14話「いつもの悪夢」
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創治は、何かに追われるように真っ暗闇を歩いている。
周りの暗黒空間には大きな目玉が数え切れないほどたくさん浮いていて、監視するかのように創治をじっと見つめている。足元はぬかるんだ泥沼になっていて、膝くらいの高さまで体が浸かっているせいで、思うように足が動かない。
それでも創治はもがくように手で空をかき、前に進もうとしていた。
「助けて――」
全身傷だらけの少年が泥沼の中から徐々に浮き上がり、創治の片足にすがりついてきた。
その瞬間、その少年がとても恐ろしい、逃れたくてたまらないという気持ちが、創治の胸中を支配した。
創治はもう片方の自由な足で彼を蹴って振り払おうとするが、なかなか上手くいかない。仕方なく、しがみつく彼を引きずったまま、かすかに見える前方の光に向かってずるずると前進していく。
「助けて、創治――」
少年は突如、超常的な力で這い上がってきた。創治の太ももから腰へ、腰から背中へと登り、やがて全体重をかけておぶさる。ひんやりとしたその両腕が首にまとわりつき、創治の背筋は凍った。
「――どうして助けてくれないの?」
少年が首を傾け、創治の顔を覗き込んでくる。視線が強制的にそちらへと移り、創治は恐怖で息を吸えなくなる。少年の底の見えない真っ黒な双眸から暗褐色の血がこぼれ、まるで涙のようにドロドロと流れ落ちる。
そのまま少年の首は横に曲がっていき、やがて可動域を超えてぽきりと折れた。その途端、少年の体は力を失って落下し、水面にぶつかってぐしゃりと潰れた。そこを中心として、辺り一面に血の海が広がっていく。
浮いて漂う少年の頭部が、創治の左脚にぶつかって上を向いた。その表情は耐えがたい苦痛に歪んでいる。
俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。
――俺のせいで、晴翔は死んだ。
「はっ!はっ、はっ……」
ソウジは自分の胸を押さえながら跳び起きた。余韻でまだ心臓がバクバクしている。
何度見ても慣れることのないあの悪夢は、異世界に来てもなおソウジを捉えて離さないらしい。
晴翔は小学生時代からの親友だった。同じ小学校にいたときからとても仲が良く、休みの日には一緒に遊びに行くような仲だった。
晴翔と同じ市内の中学校に進学したものの、人間関係が入れ替わると彼とは少し縁が遠くなった。すれ違うときに挨拶はするものの、以前ほど頻繁には会わなくなっていた。
心なしか元気がないように見えてはいたが、環境が変わって疲れているだけだろうと軽く考えていた。いまになって思えば、彼は持ち前の気丈さでずっと我慢していたのだろう。
創治が最後に校舎裏でたまたま晴翔と顔を合わせたとき、彼は上級生からいじめられていた。容赦なくボコボコにされる晴翔を見てすっかり腰が引けた創治は、見て見ぬふりをして、助けを呼ぶこともなく、その場から逃げ出してしまった。
そしてその翌日、中学一年の終業式の朝、晴翔は学校の屋上から飛び降りて自殺した。両親と親友にそれぞれ宛てた、二通の手紙だけを遺して。
ソウジは五年近くが経ったいまでもその事件を思い出し、定期的に悪夢を見るのだった。
しかし、ソウジはそれに対して何も思うことはなかった。彼を見捨てたことは事実なのだからこれくらい当然の報いだと、自らの罪を受け入れているからだ。
もっともソウジが勝手にそう思ったところで、彼が許してくれるわけでも、帰ってくるわけでもない。弱い自分を正当化するための、単なる自己満足に過ぎなかった。
深呼吸をして息を整えつつ、ソウジはおもむろにベッドから起き上がる。部屋の明かりをつけると、気持ちを落ち着けるため、洗面台で水を汲んでぐいっと飲み干した。
ふと目の前の鏡を見ると、天井から照射されたランプの光が、若干こけた頬にくっきりとした陰影を照らし出していた。
「せめてこっちは、夢であってほしかったなぁ……」
髪の毛は濃い青で、肌の色はそれより少し薄い青。瞳の色も青で、白目の部分は色を反転したように黒い。頭の上部には一対の大きな角が、背中には漆黒の翼が生えており、臀部からは、翼と同じく暗黒色の、先端が三角形に尖った長い尻尾が伸びている。
それは魔族の一種、唱角であることの紛れもない証明だった。
再び目が覚めたときには現実世界でいつも通り平凡な朝を迎えているかもしれない、という一抹の期待は、脆くも崩れ去った。
ソウジは、本当に異世界の住民になってしまったのだという現実をようやく実感できたような気がした。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。晴翔を見捨てた創治に対して、神が下した天罰だとでもいうのだろうか。
そういえば、妹は今ごろどうしているだろうか。急に兄がぶっ倒れたものだから、お嬢さまの化けの皮が剥がれて、慌てふためいているかもしれない。小さい頃から苦労をかけっぱなしで本当に申し訳ない、とソウジは思った。
そうやって色々と思い詰めていると、一刻も早く元の世界に戻りたいという焦りともどかしさが襲いかかってきた。不安な気持ちをなんとか振り払おうとしたソウジは、窓際まで行って外を眺めてみた。
現代の都会と比べて空気が澄んでいるのか、そこには満天の星空が広がっていた。中天には、一際大きな丸い惑星が煌々と輝いている。月のようだが、その色は月に比べるとちょっとだけ青くて眩しい。
明日は重要な一日になる。こんなことで消耗している場合ではない。いまはフィーネとこのホテルのことだけを考えていればいい。
上手くいきますように。柄にもなく星空に願いを込めながら、そう自分自身に言い聞かせた。