106話「ソウジVSビリー その2」
「いいねぇ、その表情!」
戦闘狂の剛熊は狂喜しながら再び拳を構えると、ソウジに殴りかかった。
「死を前にしてこそ、生きているという実感が湧いてくるものだ!」
「すでに死んでるやつにだけは言われたくないな!」
ここが踏ん張りどころだ。ソウジは痛みに悲鳴をあげる体を無理やりに動かして、ときには避け、ときには叩き落として、丁寧に拳を捌いていく。
「達者なのは口だけか、あんちゃん!」
挑発を挑発で返しながら、ビリーはどんどんハンドスピードを上げていく。ジリ貧のソウジにはもう、強気に言い返す余裕など残されていなかった。
そうして、暴風雨のような連撃を避け続けること十数秒。
ついに、待ち望んでいた救いの手が差し伸べられた。
「ソウジ! こっちへ!」
背後から声が聞こえて、ソウジは横目でちらりと見た。回廊側の鉄扉を開いたアンナとウルが、ソウジに手を振っている。何か作戦を思いついたらしい。
ソウジはバックステップして距離を取ると、剣を構えたままじりじりと後ずさっていく。ビリーは怪訝そうに首をかしげた。
「なんだ、逃げるのか?」
「戦略的撤退と言ってほしいね」
ソウジは別にタイマン勝負がしたいわけではない。この屈強な剛熊の生還者を戦闘不能にさえできれば、それでよいのだ。
ビリーは残念そうに首を振りながら、肩をすくめた。
「やれやれ。少しは骨がありそうだと思ったのに、がっかりだな……でも安心しろ、手加減はしない。全員まとめて吹っ飛ばしてやる!」
そう叫んだビリーは両腕を広げて腰を低く落とすと、先ほどと同様に肩から突っ込んできた。重機関車のようなその迫力に、ソウジの額を冷や汗が伝う。追いつかれた時点で一巻の終わりだ。
「そのまま走り抜けてくださぁい!」
「了解!」
ソウジは言われた通り、扉の向こうにある直線通路を駆けていく。ソウジが通ったすぐ後、ビリーは扉をくぐり抜けようとして、思い切り前につんのめった。いつの間にか足元に張られていたロープに引っかかったのだ。
「うおおっ!?」
ビリーは豪快に転がりながら、通路の中央に寄せ集められて盛り上がった絨毯の山に突っ込んだ。
「いまです!」
「はいよ!」
アンナは持っていたロープの端から手を放すと、黄色い液体の入ったガラス瓶をビリーに向かって投げつけた。ひっくり返って中身がこぼれ、ビリーの背中に降りかかると、通路内に鼻をつく刺激臭が立ち込めた。
アンナは最後の仕上げに、予め手に持っていたマッチを擦って火をつけると、足元に落とした。
「熊肉ステーキ、ウェルダン一丁入りま~す♪」
床の上に引かれた透明な液体を導火線のように炎が伝っていき、やがて絨毯の山へと到達する。液体にまみれたビリーの全身は瞬く間に燃え上がった。
「おお、おおお……!」
痛みを感じない生還者とはいえ、さすがにまずいと思ったようで、ビリーは両手で懸命に体をはたいて火を消そうとしているが、なかなか上手く行かない。そのうち、焼け焦げた肉の香ばしい臭いが漂ってきた。
どんなに硬質な皮膚を持っていても、生き物である以上は火に弱い。
「お前たち、よく思いついたな!」
「通路にあるものをかき集めたら、こうなりました!」
「ぶっつけ本番だけど、成功してよかったよ!」
ハイタッチして喜びを分かち合うソウジたちに、怨嗟のうめき声が呼びかける。
「まだだ……まだ終わっていないぞぉ……」
全身の肉を真っ黒に焦げつかせたビリーは、ぷすぷすと煙を立てながらも、なお立ち上がった。
手を伸ばしながらこちらに歩いてこようとするが、足を前に上手く踏み出すことができないようだ。ふらりとよろけると、その場に尻餅をついた。
「あきらめろ。その体じゃ、戦うのはもう無理だ」
「嘘だ……やせ細った魔の寄せ集めに、鍛え抜いた俺の筋肉が負けるなんてありえない……」
ビリーは焼けただれて肉が落ち、ところどころ骨が見えている拳を握りしめながら、悔しそうに言った。それを見たソウジは、すかさず首を振る。
「いーや、それは違うね」
ソウジはドヤ顔をしながら、最初で最後の格言を言い放つ。
「一魔分の筋肉より、三魔分の筋肉を合わせた方が強いに決まってるだろ!」
「そうか! そうだ! その通りだ! なぜ気づかなかったんだ! 俺が間違っていたァァッ!」
ついに筋肉の真理に到達したビリーは、両腕を広げながら天に向かって吼えると、満足げに肩を落とした。戦意はすっかり喪失したらしく、立ち上がろうとする気配はない。
「最後に戦ったのが、あんちゃんでよかったよ。たしかソウジ、とか言ったな」
「ああ」
ビリーはふと真剣な表情でソウジを見つめた。その瞳には、武を求める者特有の厳しさと優しさが宿っている。
「教えてくれた礼に、俺からも一つ教えてやろう。大切な者を守りたければ、もっと強くなれ。心も体も、愚直に鍛え続けるんだ。それしか方法はない」
「肝と肋骨に銘じておくよ」
ビリーに拳で胸を叩かれ、ソウジはにやりと笑った。そこには、命を懸けて戦った男同士の、友情にも似た親愛の情が芽生えていた。
「さあ行ってこい、あんちゃん。お姫様を助けるんだろ?」
「ああ。ジェシカは俺たちが必ず救い出す」
ソウジは覚悟を秘めた目で次の扉を見つめると、おもむろに立ち上がった。
「さっきまで殺り合ってたのに、終わったら急に仲良くなるなんて、変なの」
「アンナには一生分からないさ」
「男の世界、ですよね!」
キラキラと目を輝かせるウルに、ソウジは頬をかいて照れながら首肯した。
「まあ、そんなところかな」
「はぁ? なにそれ? 意味わかんない」
眉をひそめるアンナに苦笑しながら、ソウジたちは最後の部屋へと向かう。
鉄扉の前にたどり着くと、ソウジはノブ代わりの輪っかに手をかけた。
「行くぞ」
アンナとウルは真剣な眼差しでソウジを見つめながらうなずいた。
ただドアを一枚開けるだけだというのに、妙な緊張感が走る。
ソウジがぐっと力を込めると、蝶番が軋みながら回り、ゆっくりと扉が開いた。