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49話「蜘蛛の糸」

 ユダを先頭にして、傭兵一行は曲がりくねった狭い廊下を進んでいく。いくつものドアを通り抜けて階段を上ると、通路の幅が少し広くなった。下の階から全員が上り終わるのを待ち、ユダは行進を再開した。


 このフロアは、下とは様子がずいぶん違うようだ。端的に言えば、暗くてじめじめした雰囲気だった。頭上のランプはとても広い間隔で申し訳程度に設置されており、そのうちいくつかは故障して点かなくなっている。薄暗い通路の両脇にはいくつもの鉄格子がはめられており、中には大勢の魔族たちが床に横たわっていた。


「うっ……」


 鼻をつく異臭が空間全体に漂っており、ソウジは思わず鼻頭をつまんだ。

 傭兵たちが通り過ぎていくことを物音で悟ると、そこに収容されている魔族たちの一部が鉄格子を掴んでガシャガシャと音を立てながら騒ぎ出した。血色が悪く髪がぼさぼさで頬がこけたその姿は、ホラー映画に出てくるゾンビにそっくりだとソウジは思った。


「お願いします、ここから出してください!」


「死にたくない! 助けて!」


 鉄格子を鳴らす魔族たちは、茹でられている最中のカエルのような必死の形相で、枯れきった喉からか細い声を張りあげている。彼らの腕には、傭兵たちのものと全く同じ手錠がかけられていた。

 戦場における血生臭さとはまた異なったベクトルの惨状に、傭兵たちの足は自ずから遅まっていた。


「彼らはどうして捕まってるんですか? 傭兵ではないようですけど」


「拉致されて強制労働させられている(マギ)たちです」


 牢屋の中に窓はなく、小さな便器だけが設置されており、労働者たちはわらが薄く敷かれただけの床の上に雑魚寝している。清掃が行き届いている様子はなく、不衛生な環境のせいで悪臭や羽虫が発生しているようだった。

 これではまるで家畜小屋だ。もっとも彼らはこの環境に慣れ切っているようで、特に気に留める様子もない。


「ひどすぎる……」


 まるで下水の泥を鍋に入れて煮詰めたかのような、この世のものとは思えない悪臭に、ソウジはこみ上げてくる嗚咽を必死にこらえた。


「早いところ通り抜けてしまいましょう」


 どうやらイルもこの空間を好ましく思っていないらしく、飛び回る羽虫を手で嫌そうに払っている。ソウジがイルと最初に出会った広間は数百年経過したとは思えないほどきれいに保たれていたし、魔王の側近としては最低限度の清潔さを求めたくなるのかもしれない。


 一方、ミャントム団の一員や他の傭兵たちは全く嫌な顔をしていなかった。日頃から泥臭い仕事をこなし、劣悪な環境に慣れているのかもしれない。その図太さを少しでも見習いたいとソウジは心から思った。


 そのとき、ソウジの足首を強制労働者の一魔(ひとり)が掴んだ。慌てて振りほどこうとするが、エネルギー不足とは思えない腕力で全く離れない。その壮年の労働者はかすれ声で叫んだ。


「助けてくれ! 娘に会いたいんだ! 何でもするから!」


 口から飛び出た両の牙が痛々しく根元から折れている嗅豚(クント)の男は、天国から垂れてきた蜘蛛の糸を掴んだかのように、ぎゅっと手を握っている。その落ちくぼんだ双眸に見入られ、ソウジの脳裏に中学生の頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。


 コンクリートの地面にうつぶせで倒れ、救いを求めるように見つめてくるボロボロの少年。背を向けて逃げ出す創治。告げられる悲報。校門の前に駆けつけるマスコミの集団。ニュース番組。棺に向かって泣き崩れる若い夫婦。手渡された一枚の手紙。


――お前には救えない。


 ソウジは頭の中にこだまするその悪意に満ちた声を必死に退けると、嗅豚(クント)の男の前にそっと屈みこんだ。その顔を見て、ソウジには思い当たる節があった。


「もしかして、フィーネさんのお父様ですか」


 見知らぬ相手の口から娘の名前が出たのだから、驚くのも無理はなかった。フィーネから聞いた風貌と似ていたので試しに尋ねてみたが、どうやら当たっていたようだ。


「――どうしてその名を」


「話すと長くなるんですが、ハブ・プロットルで娘さんと会ったんです」


 呆けた目つきになっていたフィーネの父親は、再び血相を変えた。


「娘は無事なんだな!?」


「大丈夫です。借金も全て帳消しになりました」


「そうか……よかった……」


 フィーネの父親は安堵のため息を漏らした。ソウジは彼の冷たい手を両手で包み込むと、安心させるため、いま自分にできる精一杯の笑顔を見せた。


「フィーネさんのためにも、あなたを絶対に助けます。だから安心して」


 ソウジは彼だけでなく不安な自分自身にも言い聞かせるように語りかけた。

 彼がその言葉を聞いて何を思ったのかは分からない。しかし今度は握りしめていたその手をそっと開き、ソウジの足を解放した。


 いままでとは打って変わって非常に弱々しい口調で、彼は尋ねる。


「あなたの名前を教えてください」


「ソウジです」


 ソウジははっきりと声に出して言った。フィーネの父親はその名を聞くなり、神託でも受けたかのような敬虔(けいけん)な面持ちで両手を合わせると、涙をぼろぼろと流しながらソウジを拝んだ。


「ありがとう、ソウジさん……ありがとう……」


 彼は泣きじゃくりながら、何度も頭を床に擦りつけた。まだ何もしていないソウジは、一体どういう気持ちで彼の言葉を受け止めたらいいのか分からなかったが、彼の期待を裏切る真似だけはしたくないと思った。


「ソウジ、何してるの? みんな行っちゃうよ」


 アンナに声をかけられて、ソウジはようやく我に返った。なかなか来ないので、様子を心配して引き返してきたようだ。


「すいません。いま行きます」


 後ろ髪を引かれながらも、すすり泣き続けるフィーネの父親を背にすると、ソウジは先行するユダたちのもとへと駆けていった。

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