18話「窮地」
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フィーネは後ろ手に縛られた状態で、広場の石畳の上に座らされていた。肌が触れている部分から石の冷たさが伝わり、それが徐々に全身へと広がっていく。フィーネは身震いした。
ドウェインはその後ろで、用意された木製の椅子に座って鼻歌を歌っている。その隣には、ニールが唇をぎゅっと結んで立っていた。
衛兵たちはドウェインの周りに整列して陣取り、メインイベントが始まるのをいまかいまかと待ち構えている。
「本当に来ますかね?」
「来なければ、この女を徹底的に搾り上げるだけさ。なぁ、ニール?」
「はい、館長」
協力者に裏切られた哀れな女を見下しながら、ドウェインは鼻で笑う。ニールは首肯しながら、よそよそしい目つきでフィーネを見つめた。そこにはもう、昨日まで笑い合っていた頃の優しい温かさは残されていないように見えた。
不思議なことに、フィーネは自らの悲運について達観できていた。
骨の髄までしゃぶりつくすと噂されるラッシマ商会のことだから、借金を返済しきれなければ、遅かれ早かれひどい目に遭わされていたに違いない。ソウジのことを信じてこの身を賭けたのだから、その結末がどうなろうとも甘んじて受け入れよう。
フィーネがそんなことを考えていた最中、塀の外で商館を取り囲んでいる群衆がざわついた。ドウェインはにやりと笑いながら顔を上げた。
ほどなくして、広場の入口から一魔の唱角が入ってきた。
「勇敢なる旅魔殿のお目見えだ。盛大な拍手をして迎えてやろう」
ドウェインが両手を挙げると、衛兵たちは一斉に拍手をした。ソウジはそれを見ても表情一つ変えず、ドウェインをにらみ返す。
「言われた通りに来たぞ」
「こそこそ逃げ回るかと思ったが、それくらいの度胸はあるようだな」
「お前の陰湿なやり方とは違う」
「あっはっは! 自分がやったことを棚に上げて俺の批判か! いいご身分だな!」
ドウェインはふと立ち上がると、ソウジの方へと静かに歩み寄ってきた。ニタニタするのを止めて真顔になると、黄色い鱗をまとった右手をソウジの肩に置き、耳元で囁く。
「生きて帰れると思うなよ?」
背後で門扉が閉じられ、留め具が軋む音がした。もはや退路はない。それを受け入れるだけの覚悟はすでにできていた。
「あんたに一つだけ頼みがある。フィーネは俺に言われた通りに動いただけだ。解放してやってくれ」
「それは聞けねぇ話だな。全部あいつから聞いたよ。お前ら、俺のこと色々と知ってんだろ?そいつを誰かに喋られたら困るじゃねぇか」
わざとらしく困ったような顔をしながら、ドウェインはくつくつと笑う。
ソウジはその時点で全てを悟った。ソウジが怒りと失望を込めてにらみつけると、ニールは目を逸らしながらうつむいた。
手に入れたフィーネの身柄と借用書を手土産にして、彼は裏切ったのだ。
「どうしてですか、ニールさん! 不正をその手で正したいって言ってたじゃないですか! あなたの正義はどこに行ったんですか!?」
「それは……」
ドウェインはげらげらと笑いながら、ニールの肩を強く叩いた。よほど愉快なのか、両手で腹を抱えている。
「正義なんてけったいなもんで、おまんまが食えるわけねぇよなぁ?」
「……」
ドウェインは寡黙なニールと肩を組みながら、ソウジの下へと戻ってきた。そしておもむろにニールの背後に立つと、その両肩に手を置き、ソウジの方へと体を向けさせる。
「よーく見ろ。そして覚えておけ。お前が踏みにじったゴミ屑の情けない顔をな」
ニールはしばらく辛そうにソウジを見つめていたが、やがて悲しそうに笑った。
「みなさん、ごめんなさい……」
「あなたのこと、信じていたのに……最低です……」
フィーネの悲嘆も、いまの彼にはもう届かない。
ソウジは歯を食いしばりながら、ニールをにらんだ。いますぐにでも、その真っ白な毛に包まれた顔をぶん殴りたかった。しかし、彼を殴ったところで意味はない。彼自身も、その運命をドウェインに狂わされた弱者でしかないのだから。
本当に憎むべきなのは、その真後ろに立っている黒幕だ。
ソウジが心の底から憤りを覚えたそのとき、突如ニールは前に向かって倒れ込んだ。
「は……?」
何が起こったのか分からず、ソウジは呆然とした。
ニールは荒い息をしながら、足元に倒れている。
ドウェインは返り血に染まった顔をにやけさせながら、血だまりになりつつある地面の上でもがくニールを見下した。その右手には片刃のサーベルを握っている。
「本当にバカだな、お前。自分も同じゴミ屑だってこと、まだ自覚してねぇのか」
「約束と……違……」
うめくニールの脇腹を、ドウェインは豪快に蹴り上げた。すぐ近くに座らされているフィーネは、その凄惨さに思わず顔を背けた。
「あんなの嘘に決まってんだろ、バァーカ!裏切り者はまた裏切るって、相場が決まってんだよ!機密情報を部外者におめおめと漏らすような奴、重用するわけがねぇだろうが!」
ドウェインから執拗に蹴りつけられ、ニールは頭部をかばいながらうずくまった。白い体毛にドウェインの靴裏の泥が付着して、どんどん薄汚れていく。
「おい、やめろ」
ソウジはどすの効いた低い声で言った。ドウェインは左足をニールの体の上に置いたまま、怪訝そうにソウジを見つめ返した。
「おかしなやつだな。お前の代わりにボコボコにしてやってんだぞ?どうしてかばうんだ?」
「友達だからだ」
「ソウジさん……」
ニールは両の瞳から涙をポロポロ流しながら、力を振り絞ってソウジを見上げた。
「友達ぃ? 寝返ったやつがまだ友達だって? はぁ~? 甘ちゃんが聞いて呆れるなぁ」
「仕向けたのはお前だろ!」
ソウジが叫ぶと、ドウェインは片眉を吊り上げた。
「あまり生意気なことを言ってると、この豚ちゃんの首が飛んじまうぞ?」
ドウェインは黒色の細長い筒をこれ見よがしに掲げながら、フィーネの首にサーベルを突きつけた。フィーネは恐怖におののき、目を細めながらひゅっと息を飲んだ。
この筒の中には、フィーネの借用書が二枚とも入っている。ドウェインの悪事を裏付ける重要な証拠だ。これがなければ、ソウジたちは正義の告発者からただの反逆者に成り下がってしまう。そのことを理解した上で、ドウェインは脅しているのだろう。
こうなってしまっては、もはや成す術はなかった。イザベラとイルが無事に逃げ出すことを祈りつつ、ソウジは観念して手を挙げようとした。