104話「迷いの回廊」
男はしばらく回廊を進んだ後、ある扉の前で立ち止まった。扉の中央部には、シンプルな円のマークが刻印されている。
「分からなくなったらこの“月の部屋”に入って、いったん扉を閉じてからまた外に出るんだよ。そうすると全てリセットされる」
全員が部屋の中に入ると、男は言った通りに扉を開閉した。
部屋から外に出ると、ソウジは自分の目を疑った。先ほどまでは存在しなかった回廊と外部をつなぐ扉が、元あった位置に出現しているのが見えたからだ。
「どういうことなんだ……」
「角を曲がるたびに、どれか一つの部屋に入るんだ。そうやって決められた順番に部屋を出入りしないと、最深部までたどり着けないようになっているんだよ。司祭様から聞いてないのか?」
「あっ、いや、それはそうなんですけど、どういう仕組みなのか気になって」
ソウジがあわてて補足すると、男はまた頭をかいた。頻繁にかいているところを見るに、焦ったときに男がついやってしまう癖のようだった。
「すまん、分からん。司祭様に聞いたことがあるが、教えてくれなかったよ。それに、頭を使うのは苦手だからな!」
男はそう言うと、大きく笑いながら部屋を出ていった。
万が一、この回廊に取り残されてしまったら、順路の分からないソウジたちにはお手上げだ。そうならないよう、ソウジたちは男の後ろにぴったりとついていった。
男は虫の部屋、魚の部屋、獣の部屋と順調に出入りしたところで、急に足を止めた。
「問題はここからだな」
「ついに分からないゾーンに入ったんですか?」
「ああ。これで最後の部屋のはずなんだが、全く思い出せない。ヒントだけなら覚えているんだが……」
「ヒントっていうのは?」
「『地より出で、円環の恵みを享受し、天に達する者には真実の扉が開かれる』と司祭様に言われたんだ。小難しくて、全く意味が分からないだろう?」
その文章に何か深い意味があるらしいというのはなんとなく分かるのだが、ぱっと聞いただけでは理解不能だ。きっと、含まれた情報を読み解く必要があるのだろう。
「すみません、ソウジさん。ギブアップです」
「アタシも無理。あとはよろしく」
「早いなオイ! 分からなくても、少しくらい一緒に悩んでみようとか思わないのかよ!?」
「だって、アタシのポンコツ頭じゃどんなに考えても答えに辿りつけるとは思えないし……それに、アタシたちには賢い賢いギルドマスター様がついてるから。ね!」
「ね!」
「ね! じゃないぜ、全く……」
頭脳労働の苦手な二魔は、考えるのを早々に諦めると、期待を込めた目でソウジを見つめてきた。あまりの潔さに、ソウジは苦笑しながら受け入れるしかなかった。
いま分かっていることは、扉のマークにそれぞれ対応する意味が付されていることだけだ。それと、さっきのヒントがなにか関係しているのだろう。
これまでに出入りした順番は虫の部屋、魚の部屋、獣の部屋と、どれも生物をモチーフとした部屋になっている。ということは順当に行けば、四つ目の部屋もいままでと同様に、生物をかたどったマークになるはずだ。
もっとも、その共通項が引っ掛けということもある。ヒントの意味をよく考える必要がありそうだった。
「『地より出で』っていうのは、虫のことですよね」
「おそらくな」
「芋虫みたいなのが地面から湧き出てくるイメージか。じゃあ、『円環の恵み』っていうのは?」
「それはこの回廊のことじゃないか? 通り抜ける間、ぐるぐる回ることになるからな」
「俺も最初はそう思ったんです。だけどそれだと、魚と獣を選ぶ理由の説明がつかないんですよ」
「そうか……」
そのとき、誰かの腹の虫が盛大に鳴いて、ソウジたちはその飼い主を振り返った。
「えへへ……ずっと歩いてたから、お腹が空いてきちゃって」
上目遣いで照れるウルを見ているうちに、張りつめていた糸が一気に緩んでいくのを感じ、ソウジはがっくりと肩を落とした。この噛狼には緊張感というものがてんでないようだ。
