19話「窮鼠、蜥蜴(とかげ)を噛む」
そのときだった。
「うっ、なんだ!?」
突然目の前に投げ込まれた物体に驚いたドウェインは、顔を腕でかばいながら大きくのけぞった。爆発音とともに灰色の煙が巻き起こり、広場を一気に包み込む。
「館長!?」
「来るな、その場で待機してろ」
ドウェインは勇敢にも手探りで煙の発生源を突き当てると、広場の隅に向かって放り投げた。敷かれた石になにか固いものがぶつかり、何度か跳ねる音がした。
ほどなくして煙が晴れたとき、ドウェインは状況の変化にすぐ気がついた。
ドウェインが手中に収めていた黒い筒は、どさくさに紛れて奪い去られていた。
さらに、フィーネとニールが姿を消した。ドウェインの目と鼻の先で相対していたソウジもまた、忽然と消えていた。
「くだらん真似を……」
ドウェインは事態を正確に把握するため、広場全体を見渡した。外の通りに出る門扉は閉まっている。そちらにも衛兵は立っていたから、ソウジたちが近づけば当然気づいただろうし、門扉を開けて再び閉めるほどの時間的余裕はなかったはずだ。
続けて商館の方を見ると、入り口の両扉が右側だけ開いていた。その下の床には、切れた縄が乱雑に落ちている。おそらくフィーネの手首を縛り付けていた縄だ。
ドウェインはにやりと口角を上げた。どうやらあの小鼠たちは自ら袋小路に入り込んだらしい。
「お前ら全員、商館の中に行け。すぐに探し出して、つまみ出せ」
「「「はっ!」」」
広場に散らばっていた衛兵たちは、姿勢をぴしりと正して敬礼すると、商館の中へとなだれ込んでいく。
この子供じみたかくれんぼもそう長くは続かないだろう。どんなに上手く隠れても、いずれは引きずり出される。誰が見てもそう思う、一方的な状況だった。
商館脇の草むらから飛び出した魔族が、手をかざして呪文を唱えるまでは。
「凍れ!」
イルの右手から噴き出した冷気が、商館入口の扉にまとわりついた。氷の結晶が瞬く間に成長して覆いかぶさり、扉を物理的に封鎖する。
ドウェインはその光景に目を見開いた。
「なにぃっ!?」
「素直に引っかかってくれて助かったぜ」
落ちている縄を拾い上げながら、ソウジは不敵に笑った。
ソウジたちは商館の中に逃げ込んでなどいなかった。衛兵たちを建物内へ誘い込んで閉じ込めるためのフェイクに、ドウェインはまんまと騙されたのだった。
「ちっ、味方を潜ませていたのか」
「まぁな」
イルの介入がソウジにとって計算外の幸運であることなど知らないドウェインは、歯ぎしりしながらソウジたちをにらんだ。
ほぼ全ての戦力が商館の中に閉じ込められ、いま広場に残っているのはドウェインとその腹心の噛狼二魔組のみだ。
外部にいる衛兵を呼び込むには広場の正門を開ける必要があるが、それは同時にソウジたちの逃走経路を開くことをも意味する。ドウェイン陣営としては、それだけは避けたいところだった。
「オーケー、オーケー。お前たちが俺のやり方をことごとく否定したいのはよく分かった」
ドウェインはコーギーの衛兵が腰に下げているサーベルを勝手に抜き払うと、身構えるソウジたちに向かって放り投げた。地面にぶつかって金属音を立てながら、ソウジの足元へ転がっていく。
「拾え」
黙ったまま相手の出方を伺うソウジに、ドウェインは肩をすくめた。
「他意はねぇよ。リーダー同士、サシでやろうってことだ。白黒きっちりつけようじゃねぇか」
ドウェインは座っていた椅子を横に蹴り飛ばすと、自分のサーベルを抜いた。ソウジはドウェインからできる限り目を離さないようにしながら、言われた通りにサーベルを拾い上げた。
「受けるのですか!?」
「ここから無理やり逃げたって、どの道追われるんだ。それだったら、いまこの場ではっきりさせておいた方がいいと思います」
あれだけの数の衛兵を捌けと言われたら厳しいが、相手との一対一ならこちらにも分はあるとソウジは考えていた。全てをまるごと解決できるこのまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。
心配そうに見つめるイルとフィーネをなだめると、ソウジはドウェインに向き直った。
「条件は?」
「気絶するか、死ぬか、降参したら負けだ。俺が勝ったら、お前らの構成と計画を吐かせて全員牢獄にぶち込む。お前らが勝ったら、俺は裏工作を全て白状して、お前らのやったことは一切不問とする」
「分かった」
それからドウェインは噛狼二魔組に耳打ちをして、後ろに下がらせた。
「確認だが、仲間の助太刀や乱入は一切なしだ。やった時点で負けとする」
不意打ちや影打ちで虚を突いてくると予想していたソウジは、肩透かしを食らったような心持ちでうなずいた。イルとフィーネに壁際まで下がるよう告げると、イルは渋々といった様子でソウジから離れていく。
「あの……」
「うん?」
途中で振り返ったフィーネは言うか言うまいか逡巡していたが、やがて右の拳をぐっと握ると、ソウジに突きつけた。内気でおとなしいフィーネにしては珍しい行動だった。
「私、ソウジさんのこと、信じてますから」
「ありがとう」
ソウジもフィーネに拳を突き返す。距離は開いているが、心は互いに通じ合っている、そんな気分だった。
ソウジは二魔が十分に離れたのを確認すると、ドウェインに向かってサーベルを構えた。正中線上に両手で真っ直ぐ持ち、剣の切っ先をドウェインの顎先に据える。
「二言はないな?」
「ああ。ラッシマ商会の名と、プロットル商館館長の肩書きにかけて誓おう」
ドウェインはそう言いながらサーベルを構える。それはフェンシングの構えにも似て、右手を前に突き出すフォームだった。
その予想以上のリーチの長さに、ソウジは戦う前から気圧された。実力のほどはまだ分からないが、気持ちでは決して負けまいと、大きな雄叫びを上げて自らを鼓舞する。
かくして、ソウジとドウェインの一騎打ちが始まった。