105話「ソウジVSビリー その1」
ビリーは急いでアンヘルの元へ駆け寄ると、ローブを脱ぎ捨てた。白い布の下から、剛熊の筋骨隆々の肉体が晒しだされる。
「この俺を出し抜くとはなかなかやるな。だが、もうお遊びはおしまいだ!」
ビリーは両手を広げると、こちらに向かって勢いよく突進してきた。
「ですって、ソウジさん! 責任取ってください!」
「俺のせいかよ!?」
ウルに強く背中を押されて、ソウジは無理やり先頭に立たされた。とはいえ、このメンバーの中で一番パワフルなのはソウジであることも事実だ。
なし崩しに戦闘が始まり、ソウジは慌てて剣を抜いた。すれすれのところでタックルを避けると、すれ違い様に肩口目掛けて一閃した。
「!?」
まるで岩を叩いたかのような手応えに、ソウジは危うく剣を手放しかけた。手首に強い痺れを感じながらも、なんとか剣を取り落とすことなく振り抜く。
そのまま部屋の柱の一つに激突したビリーは、その柱の根元を粉砕しながら、落ちてくる瓦礫と粉塵の中に消えた。あんな威力のタックルをまともに受けたら、ひとたまりもないだろう。
「筋肉最強ォ!」
体の上に積み重なった瓦礫を弾き飛ばしながら、ビリーはすぐさま起き上がった。恐るべきことに、その体のどこにも目立った損傷はなかった。
「あんなの、倒せるの!?」
「でも、倒さないとこっちがやられちゃいますよ!」
アンナとウルがてんやわんやするのを横目に、ソウジは剣を握り直した。一瞬、逃げ出すという選択肢も脳裏に浮かんだが、エマのことを考えると、その解決策だけは取りたくない。
かといって、頑丈な巨体と異常なパワーを持つこの生還者を倒す術を思いついたわけでもなかった。
「あの屋敷からどうやって逃げ延びたのかは知らんが……こいつは魔具を埋め込んで肉体を強化してある特別な生還者だ。お前たちのような下劣で貧弱な魔に勝ち目などない! ここで全員くたばるがいい!」
アンヘルは自慢げにそう叫ぶと、元来た扉へ逃げるように駆け込んで姿を消した。ということは、あの向こうにエマたちがいるに違いない。
絶対にここで退くわけにはいかない。
「俺があいつを引きつけておく。その間に、二魔はあいつの倒し方を探ってくれ」
「わ、分かった!」
ソウジは左手で自分の頬を叩いて気合を入れると、大股で歩いてくるビリーに向き直った。そして、二魔は数歩の距離で向かい合った。
ビリーの巨体に圧倒されそうになりつつも、ソウジは臆することなく剣を構える。
「せいぜい俺を楽しませてくれよ、唱角のあんちゃん!」
「お手柔らかに頼むよ」
「っしゃあ! いくぜ!」
ビリーは自分の拳同士を突き合わせると、ボクサーのような半身のスタイルを取ってソウジに殴りかかった。ソウジは剣を使って、素早いジャブの連打を丁寧にいなしていく。
ソウジとビリーの間には、大人と子供ほどの身長差がある。そうすると当然、リーチの長さにも大きな差が生じることになる。ビリーの懐へと潜りこまなければ、ソウジは剣の切っ先をかすることさえ敵わないだろう。
もっとも、そのためにはまずビリーの拳に対応しなければならない。一発一発がミサイルのような威力を持つパンチの雨をかわしながら、その発射口に深々と踏み込まなければならないのだ。そのプレッシャーは半端なものではなかった。
「おい、どうした! 避けてばかりじゃつまらねぇぞ!」
しびれを切らしたビリーは一歩前にステップすると、左右のコンビネーションパンチを叩き込んできた。
左フックをスウェーでかわしたソウジのわき腹目掛けて、右のボディブローが鋭い角度で襲い掛かる。体勢を崩してしまったソウジは、剣でその拳を受け止めようとした。
そのとき脳裏にふとよぎったのは、剣術の稽古中に聞いたカナエの何気ないアドバイスだった。
『闇雲に攻めるだけじゃダメ。攻めと守りは表裏一体につながっているわ』
カナエは稽古をするにあたって、ソウジの攻撃をもろに受け止めることは一度もなかった。それは、この心得を忠実に守っていたからだ。
守りながら、攻める。避けながら、斬る。
ソウジは手首をくるりと返すと、さらに後ろへ倒れながらビリーの拳を斬り上げた。そして仰向けに受け身を取ると、横に転がって距離を取ってから立ち上がった。
「ははは! いまのは上手かったぞ!」
ビリーは手の甲についたかすり傷を押さえ、ニヤリと笑った。この戦いを心から楽しんでいるとでも言いたげな、満面の笑みだ。
一方、首の皮一枚のところで戦っているという感覚のソウジにしてみれば、全くぞっとしなかった。
ビリーと睨み合いながら、ソウジは剣をしっかりと握り直す。