「そうは言っても、食べ物なんか誰も持ってないよ?」
「たはは、ですよねぇ……我慢しますよ、我慢」
さすがに空気を読んだウルは、顔の筋肉を引き締めて、きりっとした表情を作り出した。それはそれで結構な違和感があるのだが、この際だから何も言うまいとソウジは思った。
そこでソウジはふと、ウルが発言したとあるキーワードに着目した。
「食べ物」だ。
魚は虫を食べ、獣はその魚を食べる。食べ終わったそれらの残骸は、大自然のサイクルに取り込まれ、生命は繰り返し循環していく。自然界で狩りとった食料は、まさに「円環の恵み」ではないか。
「そうか……ということは、正解は自ずと絞られてくるわけだ」
「ちょ、ちょっと、どしたのソウジ!?」
ソウジは目の前に並んでいる扉を改めて一つずつ見ていくことにした。
星、違う。弓矢、違う。木、違う。獣、違う。天秤、違う。
「あった」
ソウジはドラゴンのマークがついた扉の前で立ち止まると、他の者たちを呼び寄せた。
「もう分かったのか!?」
「はい、分かりました」
ソウジは両手で輪っかを作ると、推論を説明し始めた。
「『円環の恵み』というのは、生物たちの弱肉強食のことを指しています。獣は魚を、魚は虫を食べる。つまり、獣を食することのできる、さらに上位の生物が最後に来るはずです」
アンナは首をかしげた。
「それじゃ、『天に達する』っていうのは? 天といえば星だって、普通は思うよね?」
「ああ、違う違う。その言い回しはたぶん単純な引っ掛け問題で、実際に指しているのは天高く飛べる存在のことだよ。つまり、羽根の生えた生き物を選べばいいってこと」
「なるほど、それでドラゴンか。言われてみれば、そんな気がしてきたな」
信者の男はあっけらかんとしながらドアノブに手をかけると、何の躊躇もなしに開け放った。
「このままここで考えていても仕方がないからな。俺はお客魔の答えに賭けるよ」
「よし、行こう」
ソウジたちも、エマのことを考えると極力急ぎたいところだった。互いにうなずき合うと、急いで室内になだれ込んだ。
男が思い切って扉を再び開けると、その外にはいままで迷い込んでいた狭い回廊ではなく、広々とした真っ直ぐの通路が現れた。その奥には、両開きの大きな鉄扉がそびえ立っている。
信者の男はソウジの両手を力強く握ると、ぶんぶんと上下に振りながら頭を下げてきた。
柔らかい体毛に反して、その肌はかかとの皮のように硬質だ。それが手の甲にざらざらと擦れて、少し痛かった。
「ありがとう! これでどやされずに済む!」
「あ、あはは、別に大したことはしてないですから」
ソウジが遠慮がちに手を引くと、男は腕を広げて豪快にその鉄扉を開いた。
「戻ったぞ、司祭様!」
扉をくぐると、そこは少し大きめの部屋になっていた。いくつも長椅子が並んでいるところを見ると、控え室もしくは休憩室のような場所らしい。
ビリーの叫び声を聞いて、奥の扉から部屋に入ってきたアンヘルは、驚いた様子でこちらを凝視した。
「ビリー、お前……!」
「お客さんだって言うんで連れて来たが、いいよな?」
ビリーと呼ばれた男は、両腕を広げてソウジたちを紹介した。アンヘルはしばらく唖然とした後、ため息交じりに怒鳴った。
「馬鹿野郎! そいつらは敵だ! 説明しただろう!」
「えっ、でも司祭様が招待したって言うから……」
アンヘルは苛立ちを見せながら、片手で頭を抱えた。
「するわけないだろう、この筋肉バカ! 何のために巡回警備させたと思ってるんだ! お前はそいつらに騙されて、ここまで案内させられたんだよ!」
「ええええええええええええ!?」
「ええええええええええええ!?」
「どうしてあんたまで驚いてんだよ……」
ビリーとウルは互いを指差しながら叫び合った。ソウジは呆れるあまり、それ以上ツッコむ気力が湧かなかった。展開がシュールすぎてついていけない。