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17話「逃避行」

◆◆◆


 借用書を奪取した後、ソウジたちは二手に分かれて行動する手筈になっていた。万が一、街を出るよりも前に事態が発覚してしまった場合に、捕まるリスクを分散するためだ。


 プロットルの地理に詳しいイザベラと、衛兵たちの前に何度もその姿を晒してしまったソウジとイルがチームを組み、街の東側から脱出を図る。

 一方、ソウジたちと協力関係にあることがまだ知られておらず、比較的自由に行動しやすいニールは、二枚の借用書を抱えたフィーネをサポートしつつ、街の西側から逃げ出す。


 逃亡に成功したら、隣町ゲルートにあるラッシマ商会の本館に駆け込み、ドウェインの悪事を全て暴露する。

 ラッシマは金の管理に関しては(あきない)(マギ)の中でも特段にうるさい男だそうだ。この事実が明るみに出れば、必ずや厳格な処罰が下されるだろう。そのときフィーネの借金についての処理がどうなるかは分からないが、少なくとも悪いようにはされないはずだ。


 いずれにせよ、ドウェインが真っ黒であることが判明している以上、そいつよりも上の立場の者に直訴するしかない。

 ソウジが提案したのは、そのような計画だった。


「いたか?」


「いや、こっちにはいなかった」


「どこに逃げやがった」


 衛兵たちは曲がりくねった裏路地を駆け抜けていく。足音が遠くなったところで、ソウジとイザベラは隠れているゴミ箱の蓋をそろそろと開けた。


「行ったみたい」


 ソウジたちはやり過ごせたことに安堵しながら、箱の外へと素早く躍り出た。

 残念なことに、衛兵たちの間にはすでに、商館から物が盗まれたという情報が伝わっているようだった。ソウジがかけておいた保険は見事に功を奏してしまったということになる。


 イザベラが建物の陰から路地の外を恐る恐る覗き込むと、町の外へ伸びるメインストリートの中央に、大勢の衛兵たちがたむろしていた。椅子と長机を置き、出入りする中で怪しい者を呼び止めている。

 どうやら即席の検問所を建てたらしい。ドウェインにとっての本丸である商館が襲われた以上、何者であっても外には出さないという気迫を感じた。


「あちゃあ……」


 狭い路地裏の角を曲がり、派手に落書きされた石壁にもたれるソウジとイルの下に戻りながら、イザベラは舌打ちした。


「どうでしたか?」


「全然ダメ。あの様子じゃ、他の出口も同じかもね」


「そうですか……」


 ソウジは落胆しながら、スイスイと角を曲がるイザベラについていく。予定していたルートが軒並み使えなくなった以上、残ったのは最後の選択肢だ。


 路地を奥へと走りながら、イザベラは悪戯っぽく笑った。


「鼻をつまむ準備はいい?」


「私には元々鼻がありませんからね。いつでもオーケーですよ」


 自慢なんだか自虐なんだかよく分からない冗談を言いながら、イルは胸を張った。

 その特殊な出生法のせいか、死骨(コプン)という種族はにおいを感知できないそうだ。鼻をつくような悪臭に一切悩まされないのはうらやましいが、その代わりに美味しそうな食べ物の匂いやかぐわしい花の香りを嗅いだときの感動も分からないのはちょっと可哀想だと思った。


「ちぇっ、つまんないの。骸骨さんって結構神経質だから、入るの嫌がるかと思ったのに」


「残念でしたね。ヘドロのそばを通らされた程度でごねるほど、偏屈じゃありませんよ」


「へぇ、見直した。一ミリくらい」


「それは『見直した』ではなく、『見立てがずれていた』の間違いでは?」


 こんな差し迫った状況下でさえ皮肉の応酬を繰り広げながらも、イザベラは注意深く地面を見回して、入口となるマンホールを探している。


 残された選択肢というのは、詰まる話が下水道のことだった。名実ともに下策ではあるが、この際贅沢なんて言っていられない。

 下水というのは、たまった雨や生活用水を外部の川へと排出するために作られている。つまり下水道をずっと伝っていけば、近くの川辺へたどり着くことができるという寸法だった。


