26話「ニールの吐露」
◆◆◆
「ソウジ様、準備はよろしいですか?」
「ああ、いま行く」
装備を整え終えると、ソウジは部屋を後にした。
ホテルメリーの201号室。魔界生活における記念すべき初宿泊の場所だ。あんなことがあった後だから、絶対に忘れないだろうとソウジは思った。
部屋のドアを閉めると、ソウジはリュックサックを持って廊下で待っているイルに向き直った。あくまで骨なので表情は読み取れないが、状況が一段落したおかげで、心なしかほっとした様子に見える。
あの騒動の後、何度か商館からの使いが来て呼び出されたものの、簡単なインタビューをされただけで終わった。
商館の職員いわく、形式的な聞き取りにすぎないと言っていたから、ジューダスは本当に約束を守ってくれたのだろう。ドウェインとは打って変わって律儀な男だとソウジは思った。
一階に降りると、フィーネはすでにカウンター内に待機して、業務を開始していた。
ホテルの朝は早い。客が例え一魔でも泊まっていれば最高のおもてなしを提供しようという、フィーネの気概を感じた。
フィーネはソウジたちを見かけるとすぐに、カウンターから出て駆け寄ってきた。
「おはようございます! 調子はいかがですか?」
「よく眠れました。ありがとうございます」
ソウジがにこやかに手を挙げると、イルもそれに同調してうなずいた。
客室は狭いながらも、快適な宿泊ができるようにアメニティが充実しており、何不自由なく過ごすことができた。そのおかげで、ソウジたちが抱えていた疲労は二晩あまりで全快したのだった。
「もうこの街を出られるんですね」
「はい。まだまだ先は長いので」
「コロニアに向かうんでしたよね?大変だとは思いますが、頑張ってください。ささやかながら、これは私からの餞別です」
フィーネは小さな包みをカウンターの裏から取り出すと、ソウジに手渡した。口を開いて中を覗き込むと、パンとチーズのいい香りがふわりと漂い、ソウジの鼻先をすっと撫でた。
「ありがとうございます」
ソウジは包みを丁寧に閉め直すと、背中のリュックサックに入れた。これでしばらくの間、食糧には困らないだろう。
「もしゲルートで私の両親に会ったら、よろしくお伝えください」
「もちろんですよ。フィーネさんの無事を知らせてあげないとね」
たった一魔の愛娘が治安の悪いハブ・プロットルで働いているとなれば、ご両親の心労もいかほどか分かるというものだ。健康で無事に働いていると知れば、多少なりとも安心するだろう。
「じゃあ行きましょうか、イルさん」
「はい、ソウジ様」
「いってらっしゃいませ!」
玄関先で見送ってくれているフィーネに後ろ髪を引かれながら、ソウジたちはホテルを出発した。ホテルの外では、イザベラが手持ち無沙汰にしながら待っていた。街を出る最後まで付き合う、という約束を果たしに来たのだ。
「じゃあ行こっか」
「はい」
ソウジたちはすっかり見慣れたこの街の風景を楽しみながら、イザベラの後ろについていく。イルもこの二日間で歩き方に慣れたようで、他の通行者と無駄にぶつかることはなくなっていた。
彼らの目的地は病院だった。ニールが入院しているところだ。「そろそろ傷の手当ても落ち着いている頃合いだろうね」とイザベラは言った。
病院に到着して、受付の事務員にニールの名前を告げるなり、ソウジたちは顔パスで病室に通された。
廊下の奥から出てきた噛狼の看護師が案内してくれるらしい。
「あなたたちのことを何度も聞かされるものだから、覚えちゃったのよ」
移動中、看護師ははにかみながら教えてくれた。
「そうなんですか?」
「なんだか分からないけど、会って謝りたいってずっと言ってたわ。さあ、ここの部屋よ」
ソウジたちは礼を言うと、病室の扉を開けた。
そこは窓がついた個室になっており、ベッドには寝間着姿のニールが横になっていた。ソウジたちに気づくと、ニールは上体を起こして迎えた。
「来てくださって、ありがとうございます」
ニールはぼそりと言った。
「あなたのせいで我々は大変な目に遭ったんですよ!」
