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30話「冷火妃のライフワーク」

◆◆◆


 水滴が垂れる音、液体が泡立つ音、何かガスが噴き出すような音、金属がこすれ合う音、獣のような低い唸り声。それらがハーモニーを奏でながら、暗い室内に響いている。それから、靴が金属の床をコツコツと鳴らした。

 ウェイダは横に積みあがった資料から一綴(ひとつづ)りの紙の束を取ると、細い指でめくった。


 テーブルの上には奇妙なオブジェがあった。それは黒い台形の台座に、円形に歪曲した金属のアーチが差し込まれているという具合のものであった。


 円の内部には純白の糸がぴんと張られ、幾重にも複雑に、しかしあくまで規則的に絡み合っている。円の中央には、いくつもの小さな魔晶石と繊細な彫刻で装飾を施された銀色の指輪が、絡まった糸に絶妙に支えられて宙に浮いている。

 それらの部品が組み合わさることにより、円の中にはまるで万華鏡の模様を思わせるような、美しい星型の幾何学模様を生み出している。


 台座の下には六芒星の魔術陣が青白い塗料で描かれている。星の各頂点には円が描かれ、それらの円の中心には様々な色をした手のひら大の魔晶石が一つずつ設置されている。


 資料を読み終えたウェイダが静かに手をかざすと、まずは魔術陣が、少し遅れて各魔晶石が、それぞれ呼応するように赤色に発光し、徐々に明るさを増していく。光は魔術陣から台座へ、台座から糸へと次々に伝っていき、ネックレスへと到達する。

 やがて、埋め込まれた魔晶石たちがまるで悲鳴を上げるように(まばゆ)い閃光を放った後、オブジェ全体が急激に光を失っていった。


 ウェイダは魔術陣の輝きが完全に収まるのを待ってから、近くに置いてあった箱型の計器を取り上げた。計器本体の上側面から飛び出ている黒い棒の先端部を指輪や魔術陣へ当て、画面に表示される数値を読み取っていく。

 一通り計測を終えると、ウェイダは満足したようにこくりとうなずいた。はさみで丁寧に糸を切って指輪をオブジェから取り外し、それを持って部屋の外へと向かう。


 扉を開けると、そこは先程までの室内とは打って変わって、マナランプの光で照らされた明るい空間だった。

 そこには、柔らかい材質が張ってあるベンチや悪魔的意匠の給水器、某魔気(にんき)サキュラが表紙グラビアを飾るゴシップ誌や、ホログラムを投影するテレビのような機械など、気晴らしになりそうなものは一通り置いてあった。


 ベンチには一魔(ひとり)の老唱角(デモン)が腰掛け、コップを片手に休憩している様子だった。

 老化により白くなったくせ毛は頭頂部と前頭部を除いて爆風のように広がり、髪と同じ色のあごひげが少しくねった束になって胸元近くまで伸びている。小さな丸眼鏡がわし鼻の上にちょこんと乗り、蓄積された知恵を湛えた両の瞳は、珍しい動物を見つけたときのような驚きを持ってウェイダを見つめていた。


「おお、久方ぶりじゃなウェイダ博士。進捗はいかがかな」


「無事、成功したようだ」


 ウェイダは手に持った指輪を、眉一つ動かさず、その老唱角に見せつけた。


「おお、喜ばしいことじゃな。そのような成果を望む変魔(へんじん)は、魔界全体を見渡してもウェイダ博士と"鱗無し”のお二方しかおらんからな」


 ウェイダは少し口を尖らせながら、老唱角を睨んだ。ポケットからテーブルに小さな布袋を出し、持っていた指輪を丁寧にしまいこむ。


「あんな自己陶酔の塊と一緒にするな。あやつのはただの自己満足だろう。我の研究は、高尚な知的好奇心によるものだ」


「ほっほっほ……」


 老唱角は肯定するでも否定するでもなく、ただウェイダを穏やかな目で見つめるだけだった。

 ウェイダは羽織っていた黒衣からホコリをはらって壁のフックにかけると、それと入れ替わりに手に取った革ジャケットに袖を通し、先程置いた布袋をテーブルから持ち上げた。


「どこかへお出かけかな?」


「『フィールドワーク』だ」


「昨今ようやっと情勢が落ち着いてきたところじゃからな。くれぐれもほどほどに頼むよ」


「ふん、分かっている。皆まで言うな」


 小言の多い老唱角にぞんざいに手を振ると、ウェイダは休憩室を後にした。

 廊下を通る研究者たちは、すれ違うたびみな畏敬の念を込めて礼をする。当代四天王であると同時に魔族の中でも異端な思想を持つウェイダにとって、その程度のことはもう慣れっこだった。

 魔族たちは、自分のことも世界のこともあまりに知らなさすぎる。その傲慢こそが先の戦争につながったのだ、とウェイダはひとりごちた。


「所長! 大変です所長!」


「なんだ?」


 呼びかけた声が、物思いにふけっていたウェイダの意識を現実世界へと引き戻した。

 この者は確か、大気や地中のマナ濃度の変動の計測や、そのデータに基づく気候変動の研究を担当している部署の研究者であったように思う。一呼吸を置いてから、その研究者は若干の早口で報告した。


「魔王城付近で、特異なパターンの大きなマナ反応がありました」


「分類コードは?」


「M-00――魔王です」


 久方ぶりに聞いた単語に、耳を疑った。測定用魔具の誤動作であるとは思うが、何事も先入観で決めつけることなく、万が一の可能性というものを常に疑うのが研究者として必要な姿勢である。


 それともう一つ、指輪の効果を試してみたいという思いもあった。

 先程成功したのは、大きな成果をもたらすものではなく、学問に劇的な変化を生じるものでもない、非常に地味な実験にすぎない。しかし今までにない視点からのアプローチであり、真っ先に自分自身で試してその成果を実感してみたかった。今回現れたのが本当に魔王であるとするならば、これ以上の機会はない。


「ちょうどいい。我が直々に確かめに行く」


 それを聞いた研究者は、驚愕に目を見開くと、ウェイダの行く先を遮るように立ちはだかった。


「お言葉ではありますが、危険なのでは? 相手はあの魔王かもしれません。現場の状況がまだ分かりませんし、まずは偵察を――」


 今度は、鋭い爪を持つウェイダの五指が、若唱角の紫の唇をガシリと掴んで遮った。親指の爪の先が顎の皮膚に食い込み、青い血がじわりと滲む。


「お前、仮初めの平和で我が鈍っていると言いたいか?」


 不自然なまでに口角を上げたウェイダが詰め寄ると、その研究者は冷や汗をかきながら慌てて小さく首を振った。


「うっ、ううっ、すぬゅぅなつむるうぁ(い、いえ、そのようなつもりは!)」


 ウェイダが手を放すと、研究者はよろけて一歩あとずさった。自分とウェイダの立場の違いを改めて理解したのか、流れる血を拭き取る様子もなく、ただじっとウェイダの指示を待っている。


「ふっ。いまのは冗談だ、安心しろ。引き続きマナ計測を行い、我のスマボに結果を随時報告するように」


「はっ!」


 研究者はウェイダに一礼してから、再び廊下を駆けていった。他の部署にも連絡しなければならないからだ。研究所全体にそわそわした雰囲気が漂い始めたのも、気のせいではないだろう。


「魔王、か」


 ウェイダは感慨深げに呟くと、布袋に入った指輪を右手で軽く(もてあそ)んだ。

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