 一つだけ問題があるのは、衛兵側もその逃走経路を想定しているかもしれないということだ。出口に先回りされてしまったが最後、袋の鼠となっておしまいだ。


「ニールさんたちも下水道を通るんでしょうか」


「アタシは地下水路の構造を熟知してるからそれができるけど、白い犬っころはそれができないだろうから、よく知ってるスラムの方を通るんじゃない?フィーネたちが向かったのは西側だから、距離的にも近いだろうし」


 スラム街はハブ・プロットルの北西の方向に向かって広がっている。そのため、ほぼ真逆の方角から出ようとしているソウジたちにはそちらを通ることができないのだ。


 スラムには、借金のカタに財産を差し押さえられた者が大勢住み着いているらしい。そんな経緯から、ラッシマ商会とスラムの住民は非常に仲が悪く、衛兵たちの手があまり及ばないそうだ。

 そしてニールは長年スラムに潜伏していたから、並の町民以上に土地勘がある。作戦を立てたとき「道の選び方さえ間違えなければ、問題なく逃げられるだろう」とニールは言った。いまはそれを信じて、彼ら自身の状況判断に任せるしかなかった。


「あった!」


 イザベラは急に立ち止まると、嬉しそうにその場で小さく飛び跳ねた。それを見たイルも慌てて止まろうとしたが、勢い余ってイザベラの背中に激突した。頭部が転げ落ちそうになり、両手でなんとかそれを押さえこむ。


「老骨にはもっと配慮しなさい!」


「いやー、ごめんごめん」


 イザベラは笑いながら舌を出した。反省している様子には到底見えず、イルは憤慨した。平時ならいまごろ肩をどついていたところだろう。


「さあ小娘、早く開けなさい」


「言われなくても!」


 イザベラはたまたまそばに立てかけてあった長い木の棒を手につかむと、足元にある格子状の蓋に引っかけた。その棒を真横へ倒すにつれて蓋が開いていき、やがて降りるための梯子がついた垂直の穴がぽっかりと口を開いた。


「降りた後はもう、地上の詳しい様子は分からなくなる。それを覚悟した上で入ってね」


 ワンピースのポケットから指向性のある小さなライトを取り出して穴の深さを確認しているイザベラに、ソウジとイルは首肯した。ここから先は時間との勝負だ。傭兵たちに気づかれる前に、地下を通り抜けなければならない。


 そのとき、イザベラはポケットから群青色のスマボを取り出した。表面に彫り込まれている、美麗に入り組んだデザインの溝を水色に淡く光らせながら、ぷるぷると振動している。


「もしもし。うん、いまは大丈夫。それより何かあった――えっ?」


 相手が誰なのか定かではなかったが、通話越しにショックなことを聞いたらしく、イザベラは目を見開いた。元々くりくりとして大きい瞳が、さらに大きく見える。


「――わかった、伝えておく。アタシのことは心配しないで、上手くやるから。うん。それじゃ」


 イザベラは通話を切ると、深刻そうな表情でソウジたちを見つめた。


「ニールとフィーネが、ドウェインに捕まったって」


「えっ」


 イザベラが発した言葉の意味が理解できず、ソウジとイルは唖然とした。


「現地にたまたまエリーがいて、連行されていくところを見たってさ。ドウェインは、今日中に主犯格が名乗り出て来なければ、全ての罪をフィーネに負わせるって言ってるみたい」


 ついに最悪の事態になってしまった。ソウジは血の気が引いていくのを感じながら、斜め後ろに立っているイルの様子を伺った。イルは何も言わず、下水道へ続く穴をただただ見つめている。