「ほら、来いよあんちゃん! かかってこい!」
「おおおおおおおお!」
ソウジは自分に喝を入れながら、あえて至近距離に飛び込んだ。
拳の連打が風を切りながら迫りくる。左のジャブが顔をかすめ、頬の皮膚が切れる感覚がした。それでも、さらに前へ突っ込む。
普通に斬るだけでは刃が入らないならば、それ以上の切れ味にすればいい。
ソウジはマナを全力で刀身に込めると、上半身をひねりながらビリーの腕を切りつけた。がつんと骨に当たる感触が、剣の柄から伝わってきた。
「!?」
ビリーは驚きながらバックステップした。その右腕には大きな切り傷が生じている。
先ほどまでとは全く違う手応えに、ソウジは確信を得た。これなら通用する。
「ははっ! 俺の体にちゃんとした傷をつけたのは、あんちゃんが初めてだ!」
「そりゃどうも」
「どうやらこの俺にも武器が必要みたいだな! 少し待て!」
ビリーは尻込みするどころか、むしろ上機嫌になったようだった。そして、さっき突っ込んだことによりできた瓦礫の山へ向かうと、折れた柱を抱えてぐいっと持ち上げた。
「おいおい、それは反則だろ……」
「筋肉が許す限り、ルール違反はない! さあ、俺の全力を受け止めてみろ!」
ビリーは雄たけびを上げながら、石柱を真横に振るった。長椅子が木っ端のように吹き飛んでいく。ソウジは大きくジャンプして、それを回避した。
規格外の攻撃だが、動きが単調なため、避けられないわけではなさそうだ。
そう思って気が緩んだソウジに一瞬の油断が生じたのを、ビリーは見逃さなかった。ソウジが着地して無防備になった瞬間、振り切った柱をもう一度逆回転に振るったのだ。
「なっ……!」
ソウジは体を大きく反ってブリッジすることによって、すれすれのところでそれを避けた。柱の先端が勢い余って壁にぶつかり、石レンガがガラガラと音を立てて崩れる。
「威力は十分だが、扱いが難しいなぁ」
ビリーは穴の開いた壁を見つめながら、呑気にぼやいている。
こんな攻撃を延々と繰り返されては、命がいくつあっても足りない。それに、スタミナでもパワーでも負けているソウジにとっては、このまま戦い続ければ続けるほど分が悪くなっていく。
狙うは短期決戦。ソウジは次の接敵で勝負を決めることにした。
ビリーは頭上に大きく振りかぶると、ソウジ目掛けて思い切り柱を叩きつけてきた。
ソウジは斜め前にステップインして、それを避ける。床との衝突によって飛び散った無数の石片が左半身に突き刺さり、ソウジは苦悶した。
しかし、これで大きな隙ができた。ソウジはそのままビリーの懐に入ると、腹部にある魔術陣を斜めに切り裂いた。
勝負あり。
そう思ったのも束の間、ビリーは残心を決めるソウジの背中に張り手を食らわせた。ソウジは壁に思い切り叩きつけられ、地面にずり落ちながらくずおれた。
「がはっ……!」
内臓をどこか痛めたのか、ソウジは口から血を吐いた。ぶっ飛びそうな意識をかき集めながら、すまし顔で首を鳴らしているビリーを見上げる。
「残念だったな、あんちゃん。俺が普通の生還者なら、あんちゃんの勝ちだった」
「どういう……ことだ……?」
ビリーはたったいまソウジがつけた腹の傷を、自分の指でぐりぐりとえぐる。
「俺みたいに、司祭様に強化された生還者には、こんなちゃっちい魔術陣なんか要らないのさ。体内にある魔具がマナを出してくれるからな」
「聞いてないぞ、そんな話……!」
「ああ! 言ってないからな!」
つまり、埋め込まれた魔具の位置を特定してピンポイントで破壊しない限り、ビリーは倒せないということだ。
そんなことが果たして可能なのだろうか。頭を必死に巡らせたソウジは、そこで再びカナエとの訓練を思い出した。相手のマナを見定める手段なら、すでに持っているではないか。
(魔力視――!)
わらにも縋る思いで眼球にマナを込めながらビリーを見ると、頭部の一点にマナが集中しているのが見えた。ソウジのような魔術の素人でも、一目見ただけで分かる。これは間違いなく魔具の反応だ。
もう一度あの巨体に接近して脳天をぶち抜かなければならないと思うと、気が遠くなりそうだった。しかし、どんな障害が立ちふさがろうとも諦めるわけにはいかない。
「エマちゃんが俺たちを待ってるんだ……」
ソウジは取り落とした剣に手を伸ばし、震える指で必死に柄を掴む。その様子を見たビリーは肩をすくめた。
「命に代えてもお姫様を救い出す、ってか。ヒーロー気取りか、あんちゃん?」
「いや、まだヒーローじゃない。ただの魔族さ」
剣を杖代わりにして立ち上がると、ソウジは渾身の力を振り絞って叫んだ。
「目の前の女の子一魔救えなくて、何がヒーローだ!」