3丁目のガーゴイル
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、つぶらやくん、こんなところで何してるの? ははあ、猫がいるのかい。珍しいね、今どき、こんなところに野良猫なんてさ。首輪とかもしてないし、どこかの飼い猫が逃げたって風でもないか。
ねえ、つぶらやくんはどうしてそこに、誰かや何かがいるのか、気になったりしないかい? 僕たちは由来について、言葉や文章。新しめのものであれば記録映像によって知ることができる。たとえそれがウソやごまかしであったとしても。
僕もちょっと昔に、「どうしてこんなものがここにあるんだ?」と思った出来事があってね。それをめぐっておかしなことも知った。その時の話、聞いてみないかい?
ガーゴイル像って、つぶらやくんは知っているかい? 元々、雨どいの役割を果たすために設置されたというこのグロテスクな像。近年のファンタジーでは、勝手に動き出す守護者のような役割を果たすこともある。日本でいえば狛犬が、生活に役立つ機能を兼ね備えたというところだろうか。
で、僕の知るガーゴイル像は、地元の地区の3丁目にある。何かの建物の上ではなく。広い敷地を持つ公民館。その外側の縁に一体、立像として置かれているんだ。
高さにしておおよそ10センチ程度という小柄。ちょうど段差になっている部分に、ちょこんと据え付けてある。手でいじろうとしてもはがせない。そして他のおじぞうさんと同じようなお金やお菓子を受ける、石の皿らしきものがそばに設置されていた。
何かの守り神なのだろうか、と思いつつも、その表情は小さくてもはっきり分かるくらいのしかめ面。通りかかる人を、顔にしわをいっぱい浮かばせた憎々しい表情で、にらんでいる。
以前、親にあの像がいつできたかを尋ねると、少なくとも僕が生まれる前から存在していたという。けれど具体的な時期に関しては知らず、気がついたら用意されていたとのこと。件の公民館のものだとすると、区長とかなら由来は分かるだろうか?
そう思いながらも、こんな理由で時間をとらせるのも、なんとなく悪い気がする。僕は「そこにあるのはそういうことなんだ」と中身のない肯定感で、その日も像の前を通りかけたんだ。
あれ、と思ったよ。今日は像のすぐ横に、白髪のおじいさんが座っている。杖を段差のヘリに立てかけて、ゆったりと本を読んでいた。緑色のカバーで覆われたその本は。どこか苔を連想させる暗い色を帯びている。
なかなか見られない光景に、つと足を止めていると、ほどなく視界の端から一匹の黒猫が現れた。これもまた段差の上に飛び乗った猫は、ゆったりと歩を進めておじいさんに近づいていく。ここまでおじいさんは顔をあげず、黙々と本を読んでいたけれど、猫がおじいさんの読む本をのぞくように首をもたげたとたん、ぱっとその首の後ろを掴んで持ち上げた。
たいていの猫はこの部分を掴まれると、おとなしくなるもの。今回もその効果はてきめんで、持ち上げられる時には少し暴れていたその猫も、すぐにだらんとおとなしくなってしまう。
おじいさんの手から解放されて、段差の上へ戻された後も、猫は動こうとしない。身体を楕円状にし、うずくまったまま。おじいさんはというと、「もう興味はない」とばかりに読書を続けている。
後はおじいさんがページを手繰るばかりで、僕も用事があったし、また歩き出したんだ。
けれどそれから何回も、僕はおじいさんをあのガーゴイル像の横で見かけるようになる。たいていが段差に腰をかけて本を読んでいるのだけど、一度、座る瞬間にたまたま立ち会ったことがあった。
彼は杖を段差に立てかけると、まずガーゴイル像に対し、合掌しながら小さく頭を下げる。その後、ガーゴイル像わきの皿の中に、お金らしきものを入れるんだ。「らしき」というのは、僕の知っている通貨の姿ではなかったからだ。
一朱金って奴かな。指先に乗ってしまうくらい、小さくて四角形をした金塊だった。それを入れるとおじいさんは腰を下ろすんだが、その後、ガーゴイル像の裏。僕にとっての死角部分へと手を伸ばす。
すると、取り出した手の中には、いつも読んでいる文庫本の姿が。ぱっと見た感じではガーゴイル像とほぼ同じ大きさ。隠そうと思えば隠せるだろうけど、どうしてそのような真似をするのか、僕には理解できなかった。おじいさんはもう、いつもの読書スタイルに移行しており、尋ねるスキがない。
そして狙いすましたかのように、またも黒猫が姿を現した。はっきりと区別はつかないけれど、あの日見た猫と同じだと思われたよ。また、とてとてと段差の上を伝っておじいさんのもとへ。本人の前でちょこんと座って様子をうかがったのち、またも本をのぞき込むような動きを見せる。
おじいさんはまたも、さっと首の後ろを掴む。猫はもう一秒も暴れることなく「ぐでっ」と四肢を垂れて、脱力状態。段差の上へ置きなおされると、あの丸い体勢に移行し、目を閉じて動かなくなってしまう。おじいさんも邪魔者がいなくなるや、また黙って本を読み始めたんだ。
今日は時間がある。僕は何度も見かけるこの老人に、今日こそどんな本を読んでいるのか尋ねようと、彼へ近づいて行ったんだ。
その僕の身体が、半径一メートル以内に入ったとたん。猫を掴んだ時のように、本を読んでいるおじいさんの腕が伸びた。僕よりも低い背から、繰り出すことができるとは思えない長さで、僕の右すねあ辺りをがっしり握り込む。
「あっ」と思った時には、右足から力が抜けていた。おじいさんの手が触れていたのはほんの数秒だったのに、手を離された瞬間に膝から崩れ落ちて、しばらく立てなくなってしまったんだ。
「――警告だ。これ以上、わしに近づくな。この猫よりずっとおつむの大きいお前は、一度いえば分かるだろう。ちゃんと守れよ」
本のページから顔を上げることなく、おじいさんはそう言い捨てる。僕は足をさすりながら、どうにかその場を離れたよ。
猫が動かなくなるのも道理だ。ただでさえ落ち着くポイントである首の後ろにこんなのをもらったら、立つことなどかなわないだろう。結局、足の感覚が戻るのに30分くらいを要したよ。
その翌日。僕はあの辺りに住んでいる友達から、妙な話を聞く。
件のガーゴイル像の隣に、新しく丸まった猫の像が据え付けられたというんだ。いつ誰が取り付けたのかは、分からないと話していたけど、僕はすぐにぴんと来た。
学校帰りに、件の道へ向かう。そこにはガーゴイル像と新しい猫の像に挟まれるような形で、あのおじいさんが座っていた。今度の本のカバーは真っ黒な色をしていて、あの一朱金も、今度は新しい猫の像の横の皿に入れられている。ということは、取り出したのはきっとあの猫の像の裏側から……。
僕はその日から例の道は通っていない。今は地元も離れたから、様子も分からない。願わくは、これ以上像が増えていないことを祈るよ。