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20話「小悪党のブルース」

◆◆◆


 ニールは朦朧(もうろう)とする意識をなんとか保ちながら、木の根元にもたれかかっていた。


 石畳の上を這いずりながら広場の端の方まで逃げてきたが、見向きをする者は誰もいなかった。両陣営の死活をかけた重要なやり取りの最中だから、こちらに意識を割く余裕などないのだろう。


 たった一魔(ひとり)で死んでいく自分の姿を俯瞰したニールは、「裏切り者にとっては相応しい最期だな」と自嘲しながら弱々しく笑った。


「おい、犬っころ。なに一魔(ひとり)で笑ってんのさ」


 眼前に緑色のロングスカートが見える。首だけを動かして声の主を振り仰ぐと、そこには生意気そうな灰毛の跳猫(キット)が立っていた。ニールは思いがけないその来客にふっと笑った。


「死神が迎えに来たのかと思いましたよ」


「それなら良かったんだけどね。残念ながらハズレ」


 イザベラはくすりと笑うと、膝を曲げて屈みこみ、目線の高さをニールに合わせた。スカートの裾が、ふわりと広がりながら地面に落ちる。


「そら、見せてみな」


 ニールは苦悶の表情を浮かべながら、やおら上半身をひねった。イザベラは腰につけたサイドポーチから包帯と軟膏を取り出すと、ニールの背中の傷の手当てを始めた。


「なぜ私を助けるんです?」


「なぜって言われてもなぁ……強いて言えば、同情かな」


 軟膏をありったけ塗りたくったあと、包帯を体に強く巻き付けて患部を止血していく。ニールは時折(ときおり)、傷の痛みに顔をしかめながらうめいた。


「こんな小悪党の生き方、あなたには分からないでしょうね」


「分かるよ。アタシだって小悪党だからね」


 イザベラは片手でポーチをまさぐると、カードを一枚取り出してニールに見せつけた。ネコのようなデザインの黄色いアイコンが、灰色の背景に印刷されている。カードの右下には美麗なフォントでMと印字してある。


 ニールはそのカードを見るなり、口を開けて驚いた。


「あなた、ミャントム団だったんですか」


「そうだよ。実行部隊の下っ端だけどね」


 ミャントム団は義賊を標榜する窃盗団の一味だ。団のメンバーは常に仮面とボディスーツを身につけており、その素性は謎に包まれている。

 彼らはゲルート周辺の街へ出没して富豪たちに盗みを働く一方、ハブ・プロットルの街に住む貧民たちへ向けて定期的に硬貨をばらまくという活動をしている。


 ニールはそれを知っていたし、金をばらまく現場に遭遇したこともあったが、構成員の素顔を見たのはこれが初めてだった。


「関係者以外立ち入り禁止のエリアを探索できるだけでも、アタシたちミャントム団にとっては十分なリターンになるからね。よし、できた」


「痛っ……!」


 終わり際に肩を強く叩かれて、ニールは大きく身じろいだ。傷にかなり響いたらしい。それを見たイザベラは鼻で笑った。


「生き延びられるかどうかは、アンタの生命力と気力次第だよ」


「そうですね」


 ニールも、まるで他人事であるかのように笑った。イザベラの励ましがただの気休めなのは、出血の量と速度からして明らかだった。呼吸は荒く、目の焦点も覚束ない。このまま放っておけば最後にはどうなるかなんて、分かりきったことだった。


「アンタが気を失う前に、聞いておきたいことが一個あるんだけど」


 イザベラはポケットから小さな黒い箱を取り出した。サイズは手のひらから少しはみ出るくらいで、箱の側面には数字の刻まれたダイヤルが一個ついている。

 ニールは両手を伸ばしてその箱を受け取った。


「これは……!」


「開け方、知ってる?」


「ええ、もちろん。ドウェインの元腹心ですから」


 ニールは震える手でダイヤルをカチカチと回してから、イザベラに返した。


「蓋を持ち上げるのではなく、手前に引いてください」


 イザベラは蓋を右手でしっかりつかむと、言われた通りに手前にスライドさせた。すると滑らかな感触を伴って蓋は外れ、箱の中身が露わになった。

 おもむろに箱を覗き込んだイザベラは、驚愕に目を見張った。これはまさしくドウェインの虎の子だ。


「それをどう使うかは、あなたにお任せします」


 ニールは最後の一仕事を終えると、ぐったりとうなだれた。


 イザベラは箱の中身を手に取って眺めながら、思案顔で黙りこくった。

 このアイテムの使い方によって、現在の状況を一気にひっくり返すこともできるし、ラッシマ商会に脅しをかけることもできる。どちらに転ぶにせよ、ここにいる全員の命運がイザベラの双肩にかかっている。


 イザベラはニールを置き去りにして、ひっそりと走り去っていく。その瞳には確かな決意の光が灯っていた。

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