イルはものすごい剣幕でまくし立てた。ここに来る途中からすでに怒ってはいたのだが、直接ニールの顔を見たことでさらに怒りが増したらしい。ニールは何も言わず、気まずそうに顔を背ける。
このままでは話し合いにならないと思ったソウジは、二魔の間に慌てて割り込んだ。
「まあまあ、その話はいったん置いておいて。体調はどうですか」
「すこぶるいいですよ。すぐに手当てしなかったら危なかったと言われました」
苦笑しながらニールはシャツの裾をまくり上げた。上半身が包帯でぐるぐる巻きになっている。それほど深い傷だったのだろう。
「すぐ病院に運んでくれって交渉したアタシに感謝してほしいもんだね」
「それはもちろん、一生の恩だと思っています。絶対に忘れません」
どの口が言うのかとその場にいる誰もが思っていたそのとき、ニールは首を垂れた。
「申し訳ありませんでした。謝っても許されないことだと思っています。私がどれほどひどいことをしたかは、重々分かっているつもりです。ですが、言い訳にしか聞こえないでしょうけれど、理由を聞いてもらえませんか」
「聞くだけ聞きましょうか」
ソウジとしても、納得のいく説明が欲しいと思っていたところだった。ニールは深呼吸を一度してから、口を開いた。
「衛兵から、あなたたちはすでに捕まっていると聞かされたんです。そこで私が寝返って商館のために尽くせば、私以外は見逃してやると言われました」
「あの『ごめんなさい』というのは、騙されてしまったことについての謝罪だったんですね」
「そうです。ドウェインがちゃんと約束を守るような男ではないと分かっていたのに、従ってしまいました。過去に部下だった頃の上下関係やトラウマが、そうさせたのかもしれません。情けない話ですが、とにかく怖かったんです……」
そう言われると、ニールの行動には一理あるように思われた。
あの屈強な衛兵たちに囲まれたら、突破できるとは思えない。全滅するよりは、自らを犠牲にして他のメンバーの命だけでも助けようと考えたのだろう。あの状況ではソウジたちと相談するタイミングもなかったし、独断即決になるのもやむを得まい。
憤懣やるかたないという感じだったイルは、ちゃんとした理由を聞いて溜飲が少し下がったのか、組んでいた腕を降ろした。
イザベラはニールの背中を強めに叩いた。それは傷にだいぶ響いたようで、ニールはのけぞりながらあえいだ。
「終わりよければ全てよし! でしょ?」
「そ、そうですね……」
こういうときは、イザベラの前向きな姿勢に救われる。あの危機的状況から全員生還できたのだから、それだけでも上々(じょうじょう)とするべきだろう。
「とはいえ、結果として裏切ってしまったのは事実です。その贖罪として、一つ考えていることがあります」
「贖罪ってどういう意味?」
「罪を償うという意味ですよ、無知な小娘」
「はいはい、無知で悪うござんした」
イザベラはイルの靴をぐりぐりと踏みつけた。イルはどういう原理か分からないが、ふんと鼻孔を鳴らしながら足を引いた。
「退院したら、フィーネさんのホテルを手伝おうと思っています」
「おっ、いいじゃないですかそれ」
ソウジから褒められて、ニールは恥ずかしそうに頭に手をやった。
実際に宿泊したソウジも、フィーネだけでは手が足りないというのは気がついていた。
彼女は受付、ベッドメイキング、食事の調理などを全て一魔でこなし、夜になるといつもへとへとになっていた。宿泊客がたった三名の時点でそれだから、繁忙期になったら目が回るような作業量になるだろう。
ニールが役割を分担すれば、余裕綽々(しゃくしゃく)とは行かないまでも、少し楽にはなるはずだ。
「フィーネさんとは話したんですか?」
「いえ、まだ何も話していないんです。そもそも、この提案を受け入れてくれるかどうかも分かりません」
「大丈夫ですよ。聡い彼女ならきっと分かってくれるはずです」
ソウジは笑顔でニールの肩に手を置いた。ニールはソウジたちを見上げると、こくりとうなずいた。彼のこれからの魔生には明るい光が差し込む、そんな気がした。