「悪いけど、アタシはこのまま逃げさせてもらうよ。命だけは惜しいからね」


 その合理的判断を、ソウジたちが責めることはできなかった。

 彼女はあくまで善意で協力してくれていただけだ。非難するどころか、むしろここまでよく手伝ってくれたと感謝すべきだろう。衛兵たちに捕まるリスクを負ってまで、イザベラがこれ以上この件に首を突っ込む理由はどこにもなかった。


「ソウジ様。私もここは逃げるべきだと思います。我々の正当性を主張するにしても、あまりに分が悪すぎます」


 イルはソウジに向き直ると、静かな口調で諭した。それもまた、実に筋の通った意見だった。明らかな窮地に立たされているいま、体勢をいったん立て直すために逃亡するというのは的確な判断だろう。


 たしかに、理屈の上ではそうかもしれない。しかしソウジにとっては、はいそうですかとすんなり納得できるものではなかった。


「でも、このままじゃフィーネたちが!」


 イルはソウジの顔を覗き込むと、両目の青い炎を揺らめかせながら滔々(とうとう)と語りかけた。


「これは罠です、ソウジ様。ここで助けに戻ったら、私たちがやりましたと自白するようなものです。みすみす自分から捕まりに行くことなどありません」


「アタシもそう思う。釣り餌を大っぴらに見せびらかして、アタシたちを誘ってるんだよ」


 珍しく意見が一致した二魔(ふたり)にうまく反論できず、ソウジは黙りこくった。


 先ほどイルがやっていたように、地面に開いている下水道へ続く穴を見つめながら、ソウジは思いふけった。

 あちらには、盗みの動かぬ証拠である本物の借用書がある。フィーネは恐らく、今回の事件の実行犯として厳しい処罰を受けるだろう。ニールはラッシマ商会に命を狙われていると言っていたから、適当な理由をつけて殺されてしまうに違いない。


 ソウジの脳裏に再び、中学生の頃の記憶が蘇る。親友を救えなかったと知ったときは、とても辛かった。しかし、それよりもっと辛かったのはその後の生活だ。自分に救いを求める泣き顔が、何度も思い浮かんでは消える。永遠にこの責め苦に苛まれるくらいなら、いっそ死にたいとさえ願った。


 あんな思いをするのは、二度とごめんだ。

 方向転換したソウジは、自分たちが通って来た道の方へと体を向けた。


「俺、やっぱり戻ります。二魔(ふたり)は予定通りゲルートまで行ってください。後から追いつきます」


「ソウジ様!」


「最初にけしかけたのは俺なのに、知らんぷりして逃げるわけにはいかないでしょ」


 振り返ったソウジは、イルに向かって悲しそうに微笑んだ。魔王の責務を果たすよう求められたが応えられなかったことに対する暗黙の謝罪なのか、それとも死地に(おもむ)くことに対する悲壮な覚悟の表れなのか、それはソウジ自身にも分からなかった。


 勝手なことを言うな、といまにも怒り出しそうなイルを手で制止して、今度はイザベラに向き直る。


「じゃあ、イザベラさん。イルさんのことよろしく」


「しっかりついておくから、安心して」


 つまり、自分はこれからもう面倒を見られないかもしれないということだ。

 イザベラはソウジの意図するところを察知したようで、イルの二の腕に手を当てながら、骨だけのその体を支えるように寄り添った。


 それを見て満足そうにうなずくと、ソウジはしっかりとした足取りで駆け出した。


「ソウジ様!」


 イルは手足を振り回して暴れながら、必死に追いすがろうとする。イザベラはすかさず羽交い締めをして、そんなイルを食い止めた。非力な死骨(コプン)が若い跳猫(キット)に勝てるわけがなかった。


 敬愛する主の姿が路地の曲がり角に消えて見えなくなっても、イルはしばらくイザベラを振り払おうとしていたが、そのうち力なくうなだれて諦めた。


「骸骨さん……」


 イザベラに身振りで誘われたイルは、黙って梯子に足をかけた。骨だけの顔に表情は全く見えないが、その背中にはやるせない哀愁と悲嘆をほんのりまとっていた。

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