼ばわりはないよねー」
「なんですと!」
犬猿の仲で睨み合う二者をなんとか引き剥がすと、ソウジは猫娘に向き直った。
「正直言うと、移動中は二魔だけでずっと話してたから結構息が詰まってたし、気晴らしになるんで助かります」
「ホント!? じゃあ決まりね!」
「まお……主様!」
憤懣やるかたないイルだったが、魔王であるソウジの決定にはどうあがいても従うようだ。なんだか申し訳ない気もするが、まだ出会って間もない、他人同然のイルとずっと対面というのはなかなか堪える状況だったので、この猫娘の提案は渡りに船だった。
「まあまあ。嫌になったら途中で別れればいいんだし、少しくらいこの提案に乗っかってみてもいいじゃないですか」
「ふん、どうなっても私は知りませんよ!」
こちらを不平そうに睨むイルだったが、いままで従者として振る舞っていたときよりもずっと生気を持って見えた。無表情な骸骨の感情あふれる一面を初めて目にして、ソウジは新鮮な心地だった。
「よろしくお願いします。俺はソウジ・マミヤ、こっちの骨がイル・エピデミオ」
「アタシはイザベラ・グレイだよ。ふふん、これでガイドケーヤク成立ね」
ソウジとイザベラは互いの手をがっしりと握った。跳猫特有のぷにぷにした手のひらの感触が心地よかった。一方、イルはイザベラの存在をあくまで拒絶したいらしく、握手を断ってイザベラに苦笑されていた。
「それでどこに行きたいの、ピリピリ骸骨さん?」
「地図と食糧を買いたいのです。早く案内しなさい、ガイド」
イルは周囲を見渡しながら、ぶっきらぼうにベルを急かした。
「ふーん。アタシ的にはあの店がいいかなー。ついてきて!」
そう言うと、イザベラは手慣れた調子で魔族の群衆をいとも簡単にかきわけて進んでいく。
ソウジも現実世界ではかなりの都会で暮らしていたため、人通りの多い場所を移動することには慣れているが、それでもイザベラが見せる華麗な身のさばきには敵わず、後ろをついていくのが結構大変だった。
イルに至っては、長年の隠居がたたったのか、他の魔族を避けるだけでも精一杯のようだった。しかも誰かにぶつかる度に丁寧に謝ろうとするものだから大層な時間がかかってしまい、歩くどころの騒ぎではなかった。
「お二方、もっとゆっくり進んで頂けませんか?場の慌ただしさに眩暈が止まりません」
「これから首都に近づくにつれてどんどん混んでいくだろうし、旅してる間に少しは慣れといた方がいいんじゃないですか?」
「ぐっ、たしかに……」
ぐうの音も出ない正論に何も言い返せなくなったイルを見て、イザベラはけたけたと小気味よく笑った。イルは小娘に馬鹿にされたのが悔しかったようで、ぎりぎりと歯噛みしている。
「まあ、急ぐ旅でもないしのんびり行きましょうよ」
「りょーかい。今回だけ特別に、骸骨さんに合わせてあげるよ」
「一言多いんですよ、貴女!」
なんだかんだ全員の歩調が合ったところで、ソウジとイルにも少しずつ周囲に気を配る余裕が出てきた。すれ違う魔族たちを眺めながら、ソウジがどちらに言うでもなく呟く。
「それにしても、街の外にあると思えないくらいすごい賑わいですね」
「この一帯は交通の便が良く、また四天王それぞれの領地に囲まれた緩衝地帯でもあるため、交易にはうってつけの立地となっています。それゆえ、魔界全土から商魔が集うのですよ」
イルは自分の出番だと言わんばかりに、自慢げに解説した。魔王のためにその身を捧げていると豪語するだけあって、蓄えている知識量もそれなりに豊富なようだ。
「骸骨さん、この街のことちょー詳しいじゃん」
「ふん、当然です。それより、あなたはガイドなのでしょう? なにか有用な情報はお持ちではないんですか?」
イザベラに対抗心を燃やしているのか、イルは意地悪な煽り口調で言った。イザベラは一瞬ムッとしたようだったが、すぐさま神妙な面持ちに切り替えると、ソウジたちに顔を近づけて小声で言った。
「そういえば、この街にはスラムがあるから気をつけた方がいいよ。結構荒れてて何が起きるか分かんないんだよ。路地を一本入るだけでフンイキ全然違うからさ」
こちらの世界にもスラムがあるというのをソウジは想像だにしなかった。経済活動をする以上、そのような貧しい生まれの魔族も生まれてしまうのだろう。世知辛い事実だった。
「分かりました、気をつけます」
「もちろん、アタシがついてる間はそこに入ることは絶対にないから安心して」
いま我々が歩いている通りを見た限りではそういった気配はなさそうに見えるが、それはあくまで表の顔なのだろうか。魔族も人間と同じように知性と文化を持つ生き物である以上、社会での生存競争からは逃れられないということかもしれない。
イザベラの脅し文句を聞いて怖くなったのか、若干ぎこちなくなった足取りのイルを励ましながら歩くこと数分。目的の店に着いたのか、イザベラはふいに立ち止まった。