38話「隠密行動」
アンナは内鍵を開けると、堂々とした立ち居振る舞いで部屋の外へと出た。こそこそしていると逆に怪しまれてしまう。何食わぬ顔で関係者として出歩くのが潜入捜査の鉄則だと、経験から知っていた。
廊下を歩いていると、少し大柄な駆馬のメイドが機嫌の悪そうな顔でこちらへ歩いてきた。挨拶してすれ違おうと思ったアンナだったが、そのメイドに呼び止められ、不審そうに顔をのぞかれてしまった。
「あなた、見ない顔ね。担当は?」
「え、ええっと、昨日配属されたばかりなもので……たしか、お掃除だったかなぁ」
アンナが新魔メイドのふりをしながら臆病そうにおどおどすると、駆馬メイドの表情が少し和らいだ。こういうときは媚びる一手に限る。
「あら、そうだったの。清掃担当ってことは――ペトラか。全く、新魔の指導に関してはあの子、ほんと無頓着なんだから……まぁいいわ。あなた、名前は?」
「イザベラと申します」
「イザベラさん。三階のトイレがまだ終わってないから、そこを掃除しなさい。ペトラには私から言っておくわ。ああ、あと四階は絶対に行っちゃダメよ。一歩でも入ったのが見つかると、ラッシマ様にひどい目に合わされるから気をつけなさい」
肩を軽く叩いて、駆馬メイドは去っていった。どうやら上手く誤魔化せたようだ。
それと同時に必要な情報が一つ手に入ったのは、僥倖としか言えなかった。これでまた一歩前進することができる。順調すぎて怖いくらいだった。
アンナは先輩の言いつけに従うメイドを装いながら、メインエントランスにある階段を使って三階まで上がっていった。そして三階の踊り場まで到着すると、ミエナイン壱号機を再び起動した。
ミエナインの機能は視覚に作用するだけで、立てた音に関しては丸聞こえなので、大きな音を出すとすぐにばれてしまうのが欠点の一つだ。足音や衣擦れのせいで気づかれないよう、付近に誰もいないことを確認してから、忍び足で螺旋階段を駆けあがっていく。
ほどなくして、アンナは四階へとたどり着いた。
下の階層を移動しているときは、魔たちが動き回る気配を遠巻きに感じたのだが、この階層だけはしんと静まり返っており、どことなく厳かな雰囲気さえ感じる。
駆馬メイドが言っていた通り、使用魔はこの階層への出入りが禁止されているらしく、大きな赤文字で『許可なく立ち入ることを禁ず』と書かれた看板が壁に貼ってあった。
アンナはいままでよりさらに周囲を警戒しつつ、抜き足差し足で進んでいく。見るからに高価そうなつぼや絵画などの美術品が一定の間隔で壁面や大理石の台に飾られており、アンナは手当たり次第に盗みたくなるのをなんとか我慢した。
そのとき後方のドアが開いて、部屋の中から誰かが一魔出てきた。しかも運が悪いことに、アンナがいま立っている方へ向かってくるらしい。アンナは息を殺しながら、廊下の壁に背をつけて動きを止めた。
黒い執事服を着て資料の束を持ったジューダスは、美しい姿勢を保ちながらアンナの近くまで歩いてきた。そして息をひそめて無事を祈るアンナの目の前で止まり、何も見えていないはずの壁の方へと顔を向け、悩ましげに首をかしげた。
アンナの鼓動は急激に高まり、いまにも心臓が飛び出しそうだった。
(ジューダス!? いや大丈夫、まだ見つかってはいないはず……!)
アンナは自分に対して必死に言い聞かせた。
もっとも、これ以上近づかれるとさすがに気配でばれてしまいそうだ。
万が一の場合は一気に駆け出して逃走しようと考えていたその瞬間、ジューダスは勢いよく蹴りを放った。そして、そのあまりの威力を見て血の気が引いたアンナの顔を、否、その隣の壁にできたかぎ爪状の凹みを、じっとにらみつける。
「最近暖かくなってきたからか、羽虫が多いですね。ああ、またこの屋敷を傷つけてしまった。ラッシマ様になんと報告すればいいものやら……」
ジューダスはバランスよく一本足で立ち続けながらぼやいた。そして、自分のかぎ爪についた小さな虫を手で取って、ぺろりと舐めとると、アンナが向かおうとしていた方面へと立ち去っていく。緊張の糸が解けたアンナは、その場にそっとへたりこんでしまった。
いや、ここで休んでいる場合ではない。秘書であるジューダスが立ち入りを許されているということは、このフロアはきっとラッシマにとって重要な鍵を握っているはずだ。
もし空振りしても、屋敷の内部構造が分かったから上等。さらに何らかの情報が手に入れば万々歳。
アンナは立ち上がり、ジューダスの後ろをつけることにした。あのすさまじい蹴りを今度は自らの身に受けないよう、少しだけ距離を開けながら。
そのままジューダスについていくと、大きな金属製の二枚扉が正面に見えてきた。
ジューダスは胸元のポケットからカードキーを取り出し、扉のわきにある認証用の挿入口へと差し込むと、上のタッチパネルで複雑なパスワードを入力した。ピピッという電子音とともに、その扉が横にスライドして開いていく。
中をのぞくと、どうやらラッシマの書斎のようだった。
アンナが驚愕したのは、外出しているときと異なり、ラッシマがトレードマークである銀色の完全防備パーカーを身につけていないことだった。
ベルベットの群青色のローブから出ているラッシマの頭には、頭頂部以外に全く毛が生えていなかった。その生え方を見て、まるでヒトの髪の毛のようだとアンナは思った。体毛が禿げているという噂は本当だったのだ。
もっとも、いまはそんなことに関心を寄せている場合ではない。アンナはまさかの展開に小躍りしたい気持ちを抑えながら、扉が閉まってしまう前に室内へと潜りこんだ。




