22話「急転直下」
万事休すと確信したソウジはふと空を仰いだ。見るのがこれで最後になるかもしれないからだ。自分が知っているのとは少し違う青空がそこには広がっていた。
商館の屋根には魔族が一魔立っており、にこにこしながらこちらに手を振っている。物好きなやつもいるものだとソウジは思った。酔狂な野次馬の類か、それとも特ダネを取材しにきた新聞記者か。
いや違う、どちらでもない。その魔族をソウジはすでに知っていた。
「そうか、その態度はあくまで降参しないということだな。お前ら、思い切りやっちまえ」
衛兵たちはサーベルを片手に、少しずつ包囲の円を狭めていく。平和な警備の仕事ばかりで血に飢えているのか、その目はどれもギラギラと輝いていた。
「ソウジ様!」
イルはマントが引きちぎれんばかりに身を乗り出しながら、ソウジに呼びかけている。フィーネは目の前でこれから起こる惨劇を直視することに耐えられないのか、両手で顔を覆いながら目をつぶっていた。
ソウジは降り立った救世主を信じて、一魔ほくそ笑んだ。
「ちょっと待った!」
イザベラはよく通る声で眼下の者たちに叫んだ。広場にいる全員が、困惑とともに頭上を振り仰いだ。
「あっ、あいつはあのときの跳猫!」
噛狼二魔組はイザベラの服装を見て、彼女が何者かを思い出したようだった。驚きのあまり、間抜け面で口を大きく開けている。
イザベラは左手を腰に当てつつ、右手に持っている黒表紙の手帳を印籠のように突きつけた。
「ドウェイン・ドーソン。これが何だか分かる?」
「お、お前、どこでそれを――!」
先ほどまでの威勢はどこへやら、ドウェインはぷるぷると震える手でイザベラを指差しながら、弱々しい口調で問いかけた。
「アンタの部屋の隠し棚だよ。中身は……金額がいっぱい書いてあるね。どうやら帳簿みたいだなぁ」
「や、やめろ! 悪いことは言わない! そいつをこっちに渡せ!」
「嫌だね。これはアタシのもんだ。それにアンタ、これを受け取ったら前言撤回して、また悪いこと考えるでしょ?」
「ぐっ……」
その指摘は図星だったようで、ドウェインは狼狽しながら黙りこくった。衛兵たちはどうしたらいいか分からず、ざわついている。
イザベラはいじめっ子のようなにやけ顔で、位置も立場も上から言い放った。
「この手帳を返してほしかったら、アタシの指示に従うこと。オーケー?」
「わ、分かった」
「まずは仲間を放せ。これ以上手を出したら容赦しないよ」
「おい、放してやれ」
ドウェインの指図で、噛狼二魔組はイルとフィーネを渋々解放した。二魔は逃げるようにしてソウジの下へ駆け寄る。イルはソウジの手を握った。
「ソウジ様! ご無事で何よりです!」
「大きな怪我がなくて本当に良かったです……!」
「二魔ともありがとう」
ソウジはさっきの戦闘でだいぶ参っていたが、心配をかけまいと、精一杯の空元気で微笑んでみせた。
「次は、そうだなぁ……フィーネとの契約を破棄して、これ以上取り立てないと約束しな」
「何を言ってる! そんな特例、許せるわけが――」
「て・ちょ・う♪」
「ええい! そんな借用書もういらねぇよ! 破るなり燃やすなり、好きにしろ!」
ドウェインはこの借用書にまつわる事件で嫌な思いしかしていないのだから、語気を自然と荒げるのもうなずけた。
「じゃ、遠慮なく」
ソウジはフィーネが持っている筒の中から借用書を取り出すと、原型をとどめなくなるまでビリビリに破り捨てた。
フィーネは感無量といいたげに顔をほころばせている。手段は違えども当初の目的を達成することができたわけで、協力者であるソウジにも少しだけ安堵の気持ちが湧いてきた。
ドウェインは頭をぼりぼりとかいたあと、再びイザベラを見上げる。
「これでいいだろう!」
「いーや、ダメだね」
「まだ何かあるのか!?」
ドウェインは疲弊しきった顔で目を見開いた。どこまで要求が増えるのか分からず、戦々恐々としているようだ。
「そこの木陰にニールが倒れてる。病院で手当てを」
「ちっ……連れていってやれ」
「はっ!」
ニールの近くにいた衛兵は木の幹を回り込むと、その背にニールを担いで出てきた。正門を周りの衛兵たちに少しだけ開けさせて、通りへと出ていった。
イザベラは右手の親指と人差し指で輪っかを作ると、にこりと笑った。
「オッケー。あとは無事に街の外まで逃がしてくれればいいよ」
「そうはさせませんよ」
いきなり頭上から声が聞こえ、イザベラははっと見上げた。新手の魔族が空中でホバリングしながら呼びかけたのだった。
その男は白い羽毛を持つワシの姿をしており、後ろ向きに撫で付けられた頭髪は銀色に輝いている。そのしゅっとした細身には、仕立ての良い黒色の執事服を纏っている。
普通の鳥と少し違うのは、翼の曲がる部分に手のようなかぎ爪がついていることだ。たしか飛鳥という種族だったはずだ。




